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時祷って結局なんなの 〜2021年4月4日〜

4月4日。昨日、インターホンを鳴る設定に戻したら早速鳴った。セールスだった。追い払うこともできずに30分か粘られた。社会人にとっての休日の30分間はさぞ重かったろう。私が働いていなくて良かったな!そう心が叫んだ。

『心が叫びたがっているんだ』を見たことはないが、案外そういうシーンがまとめられている作品なのかもしれない。

見ないことは良いことだと個人的には思い続けて生き続けている。無限に想像する余地が残っているからだ。そう思い続けて現実から目を背けている。

NHKで『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』が特集されていた。

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(こういうの。https://w.wiki/39$m )

高校の世界史の教科書に掲載されていたのを覚えている。大学でもなぜか図書館に所蔵されていたので(もちろん原本ではない)なんとなく眺めていた。そのようなことを思い出させてくれたので受信料払って良かったと刹那感じる。

先の主張と相反するが、絵があるので何を書いているのかが日本人の現代を生きる私でも雰囲気わかるのが良かった。キリストとか神的な存在は金色の円(呼称不明)が頭の後ろにあるから当時の人々にも理解させやすかったのではないか。

現実では絵にして表すことで解釈を一意にすることが重んじられたのだろう。私も心を入れ替えて、明日から現実を見ながら再起を目指す。

ちなみに、大阪杯はしっかりと予想を外した。

ああ、現実から目を逸したい………

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