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26歳の作品は〈ギフト〉ではなく〈シード(種)〉_240707

2024.07.07.Sun.

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今日は半日がかりで台本の校正作業です。終わった公演の台本を校正?という話ですが、販売に向けてト書きの部分を膨らませる作業です。自分で演出することもあって、かつ役者さんの想像力に頼りながら作品を創りたかったのもあって、演者に配った台本はト書きが最低限しかない。それを稽古で演者に伝えたことも含めて、「読み物」として台本を手に取ってもらえるように大幅に加筆しました。お申し込みは7月20日までです!お忘れなく。

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本番終わり、アフタートークを収録した。

「平場が苦手」というごっちさんがちゃっかり裏回しをしてくれて、四方が進行なのにちゃんと作家・演出家としての思惑まで喋っちゃったので、ぜひご覧いただきたい。
(アフタートークは「ドキュメントブック」に収録しています)

その中で、面白かったのは「26歳にしてこのテーマ・登場人物たちを描ける人生経験ってどこから?」という話。

社会で起こっていることや、隣にいる人への関心が高くてアンテナをたくさん張っているのは言うまでもないのだけれど、
だとしたら、なんでそんなアンテナが立ってるんだろう?という話になった。

いろいろ喋った挙句、生きづらさを抱えた人たちが健気に生きる姿を描き続けた故・田村丸(以下、「丸先生」)の作品で育ったからだろうという話で落ち着いた。

中高生という多感でかつ価値観形成に大きく影響する時期に、その作品に俳優として触れたことは確かにきっと今の四方に大きく影響していると思う。

そんな話をした後の打ち上げ中だったかしら。劇団員の誰かを経由して、丸先生の作品をやっていたころから観てくださっているお客様からの声も届いた。

「先生のころの作品は感動の比重が大きかった。四方の作品になってからは感動もあるけれど考えさせることが多い」と。

丸先生が劇団フジで現代劇を書き始めたのは晩年(最期の10数年)の話。

子役の養成、全国各地での子どもたちとの演劇づくり。たくさんファミリーミュージカルやファミリー劇場を何十年とつくってきた先生。

劇団フジの劇団員がほとんど大人になり、東京・大阪でのアトリエ公演を小劇場でやるようになって来たころから現代劇が中心になってきた。
女性の生きづらさなんかがテーマになりがちな作品たちを目の前に、「ようやく、書きたいものが書けるようになってきた」と劇団OBに漏らしていたというエピソードも聞く。

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