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子どもたちと「こわいってなに?」を考えてみた。

先日、残暑が厳しい中、小学1年生から中学1年生までの幅広い年代で考えてみました。
お題は「こわいってなに?」です。

みなさんは怖いものありますか?

子どもたちの怖いもの。
お母さん、兄、お化け、0点のテストをお母さんにみせるとき。夜にトイレに行く。そして月曜日の朝!
月曜の朝にはみんな共感しているようでした。

途中、みんなが経験した心霊体験的ことにもなり、楽しかったです。
結構、不思議な体験してました。
変な音、何やらのの気配、そして怪しげな影を目撃したようです。

「こわい」は難問でした。
時には脱線しつつ、問いを重ねて行くと、『こわいには、安全な怖いと危険な怖いがあるのではないか?』にたどりつきました。
問いを重ねるといっても、「なんで怖いの?」「怖い時どうする?」を繰り返し、繰り返しす。
発話を聴く。そして考える。
結局はこの繰り返しにだった対話でした。

怖いと遭遇した時には、固まる、逃げる、隠れるといった行動をとるようです。ではなぜそんな行動を取るのか?
そんなことを考えた結果、「安全な怖いは、楽しみになり得る。」でした。
例えば怪談やジェットコースターなどです。安全な怖いは怖いけど楽しくなることもある。楽しいなら怖いと言えないのでは?新たな謎が浮かびあがりました。

対話は進んで行きました。このような謎である怖いは世の中からなくなることはない。そして人間だけが、この両方の怖いを認識できるのではないか?
謎が新しい問いを生んだようですが、「こわいってなに?」なんです。

動物には感情があるのか?
はたまた、反応しているだけなのか?
あの怯えているのは反応しているだけなのでは?いやそんなことはない?

今日もワチャワチャしながらですが
色んな場面でキラリと光るものがあり、拾えきれない自分が悔しいなあと思いました。修行せねばです。

少し前の回で「知らないもの」「わからないもの」とは関係を築けないのではないか?ということを考えていました。この場合は「怖い」からという表現があったのですが、今回の「怖い」とは少し違ったようです。

今回のは対話では「わからないこと」が、怖いの絶対的な条件でないようでした。知らない、分からないものは怖いのではなくて、違う感情が働くのかもしれません。この辺りはもう少し掘りたかったです。

「怖い」を通して視えてきたことは、子どもたちは感情を自分たちなりに分析しているようだとうことでした。
怖いが最上段にあるとして、その下に不幸や不安が位置付けられる、これらは怖いの類型では?という話には唸りました。

1番の痺れは、「自分が1番怖いもの?」を再度聞いた時に訪れました。
『1番幸福だと怖いかもしれない。』
仮に、自分が王様だった場合、奴隷のことを考えると怖くなる。

ボクはきみたちの声が聴こえなくなることが怖いです。

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