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孤高の欅と櫻について

突然ですが、私は欅坂46と櫻坂46が大好きです。

でも、好きな理由は少しずつ違う気がしてます。


いつからか、個人的なイメージが湧くようになりました。

『真っ青な空、眩しすぎる太陽に照らされて新緑の葉から濃い影を落とす欅の木』
『真っ黒な夜空、儚くも気高い月光に照らされて桃色の花を満開に咲かせる櫻の木』

どっちがいいとかではなく、その光景が浮かぶ瞬間がすごく心地いいんです。

欅の木は、太陽にジリジリと灼かれながらもその葉にエネルギーを宿して根を張り続けます。だけど、そこから動けずに、太陽の浮き沈みに従って黒い影がその足元を塗りつぶしています。
逞しく見えても、日陰は確かに存在していて、どんなに時が経っても、眩しすぎる世界の中では一際孤独のようにも見えます。

櫻の木は、時には雲に隠れる星や、満ちて欠ける月の光の下にいながら、時には夜風に吹かれて鮮やかな花びらを散らしながらも、常に満開に咲き誇っています。
凛としたその佇まいで、真っ暗な夜でもその輝きが消えることは無いし、孤独な夜を過ごす誰かを待ちながらそこで咲き続けます。

少なくとも日本では、朝と夜が平等に存在します。太陽が明るく照らす時間帯もあれば、日が翳る時間帯もあります。

昼は、多くの人が活発に動く時間帯で、そこには苦しみも、嬉しさも、辛さも、幸せも、一人では抱えきれないくらいの外部刺激があります。どうしても他人と接さずにはいられないし、やるべきことはやらなければいけない。でもそれって、そればかりにがんじがらめになってしまったら、苦しくなってしまうと思うんです。
そんなときに、どこかに根を張る欅の木の下で、暗い木陰に隠れて、現実逃避をしたくなったり、唾を吐いてみたくなったり、何かをぶっ壊したくなったり、反抗したくなったりする衝動を解放できるんだと思います。そんな人、そんな感情のために、背中を預けられる欅の木の太い幹は存在してくれているんだと。

夜は、一人になって何かを見つめ直す時間で、たとえ一人でなくても、昼には顔を出さなかった欲望や、本音や、妄想や、誰にも言えないような内面感情に飲まれそうになります。部屋の電気を消して、ベッドに入っても、頭の中はいつの間にか溜め込んだ色んな感情がぐるぐると回り続けて眠れなくなる。結局、また機械的に始まる朝を待つだけの、押しつぶされそうなくらいに辛くて孤独に襲われてしまいます。
そんなときに、ふと部屋のカーテンを開けて、真っ暗なはずなのに、最低限の月や星の光を浴びて、まるで自ら発光しているかのような櫻の木に魅せられて、孤独は孤高と言い換えられるのかもしれない、と自信をくれるんだと思います。そうやって、櫻の木の花はいつだって美しすぎるくらいの満開でいるんだと。

人生は苦しいし、でも楽しい。相反する感情に右往左往して、時には自分や他人が分からなくなって、社会が分からなくなって、生きてる意味が分からなくなる。そんなとき、標榜としてそこに存在してくれる欅と櫻は、直接手を差し伸べてはくれなくても、身を委ねることを許してくれたり、どんな状況でも輝けることを教えてくれる。

だから私は、孤独に寄り添ってくれる欅も、孤高を示してくれる櫻も、どっちも好きなんです。
どっちも、欠けてしまってはだめなんです。
流動的に動く感情を歌ってくれるのは、ときに欅坂であり、ときに櫻坂だから。

反抗的で、激しくて、でもどこか危うい。いつか崩れてしまうんじゃないかと、落ち込む自分に共感してくれる欅坂の歌が支えになります。

真っ直ぐで、美しくて、でも力強い。道に迷いそうになって不安になって、弱虫になる自分に勇気をくれる櫻坂の歌が前を向かせてくれます。

こんなにも素敵な姿を見せてくれる欅坂と櫻坂に出会えて、本当に良かった。

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