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自己分析#7「続・私の名前はあの子の名前」

自分の氏名に関する文章を再び世に放とうと思う。

約3ヶ月前、誕生日に投稿した自己分析#5「私の名前はあの子の名前」にて、私は自分の名前(ファーストネーム)について常々感じている虚無をぶちまけた。

ざっくりおさらいすると、私の名付け時に決め手となったのが兄の同級生だった「すっっっっごく良い子」の名前であり、ゆえに私の心にはいつも「あの子」がいて、生まれた時から自分というものがなく、ふらふら生きてしまっているよ、という感じ。

そのなかで少しだけ苗字について触れた。

でも待てよ...私が好きに設定しているユーザーネームって、どれも苗字の一部をもじったものになっているような気がしてきた。うん、そうだ。名前の使用を無意識に避けていたということなのかな。「私の名前はあの子の名前」という虚しさが根底にあるから?うーんさすがにそれは考えすぎかしら。まあでも確かに、自分の苗字好きなんだよなぁ。名前が嫌いだからというよりは、苗字が好きだからという理由のほうがしっくりくる気がする。
(自己分析#5「私の名前はあの子の名前」より)

この時私は自分の苗字については比較的好感を持っていた。だけどまた最近思うところがあり、またしてもふらふらと気持ちが揺れている。今回はそれについて書いていこうと思う。(そのまま#5に追記しようかとも思ったのですが、書いていくうちに長くなると確信したので潔く分けました。)

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自分の苗字について私が感じていること。字面は悪くない...というか結構かっこいいとさえ思う。地域性が高い苗字なのでそこそこ珍しい。このちょっとした特別感もなんだか嬉しくて気に入っている。好きか嫌いかで言ったら断然好き。そう、好きなんだよなぁ。

だけど私の苗字には、厳密に言えば血縁関係がない。

早い話、父が養子だったのだ。父が幼い頃養子に出された家系の苗字が、今の私の苗字である。大人たちの都合で、ある日突然大好きな家族と引き離され、自分とは何の関係もない他人の子どもになった父が、その引き取り手の家系に好意を抱いているわけもなく、特に養母(私からすれば血縁関係のない祖母)に対しての当たりはきつかった。嫌いオーラ駄々漏れ...。実母と養母への態度の変わりようといったらなかった。

ここnoteでも何度か書いてきたが、私は父のことが大好きだった。もちろん今でも。そんな父の影響も受けてか、あるいは単に私がそうなのか、私もまた父の養母、そしてその家系の人々のことが苦手だった。正直今でも苦手だ。(ぶっちゃけすぎてしまったかもしれない...どうかこの文章が親戚一同の目に留まりませんように...)

「血縁関係がない苗字」、これ自体はもしかしたらそう珍しいものではないのかもしれない。また、世の中の「家族」や「親戚」とされるコミュニティが、単純で良好な関係性のものばかりではないことも少しは想像できる(実際私も肌で感じてきたから)。

ただ、そのことを踏まえた上でも、私の父方の家系は複雑だと思う。やや強めの語感で紹介してしまった父の養母も、詳細は伏せるが色々な話を聞く限り、相当な努力を重ねて必死に生き抜いた人だ。父や父の養母の一生(と言ったら大袈裟かもしれないけど)をもっと掘り下げると、軽くドラマが1本作れるんじゃないかと思えるくらいには複雑で、厳しくて、重くて、辛いものだったと思う。本当のところは本人たちにしか分からないのだけど。(家族や親戚間の関係性って簡単には比較できないものだと思うので、上記はあくまで私個人が私の価値観で勝手に感じていることだと思ってください)

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これが私の苗字。にまつわる話。
もうね、なんだろう、ただただ深い溜め息が出てくる。

要するに私の氏名は、厳密には血縁関係のない、大好きな父が嫌っていた、そして私自身苦手意識のある家系の苗字と、「あの子のようになりますように」と、誰かさんのファーストネームをそのままあてがわれた(※語弊あり)名前で構成された、アイデンティティの欠片もない、空っぽの記号なのだ。持ち主同様、中身がないのだ。

「私の各種SNSのユーザーネームは苗字をもじったものが多いのだけれど、それはファーストネームより苗字のほうが好きだなぁと思っているからで、でもよくよく考えたらその苗字も厳密には私とは無関係のものなんじゃん」って、なんか、今まで苗字に拘っていたのが馬鹿みたいだなぁと。父の事情は昔から知っていたはずなのに、今になって改めて気付いたというか。

まあでも、だからって自分の氏名が大嫌いなのかというと、そういうわけではないのだ(#5でも同じようなことを書きましたね)。ただ、ふとした瞬間想いを馳せると、#5に書いた感情と今しがた書き連ねた事情がぐるぐる巡って、往々にして気持ちが沈む。そして宇宙空間に放り出されたみたいに、何も掴めずさまよってしまう。考えすぎて何も考えられなくなる感じ。空っぽがある感じ。私が最も虚無感を抱くもの。

やはり私は執着しているのだろうか。考えすぎ?ひねくれすぎ?ここまで自分の氏名に結構なコンプレックス...というかざらっとした感情を持っている人、他にいるのかな。どうなのかな。

だいたい、どうして私はこんなにも自分の氏名について考えてしまうのだろう。

自分がないから、そんな私が私たる所以を、どこかに見出だしたくなるのかな。私にはなんにもないから、せめてもの慰めに、私を指し示す記号にすがりたくなってしまうのかな。ああでも、私のためだけの理由はずっと欲しかったかもしれない。結局そんなものはなかったけど。

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私が自分の氏名について考える時に、いつも脳内で鳴り響くテーマ曲が2つある。どちらも大好きな曲。今もスマホから流しながら書いている。(以下私なりの解釈のもと話を進めます)

1つはBUMP OF CHICKENの『グロリアスレボリューション』。簡単には語り尽くせやしないが、疾走感溢れるサウンドと半ば暴力的な歌詞が、こんな私にも「根拠なんて全くないはずなのに、不思議と自分自身を讃えてしまいたくなる」という衝動をもたらしてくれる。

https://youtu.be/0x_HyVmGNbo
BUMP OF CHICKEN『グロリアスレボリューション』(BUMP OF CHICKEN公式YouTubeより)

この曲は『胸を張って誇れるモンが 自分にどんだけあるのかって?/名前と誕生日と キュートな指紋ぐらいあれば充分だろう』という歌詞から始まる。この歌詞を初めて知った時、なるほどと思った。名前、誕生日、指紋って、自分自身を指し示す最低限の材料な気がする。「それさえあれば大丈夫」という、自分のためだけの揺るぎない確かな理由。

だからこそ、この曲は私にとってはちょっと辛い。最低限の材料のうちの1つに底知れぬ虚無感を抱いているから。大好きな曲なんだけど、その想いとは別のところで、ピリッとざらっと、ノイズがかかる。

この曲には自分自身を縛り付ける存在として『自前の手錠』と『カギ』が出てくる。そんなもの外して自分を解放してしまえと訴えかけてくる『オレ』だが、実はそんな自分にも手錠がついていたことに終盤で気付く。おまけにカギは失くしたと。皮肉なものだが、私はこの終盤の歌詞に結構救われている。「なんだかんだ言って君も私と同じじゃないか」と、少し安堵してしまう自分がいる。

私にとっての自前の手錠とカギが多分氏名なんだと思う。ずっと囚われている気がする。いつか外せる時がくるのだろうか。もし外せたとして、それってつまりどういうことなんだろう。それで私は本当に解放されるのだろうか。案外こうしてぐるぐると不毛な思考を巡らし続けることが生きる力になっていたり...するのかな。どうだろう。

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もう1つのテーマ曲はサカナクションの『アイデンティティ』。タイトル通り、自分らしさについてまさに今の私のようにぐるぐると考え続ける曲。考えて考えて考えまくった末に「うわぁぁぁぁ~~~!!!」と吐き出したくなる感情が丸ごと歌詞と曲調に表れているような、ライブの定番曲だ。

https://youtu.be/2gc5PR_NbHM
サカナクション『アイデンティティ』MV
(サカナクション公式YouTubeより)

この曲の主人公である(おそらくもうすっかり大人と呼ばれる年齢になった)『僕』は、過去のあか抜けてない記憶をきっかけに純粋な自分らしさに気付いていく。

私はというと、いまだにこの曲が心の近くで鳴り響いているくらいには、まだ全然自分らしさというものを見つけきれていない気がする。(今じゃもうひねくれて色んなことを拗らせている私に純真無垢な瞬間があったかも怪しいのだが)

だからこの曲を聴いていると、もしかすると自分がないと嘆いては氏名に執着して考え続けるこの状態こそが一番自分らしいのかもしれない、これでこそ私なのかもしれない、こんな私でいいのかもしれないと、じんわり自己肯定できてしまう。錯覚にすぎないのかもしれないけど、「まあいっか」と、ぐるぐる巡る思考から一旦は抜け出せる。楽になれる。それが嬉しい。

そして悲しいくらい共感できてしまう『アイデンティティがない』『どうして』という印象的なフレーズを、一緒にシャウトするのがどうしようもなく気持ち良い。

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ふぅ。ありのままの想いを書いて大好きな音楽を聴いたら、なんだかスッキリした。はっきりと何かを結論付けたわけではないけど、まあいいか。書いていくうちに書きたいことが増えていって、想像以上に長くなってしまったな。うまく伝えられているかな。まあでも、私がちゃんと分かっていればいいかな。

自分がなくて空っぽで、相変わらずふらついてばかりだけど、そんな自分をそのまま認められるようになれたらいいな。できるかな。

とりあえず、また突然虚無感に包まれた時は、この文章を読みながら大好きな音楽に包まれてみようか。うん、そうしよう。

ではまた。

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