見出し画像

自己分析#8「かずらふじ」

私は基本的にネガティブで自己肯定感が低い人間です。

だけど最近は珍しく調子が良いと感じていて。
ここ一ヶ月、(月のものによるホルモンの脅威には太刀打ちできなかったけれど...!!それ以外では)必要以上に自分を卑下したり、激しく落ち込むようなことがほとんどなかったように思います。

多分それは、

①大好きな俳優やアーティストが関わっている朝ドラ(これがまたすごく素敵な作品なんだぁ)のリアタイを始めたことで、一日の始まりから全自動的に心が満たされるようになった。

②朝ドラ視聴に伴い、今までの夜型生活とは(体感)打って変わって、正しい...とまで言えるかは分からないけれどとりあえず規則的な生活は送れるようになりつつある。
((寝付けるかどうかは置いといて)意識的に一定の時間帯(※以前より少し早い)には布団に入り、毎朝ほぼ同じ時間に起き、顔を洗い、ちゃんと“朝”のうちに朝食をとり、軽めの運動(本当に簡単なストレッチ)をするようになったんですよ...私にとってはびっくりするほど大きすぎる変化なんですよ...)

③自分の心が弾む活動(といってもほんと、大したものではなくて、いち趣味でやっているものです)を比較的コンスタントにするようになった。

からだと思うんですね。

そして今回書こうとしているのは③に関して。確かに心は弾むものの、やっぱりまだ気持ちがぐるぐるしている部分もあって。それをこの場で少しでも整理できたらと思います。

ーーー

具体的にどんな活動をしているかと言いますと...一応創作...になるのかな、模様を描いたりしています。(文字に起こすと恥ずかしさマシマシですね...)

こんな感じです(私の趣味・創作用Instagramアカウントに飛びます)
https://instagram.com/deerboc1994

あの本当に、創作といってもそれをメインにして生きている(食っている)わけではなくてですね、いやわりと一日の考え事の大部分を占めてはいるかもしれないですけど、現時点では本当に趣味の範囲で好きにやっているだけなんですね。めちゃめちゃスローペースですし。日も浅いですし。(この必死さ溢れる文章でいかに大したものではないかが伝わっていれば嬉しい...)

私は昔からアルフォンス・ミュシャの作品が大好きでした。中学の美術の授業でミュシャの作品に触れ、その曲線美に惚れ、作品展などにも(そう多くはありませんが)足を運びました。ミュシャの作品の影響を大いに受けた(と自分では思っている)結果、あらゆる媒体、包装紙、装丁、あるいは街中etc...と、素敵な曲線や蔦模様を見かけたならば(常識の範囲内で)すかさずカメラやメモなどに記録せずにはいられなくなってしまいましたし、気付けば自分でも描くようになっていました。初めてミュシャの作品と出会った中学当時の教材は今でも保管していて、たまに見返しています。

ーーー

とまあ、こういう経緯でこういう創作活動(と表記するのも烏滸がましくてまだ全然慣れませんが便宜上こうします)をしています。

模様を描くのは楽しいです。心が踊ります。頭の中で思い描いた線を紙の上で形にできた時の爽快感といったらないです。ラクガキから偶然生まれた理想的な模様が愛しくてたまりません。模様を「生み出す」作業が好きです。この自覚ははっきりあります。

そしてなんといっても、(主に描いている最中)わりと自分でも「いいぞいいぞ」と自分(と自分が生み出したもの)を認められる気がするのです。ネガティブで自己肯定感が低い私なのに。それが自分でも驚きなのです。

しかしそうやって描いたものをSNS等で「表出する」ことにおいては...ここまでの文章にも滲み出ている気がしますが、やはり元来の自信のなさというか自己肯定感の低さというか、そういうものが邪魔をします。「これを描いて何になる?」「これが創作?」「どうせ誰にも響かないよ」「ほらね、結局はそんなもんだから」...好きなことを好きなようにやって心踊らせている一方で、もうひとりの自分がそう言ってくる。いつも描いている最中~描き上げた瞬間が自己肯定感のピークで、そこからどんどん気持ちが沈んで、投稿直後なんてもうボロボロです。じゃあなぜそこまでしてSNSに投稿するのか?こんな私のなかにもあるんですねぇ...承認欲求というものが。自分以外の誰かに認めて欲しい、褒めて欲しい。欲張りで図々しくて馬鹿みたいだけど、この部分で私は結構葛藤しています。ぶっちゃけ苦しいです。

ーーー

こういう時、自分のなかで自然と引き合いに出しているのが写真だということに最近気付いてきました。
こちらも創作活動と同じように趣味の範囲で、「いいなぁ」と思ったものをカメラに収め、SNSに時折投稿しています。このnoteの見出し画像やプロフィール画像などにも、自分で撮影したお気に入りの写真を使用しています。

「いいなぁ」と思ったものを表出する。それ自体は、描いたものを投稿するのと同じ作業だと思うんです。でも写真のほうが圧倒的に心持ち軽く投稿できる。この差はなんだろうと。

多分それは、「“いい”のは被写体であって私ではない」という心理が根底にあるから。私が撮りはしたけど、本当の良さは被写体そのものが持つ魅力やカメラの性能にあると信じて疑わないから。私自身の力ではない。それが私にとっては妙に心地良く、安心するのです。思えば周囲の反応も特段気にならないかもしれないです。

「いいなぁ」と思ったものを惜しみなくプレゼンするのは(得意かどうかはともかく)好きでも、プレゼンの内容、取り扱う対象が自ら生み出したものとなるとたちまち狼狽えてしまう。そういう感じなんだと思います。

「私が私(の描いたもの)を“いい”と思っていることを誰かに伝える?は?そんなことしていいと思っているの?私の分際で?」という心理。この上ない羞恥心。だけど本当は誰かに伝えたい。

ーーー

元々こういった話をするのが得意ではないのでどう表現しても変な感じになるだろうことを自覚したうえで書くのですが、こんな私にも人生のピークと言えるような時期があったと思っていて。(詳細はもしかしたらまた別の機会に書くかもしれません)

ちやほやされた記憶、褒められた経験、賞をとった過去、見てくれる人は必ずいるという確信...小学生~中学生時代の私は特に、今の私からは考えられないくらい自信に満ちていました。それを鼻にかけるタイプではなかったと思いたいですが、心の奥でムフッと笑っていた気はします。満更でもなかったんでしょうね。そりゃあねぇ、褒められたら嬉しいですもん。(今まさに鼻にかけているじゃねえかと指摘されればぐうの音も出ません...言ったでしょう...どう表現しても変な感じになるって...)

その反動にある、今。反動というか...自分の位置が見えるようになってきただけで。年齢を重ね、(一応は)社会に出て、人の多さを知るにつれ、自分は大した人間ではないのだと思い知ったのです。勘違いも甚だしい。実に滑稽。よくある話。

「褒めて欲しいの?そんなこと思っていいと思っているの?私が?これで?ははっ、笑える」

自虐の言葉が出るわ出るわ。ええもちろん褒めて欲しいですよ、認めて欲しいですよ、またあの感覚を味わいたいですよ、生きているんだから!はぁ~~~...私はなんて残念な人間なんだろう。心が狭くて器が小さい。そんなこと考えず、好きだったら好きなようにやればいいのに。あのねえ!?それができたらこんなに悩んでないんですよ...!!!(※全て独り言です)

ーーー

そして私がここまで思い悩む理由...この葛藤する気持ちの着地点をどうにか見つけたいと思っている理由は、いつになるかは分からないけれど、本当にやれるかは分からないけれど、方向性もまだほとんど見出だせていないけれど、将来的にこの創作活動を、趣味の範囲を超えたものにしてみたいと思っているから。(うわぁぁぁ言ってしまった...この先大丈夫かな...もういいや、知らん...笑)

となると、いつかは本格的に自分で自分を売り出していかないといけないわけです。だけどそれがこの上なく苦手。苦しい。どうしましょう。どうしたらいいんだろう。居心地の良いやり方はないのだろうか。

多分、このnoteや先ほどリンクを貼ったInstagramのように、人知れずひっそりやるのが自分の性格に合っているとは思うんです。でもそれじゃ誰の目にも留まらない。

ああ、だから続けるのかな。

私にとっての“推し”な人たちはみんな、その活動を続けてくださっているから出会えて、好きになれたんだものなぁ。ん?好かれたいのかな私。誰かに見て欲しい、認めて欲しい、褒めて欲しい、できることなら継続的に...うん、それはもういい加減自覚しよう(恥ずかしいけど!!)。でもそれがイコール好かれたいってことになっているのかな...?よく分からないな...そういうところに私はあまり重きを置いていないのかもしれない。いや、分からない。今は曖昧なままにしておこう。

それから、もう一度自分の実力(もへったくれもないかもしれないけれど)を見つめる必要があるかなぁ。なんだかんだ言って結局は自惚れている気がするんですよね...うわ、そう思うとめちゃめちゃ世間知らずで恥ずかしいですね...うわぁどうしよう...いやどうしようもないな。とにかく、自虐ではなく「本当にこれでやっていけるのか?」という部分を真面目に考えなければいけない気がします。

あとはそうだなぁ、根本的な問題についてとことん考え抜いたほうがいいのかもしれない。今となってはまるで別人のように満ち満ちていた自信が枯渇しているのはなぜなのか、どうして私はついつい自分を必要以上に卑下してしまうのか。先ほど書いたように現実を思い知ったというのも大きいのですが、それ以外にもなんとなく思い当たるふしがある気はするんですよね。でも今はまだうまく言葉に直せないので、いつか書けるようになったら書いてみたいです。

続けていくうちに自分に合うやり方を見つけられたらいいんですけどね...あーあ、どなたか教えてくれないかなぁ...!!(他力本願)

ーーー

あ~~~いつもの癖で自虐が拗れてふざけてしまった...よくないなぁ~~~よくない。でも少しだけ気持ちを整理できた気がしなくもないです。言葉に直すと落ち着くのかな。

いつか夢(って言っちゃったぁぁぁ)を実現できるように、とりあえず今やれる精一杯を、自分のペースでやっていこうと思います。続けてみようと思います。できるかなぁ。できたらいいな。

あっそうそう、余談ですが、今回の文章のタイトルにはちょっとした遊び心を入れています。私にとって何重にも意味がある言葉を偶然見つけたもので。いまだに悩みは尽きないけれど、そういうことならまあいっかと、なんだか嬉しくなってしまったんですよね。伝わるかなぁ。まあ若干厨二チックですけど...(えっ厨二ってもう言わない...?書かない...?)

ではまた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?