見出し画像

自己分析#10「欲との距離感」

突然ですが私は今、あるひとつの衝動に駆られています。ずーーーっと欲しい欲しいと思っている漫画の単行本を既刊分全巻大人買いしたいのです。何かきっかけがあったとかいうわけではなく、なんだか無性に読みたくなって...。だがしかし残念なことに現在我が家にはそれらを保管できるだけのスペースがありません。本棚を埋め尽くしている作品が他にも色々とあってですね...それ以前に部屋がもうとっちらかっておりましてね...。電子版を買ったらいいじゃないかって?それも考えたのですが...紙媒体への拘りがどうしても捨てきれないんですよねぇ。ああ漫画を読みたい...読み耽りたい...んああ...ああ.........

ーーー

瀕死の状態で、だけど爆速で文字を打っております、鹿です。漫画・アニメ・ドラマ・映画・音楽etc...この世には私の心を豊かにしてくれるものが沢山溢れておりますね。幸せですよほんと。

ちなみに冒頭で猛烈に欲していた作品というのは、某呪いを祓う少年がジャンプする系の漫画(ざっくり)。たまたまつけていたテレビで突然始まったアニメ第1話にすっかり魅了されまして、あれよあれよと沼の中。面白いですよねぇ~ほんと!!!アニメ第1期全24話履修済みの今、圧倒的推しは金髪紳士のあの方と式神使いの彼(ざっくり)。ストーリーも作画もお声も音楽もハチャメチャにかっこよくて面白くてたまらんです。年末に公開予定の映画も勿論観に行きま...あ、もういいです?この話。うん、そろそろ誰かに怒られてしまうかもしれない。

ーーー

私が漫画やアニメに本格的にハマり出したのは大学生の頃だったと思います。一般的にはちょっと遅い方なのかな?まあ何かを好きになるのに遅いも早いもない気がしますが、どうなんですかね。

その後就職し、自分のお金で好きなものを買える感動を味わってしまってからというもの、まあ欲がどんどん加速しちゃって。「これいいなぁ...好きだなぁ...欲しいなぁ...買っちゃうか...!よっしゃ買う!!!うおりゃーーー!!!(ポチポチポチ)」と、気に入った作品をまとめ買いしちゃう癖がついちゃって。休職中の今でもその傾向がなんとなくあって。それが若干後ろめたくて。でもやっぱり欲しいものは欲しくて。

それでふと思ったんです。「ん?なんで後ろめたいんだろう」って。

多分これが自分の親友の悩みだとしたら「え、いいじゃん別に、買っちゃいなよ」って言えるんです。だけどいざ自分のこととなるとなかなか...。

まあ先述の漫画に関しては、今自分のなかで最大のネックになっているのは物理的な問題なので、それが解消され次第私はきっと買うんです。はい。それはもう決定事項なんです。おそらく。だってめちゃめちゃ惹き付けられているから。ただ諸事情あって思うように部屋の片付けが進んでおらず...結果として極限状態まで追い込まれてしまいました。(そして冒頭に戻る)

ーーー

とはいえなんなんですかね、この...己の物欲に対する罪悪感みたいなものは。働いていた頃は「これだけボロボロになっているんだから少しくらいいいでしょ...」という感じで(≒大きな大きなストレスの反動で)比較的ポンポン買えていたんですけど、今はどうにも...。

漫画に限らず服でも化粧品でも雑貨でも文房具でも...とにかく「これ好きだな、欲しいな」と思った時に、今は「いや、でも...」という気持ちが先行してしまってなかなか抜け出せない。いつもめちゃめちゃ唸って悩んで時には諦めて買うなら買うで無理矢理にでも尤もらしい理由をつけて...を繰り返してしまいます。

好きなものを聞かれたら真っ先に答えるであろう音楽(特にBUMP OF CHICKENの音楽)についても、今でこそ好きが殿堂入りしているので物欲とすら思わなくなった節がありますが、初めてCDを買ったのはやはり大学生になってからでしたし(それまではレンタルしたものを聴いていました)、それもどこに遠慮をしたのか当時勇気を振り絞って選んだのは初回限定盤ではなく通常盤。今でもちょっと、いやぶっちゃけかなり後悔しております。通常盤でも十分満足してはいるんですが、やはりね、浴びれるものはもっと浴びたいじゃないですか...!それこそ強欲。欲オブ欲。殿堂入りの欲。

まあそれはいいとして。

心から好きになれたものについて、それを生み出してくださった方々への感謝の気持ちはすごくすごく大きいつもりでいるんです。なのでやはりその対価をきちんとお支払いして自分の側に置いて大切にしていきたい。そう考えると好きなもの、欲しいものを手に入れる過程でネックになる部分って実はそう多くないのかもしれない(あくまで私の場合はですが)。だけど、それとは別に己の物欲に対する罪悪感というのか非容認感というのか、そういうものが確かにあって。そしてこれらの感情は全て同時に存在...混在?していて。うーんなんなんだろうほんと。うまく言えない。でもずっとあるんです。

ーーー

自分の性格の傾向について考える時、私はよく幼少期を振り返ってみます。まあたいして記憶に残ってないんですけどね笑

それなりに好きなものはあったと思うんですよ。だけど熱中するほどのものがあったかというと...んー?子どもの頃何してたかな...。公園で遊ぶか友人の家で遊ぶかお絵描きするか兄がプレイするテレビゲームを横で見るか祖母の家で伯母に絵本を読んでもらうか(本好きの書店員だった伯母が選ぶ絵本もその読み聞かせも楽しくて面白くて大好きでした)...私が好んでやっていたのはどれも特別な何かを必要とする遊びではなかったかもしれません。そういえば人形遊びの類いはしたことがないような...うーむ。

また、これは関係あるか分かりませんが、我が家にはお小遣いの制度というものがありませんでした。欲しいものがあれば直接親に伝えて買ってもらうシステム。でもそんなに沢山はねだらなかったんじゃないかなぁぁ...いや、どうだろう。どうかな笑

聞くと元々母の家庭がそうだったらしく、母自身も物欲はあまり強くなかったとのこと。性格っていうのはつくづく育った環境と遺伝によるのかなぁなんて思ってしまいますね。面白い。

そういうのもあったのかなぁ。子どもながらに親に遠慮して多くを望まなかった分、大学生~社会人で一気に物欲が弾けた...?だからどうすればいいか分からなくなった?いまだに慣れないでいる?そんなことあるかな?笑

ーーー

それともうひとつ、どちらかというとこちらが大本命という気がしていますが、現在絶賛休職中の身であるということが、物欲への罪悪感に繋がっている気がしています。

好きなもの、欲しいものをポンポン買えていたあの頃は、体力的にも精神的にもしんどい仕事をやっていた自覚があって、曲がりなりにも「頑張ってやってるよ、私」という自分への労いにも似た肯定感がありました。まあ実際の仕事ぶりは散々なものでしたけど。それでも「ご褒美」というこれ以上ない正当な理由があったから、自分の欲に比較的素直に従えた。というかそうでもしないと色々おかしくなりそうだった。

じゃあ今はどうか?どうもこうも、何もしていない。何も頑張っていない。復職したら解消されるのでは?いやまだ無理、飛び込むのが怖い。違うな、自分を甘やかしきった、甘やかされきった楽な生活に慣れてしまったんだ。そこから離れるのが嫌なんだ。何ひとつ動こうとしていないもの。頑張らなきゃとは思うけど思うだけで、実際は何も頑張れない。いや、多分頑張りたくないんだろうな。我ながらクズだなと思う。そんなんでさらに自分の欲を叶えようとしているの?いいわけない。いいわけないんです、本当は。(※あくまで私が私自身に思っていることです他意はありません)

だけどどこかで許されたがっている。「いいじゃん別に」と言われたがっている。誰に?多分、自分自身に。でもそんなの無理で。やっぱり、めちゃめちゃ唸って悩んで時には諦めて買うなら買うで無理矢理にでも尤もらしい理由をつけて...ってしないと、その葛藤を経てからでないと、先に進めない。自分でも面倒臭い性格をしているなぁと思うんですけど、それが今の私なんでしょうね。

ーーー

だからえっと...私はどうしたらいいんだっけ。どうしたいんだっけ。

物欲が生まれた時にどうしても罪悪感を抱いてしまうのは、①そもそも昔からそこまで強い物欲があったわけではない(かもしれない)というのがあって、それゆえに大人になって弾けた物欲にいまだ戸惑っているところがある(かもしれない)、そして②今の私には頑張っている自覚がなくて、そんな状態の私に自分の欲を叶える資格はないと思っているからで、だけどそれでも自分自身に許しを請いたくて、でもやっぱりそれはできないから、悩んで悩んで悩み抜いて決めることが今の私のとりあえずの落としどころ。まあそれはそれとしていつかどこかで頑張らないと一生頑張れなくなってそんな自分が今以上にどんどん嫌いになっていくぞ元々好きになれない性格をしているが!!!

ということか。

......ということなのか?

いや、でも、うん、言葉に直すってやっぱ大事だ。今日はなんだか部屋同様頭の中も散乱していて息苦しかったのだけど、この文章を書いているうちに少しだけ、ほんの少しだけ、とりあえず頭の中は整理できた気がします。疲れからか、あるいは本質的な問題の解決には至ってないからか、はたまた依然部屋の方は散らかったままだからか、まだ溜め息は止まらないけど。とりあえず、とりあえず今日はこれでいいってことにしよう。

悩みながら、葛藤しながら、自分の欲との心地よい距離を探っていけたらいいな。

ではまた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?