壁を挟んだ向こう側から

「ご飯よー」

 階下から聞こえる母の呼び声に、私は溜息とともに立ち上がる。家族全員でご飯。となると、あいつを呼ばなくてはならない。

 机から画用紙を引っ張り出し、大きく円を描く。その中に複雑な紋様。フリーハンドかつ資料もなしにできるようになったのは自分でもたいしたものだと思う。その後にはだいたい嫌気が差してくるのだが。

「■■■■!」

 それを床に敷き、呼びかける。人間には到底発音できないはずのその名を。
 
 直後、紙上の魔法陣は禍々しい光を天井に投影。すぐに空間を歪めると、どこのものともしれぬ闇へと繋げる。

 そこからまず降りてきたのは名城しがたい色彩の触手の群れ。そのうちの一つがあからさまに有毒性の粘液を床に垂らしかけ、別の一つが慌てたようにそれを掬い取る。

 次に覗いたのは蔦を絡み合って作ったような半球体。私は知っている。それの正体はのたくる角が形づくるタペストリーだ。その隙間からはいくつもの目玉が忙しなく動き、部屋の中を睥睨していた。

 そして最後に覗いたのは……薄紫色をした人間の顔だ。あるいは私にそう見えるだけで、本当はなにか別のものなのかもしれない。のたくる角を冠し、逆さに顔を覗かせたそれはあっさりと私を見つける。

 その顔は作り物のごとく整っていて、恐ろしく冷たく見えた。ぎちり、と軋みを上げてそれが満面の笑みを浮かべる……絵に描いたような三日月型の笑みに、絵に描いたような鋭い牙。

「オハ、ヨウ。コンニチハ、コンバンハ? 今は、どれ? カオル」

「こんにちは」

「そう、カ。供物の時間だナ?」

「……うん、まあ、そう」

 私は額に滲む冷や汗を拭う。いくら相手がフレンドリーでも、これと向き合うのは慣れない。あと食事のことを供物と言うのもやめてほしいのだが、一向に理解してくれない。

【続く】

#逆噴射小説大賞2019

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