此花シカク外観

シカク運営振り返り記 第1回 ミニコミ書店をやろうと決める(たけしげみゆき)

 2010年、デザイン系専門学校の2年生で就活生だった私は、大学の経営学部4年生で、のちにシカクの初代店長となるBと出会った。
(注・先に書いておくと、彼は2017年にシカクの経営を離れており、現在は私が店長改め代表となっている)

 私は昔から古本屋や骨董屋が好きで、「自分の好きなものに囲まれてお店をやること」に対する憧れを抱いていた。とはいえ具体的なビジョンを持っていたわけではなく、卒業後はとりあえず就職し、働いてお金を貯め、そのうちお店をできたら楽しいかもな、と漠然と思っていた。
 他方、Bは「社会の歯車になりたくないから独立した仕事をしたい」という、テンプレートすぎて一周まわって珍しい考えを持っており、その「独立した仕事」の選択肢のひとつとしてお店を持つことを検討していた。

 そんな我々が親交を深め、卒業後の生き方について話しているうち、Bから「二人とも卒業の時期が同じで、店をやりたいという思いが一致しているから、卒業したら一緒に店をやらないか」という提案が出た。驚いた私はこう答えた。
「いつかはやりたい気もするけど、とりあえずは就職して経験を積んだりお金を貯めたりしたい」
「そう言うけど、例えば30歳になって貯金をはたいてお店を始めたとして、失敗したら貯金はなくなるし、そこから再就職も年齢的に大変やろ。でもすぐお店を始めたら、もしうまくいかなくても別の道に行きやすいやん。失敗は絶対若いうちにしといたほうがいい」
 Bは大真面目な顔でそう言った。
 私はそのとき、就活があまりうまくいっておらず、そもそも別に就職したいわけでもなく、他の選択肢を思いつかないから流されるまま就活をしていただけだった。なので突然現れた店舗経営という選択肢に驚き、「なるほどそういう考え方もあるか」と安易に考え、じゃあ店をやろうと安易に口車に乗った。一応断っておくが、いくらなんでも今ならこんなに安易に人生の舵取りはしない。俗にいう若気の至りというやつだ。

 それでは何の店をやろうか、とあれこれ考えているある日、Bが数冊のミニコミ誌を私に見せてくれた。
「これ、ミニコミっていって、同人誌みたいなもんやねんけど、俺もこういうの作りたいねん。でもこういう本を専門で売ってるお店は、東京にはいくつかあるけど大阪にはないねん。だからこういう本を売るお店を始めて、そこで自分たちの本も売ろう」
 そのミニコミ誌の中には、現在もシカクで販売している「漫画少年ドグマ」「漫画雑誌山坂」「月刊ビル」といったタイトルも含まれていた。私は小学生の時から二次創作を愛するオタクだったため、薄くて大きくてアニメキャラなどが描かれた「いわゆる同人誌」には馴染みがあったが、その時に見た本は今までイメージしていた同人誌とずいぶん違っており、こういう世界があるのかとたいへん興味深く思った。
 
 昔から私は好奇心が強く、特に「自分の知らない/自分と異なる価値観」について知ることが好きだった。学生だった私にとって、それらを知る機会は歴史の授業であったり、文学や映画や漫画などといった作品の世界に限られていた。ところが現代の、現実世界の、それもこんなに身近に、こういった形で自分の価値観を本という形で表現する人々がおり、それにより構築されている世界が存在する。そう考えるとワクワクしたし、その世界をもっと知りたいと思った。
 私はBの提案に乗り、ミニコミのお店を作ることを決めた。

 この話をした時によく人から言われるのは、「ミニコミの世界に惹かれたのはわかるけど、だからってよくお店を作ろうと思いましたね」ということだ。
 確かに何もない状態でミニコミの存在に惹かれたとしたら、お店を作るなんて発想には至らなかったと思う。自分もミニコミを作るとか、イベントに参加するのがせいぜいだろう。だが私の場合、はじめに「店を作りたい」という目的があり、その商材を考えている中でミニコミに出会ったため、自分の中では特に違和感もなく自然とそういった発想に行き着いた。

 しかし自分にとっては自然でも、周り、特に家族にとってはそうではなかった。というか、つい最近までスーツを着て就職説明会や面接に行っていた娘が突然「卒業したら店をやる」なんて言い出したのだから、親も兄弟も当然猛反対、怒ったり泣いたり説得されたり家族会議を開かれたりした。
 そこで私はどうしたかというと、どうもしなかった。家族の反対を適当に聞き流し、卒業後に勝手に家を出て、勝手に店の開店準備を始めた。「もう20歳で大人だし、生活費も自分で稼ぐのだから、反対されたからといってやめる筋合いもあるまい」と思っていた。それに、店をやってうまくいかなかったらそれは自分の責任だけど、店をやらずに人生がうまくいかなくても家族が責任を取ってくれるわけじゃない。私はやらなかった理由を家族のせいにして、後悔したり恨んだりするのは嫌だった。

 とはいえ家族が問題視していたのは店をやること自体ではなく、やる理由の軽率さやビジョンの甘さだったので、反対した気持ちはよくわかる。私も逆の立場なら「ちょっと落ち着いて」と言っただろうし、当時でさえ「まあ反対する気持ちはわかる」と思っていた。それでもそのまま押し切ったのは、やっぱり若気の至りだ。

 とにかく、そうして私はミニコミ書店経営の道を歩き出した。
 次回は開店準備として具体的にどういうことをしたかについて書こうと思う。

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