見出し画像

あとさき

さいきん、多様性の時代感に後押しされているのか、女性のほうがうんと年上のカップル、いわゆる「逆歳の差恋愛」の話題が増えてきたように思う。


こういう話題がネットニュースになるたびに、決まってコメント欄は荒れる。否定派のメジャーな意見としては「今は良くても何年後はわからない」「ふたりの愛は10数年後に証明される。その時も別れていなければ大したもの」というもの。端的にいえば、女性側の容姿が劣化の臨界点を超えたら終わる関係性だという批判である。


まったくもって同意である。


が、しかし。

恋愛において、「いずれ別れるだろうから、付き合わない」という判断は果たして賢明なのだろうか。


というのも、後先なんて考えていたら超年下男子となんて、永遠に付き合えない。これはある意味、積極的な機会損失である。

この場合の【後先(抽象)】っていうのは、つまるところ【女性がフられてる未来(具体)】のことである。

とあるデータによると、男性の多くは自身の年齢に関わらず、20歳前後の女性をベストなパートナーと捉えるらしい。が、中にはわずかながら30代後半の女性が良いと思う男性もいる。ただし、そのマイノリティな男性たちは皆一様に、20代である。30代の男性が自分より年上の女性を好むことはめったにない、とのこと。てか、データに基づかずともそれくらいのことは肌感でわかるけどな。

ということは、男性はみな、年齢を重ねれば自ずと若い女性に目が向くということで、年上女性への好意は若さゆえのもの、ということだ。まだまだ若く、男性としても社会人としても自信がない、という精神的な未熟さが「俺が頑張らなくても優しくしてくれそう、リードしてくれそう」な雰囲気をもつ年上女性に好意を向けさせるのだろう。ただ、人は皆成長する。かつて出来なかったことがぐんぐん出来るようになり、自信がつき、これまで羨望の眼差しを向けていた年上女性のパフォーマンスを、自身もなんなくこなせるようになる。かつての少年たちはみな、男になり、今度はその能力を存分に発揮することになる。もちろん、そのパフォーマンスのレシピアントとしては、若く無垢な年下女性が適任だ。


とまあ、一般的な見解としては、いくら逆年の差恋愛なんてものが生まれようが、それは一過性のものであって決して長続きしない、というわけです。


加えて、女性の場合、容姿の劣化がすごい勢いで追い上げてくるわけです。白髪まじりのお肉のたるんだ女性に性的に興奮するだろうな、いやしない。(反語)

甘い関係は、今だけ。
どうせ捨てられる、遅かれ早かれ、陽炎のように消えて無くなるもの。男性は去っていき、あとには初老の独り身が残るのみ。

 

これが【後先】。

恋愛に限らず、世間では「後先考えて行動する」ことが美徳とされている。


しかし、その後先を考えないで行動したからこそ享受できたものが確実にあるはずだ。

人はいつも「今、このとき」の感情に支配されるから、受け取ったもの(蜜時)が流れていったあとにそのときの楽しかった気持ちまでも忘れてしまう。それだけの話だ。


つまり何が言いたいかというと、

A 期間限定の恋愛を味わう楽しみ
B 関係喪失による途方もない苦しみ

とを天秤にかけて、どちらを取るか、という話になるということである。


いま、逆歳の差婚、(あるいは恋愛)をしている女性でこのことを分かっていない人はおそらくひとりもいないのではないか。


むしろ誰よりも痛切にわかっているだろう。


I might hate myself tomorrow, but I'm on my way tonight. Let's be lonely together.

明日になれば、後悔しちゃうかもって分かってる。だけどもう、今夜はあなたにあわずにいられない。 寂しさを持ち寄ろうよ


Aviciiの『Lonely Together』は、刹那的な幸福でいい、後先なんて考えられない、って歌ってるようで、切なくて好き。


後先なんて、きっとみんな薄っすら知ってる


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?