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春の夜は浮かれてしまう

休日である。
休日であったのだが切なき人体のシステムによって早朝目覚め、渋々這い出た熊、いな僕である。

それで用を足したところでさてさて至福の二度寝と参ろうかと弾む気持ちでの寝床への戻りかけ、読みかけの雑誌があり気になり手にとってしまったのが後の祭り。
知識を広げたいと思い付きで週刊東洋経済を購読し始めた僕はあまりの常識の無さに苦戦しつつも、(多少は情報を入れておかないと偏って偏りすぎて起き上がれなくなる!)危機感をモチベーションにきちんと机に座って本を読み、わからないところをネットで調べ、また得た情報をNotionにまとめる!
なんて立派なことをやってしまった。

だから僕は今日すでに有意義である。
タスクコンプリート。

けれど何だか今日も適当に綴りたい気持ちが溢れてしまったので、満たすまま適当に繕っていくおなじみの記事を、本日も1作書き上げたい。春もそれを大いに後押しするのだ。

鹿田です、よろしく。

しかし春とは、どうしようもなく浮かれさせる力を持っている。
と、僕は常々思っている。

春=[夏の序章に過ぎない]


だから当たり前のことなのだが、そんな理性で感じる以前にやはり春にいると体は勝手に浮かれ、気を抜けば上空まで飛んでいきそうになる。
匂いもそう、風もそうだ。

そして風といえばやっぱり夜の風。張り詰めていた空気が一気に解けて、ほわんとした、生ぬるい風が地肌に当たると一冬貯めざるを得なかった緊張もまた一気に解けて、体から緊張が抜けきると今度は、春を含むため大きな大きな深呼吸がしたくなる。そして気持ちよくゆっくりと息を吐き出して。
身軽になったならスキップで土手に向かい、その月と川面のそれを交互に見ることを愉しみながら缶ビールを飲んで、ずっと過ごしていたくなる。

冬は夜を支配するが、春や夏は夜を開放する。
もちろん春夏には昼間の散歩もいいが、夜の散歩もいい。それはやはり特に夏だが、あのどくとくの怪しさは一度味わったらそうそう忘れられるもんじゃない。
なんとなく歩きだして、ぬるき風の行き先を探って、時々空の月を確かめる。もしかしたら月は時々裏側を見せているんじゃないかとか、ぬるき風のその行き着く吹き溜まりには知らない街があるのかもしれないとか、考えるだけで僕の頭も春になっていく。

春風が吹いていて、ずっと当たる手の甲や首が温かい。ずっと夜の淵を散歩していけるのは、あの時々ある疲れない体状態にあるから。いつまでも歩いていられそう。そのうち僕の思う春と夜は共感覚で一緒になり、はしたいろ・・・・・の風が見えて、それが僕を、僕らを包んでいく。

その隙間に一筋の、冷たい風が吹き、その風だけは反対方向に突き進む。


振り向くとそれは目前で散り散りに消え去って、呆然としている僕の目の前には大きな大きな満月が浮いていた。

錯視の月め

とその頭上の巨大満月に向かって呆れたように僕がいうと
月が

策士の月さ

というので、僕は負けて大笑いして倒れ、寝転んで、サクラの匂いの風を今度は目を閉じて感じて静かに息を吐いた。

月はもうすでに隣りにいて、ほら、となにか僕の頬に冷たいものをくっつけた。
触れるとそれは缶ビールで、最近僕が気に入っている『サクラビール』だった。
(やっぱりわかっているねぇ)と心のなかで降参する。
そして

「かんぱい」

と、杯を交わした。


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