字幕ナシで洋画を観るとかいう激ムズ案件
こんにちは、Shikaです🦌
「字幕ナシで洋画を観る」、英語を習得したい人は一度は夢見るのではないでしょうか?
私の考えとしては、これ激ムズ案件です。この記事のタイトルの通りです。なんでなん?ってところを書いていきますね。
まずは皆さんに肩の力を抜いていただきたいので、ちょっと質問を投げかけてみたいと思います。
皆さん、以下を見て(読んで)どのようなイメージが頭に浮かびますか?
こんな感じ?
或いはこんな感じ?
おそらく、「沖縄」という固有名詞に紐づくイメージがいくつか頭の中に浮かんだのではないかと思います。
一方で以下を見て(読んで)頭の中で何かイメージは浮かびますか?
どのようなイメージが頭の中に出てくるかは人によると思います。全く何も出てこない!って人もいるはずです。
私の場合は、以下のイメージが鮮明に浮かびます。なぜかというとChicagoのことを知っていて、もっというとChicagoに実際に行ったことがあるからです。
ここで、仮にとある探偵が超難事件を解決する洋画Aがあったとしましょう。出演者、ストーリー、展開、演出などが全く同じであったとして、「舞台が沖縄の洋画A」、「舞台がChicagoの洋画A」、どちらが観やすいですか?親近感を持って観れますか?
一部のコアなChicago通を除き、ほとんどの人が「舞台が沖縄の洋画A」の方が親近感を持って観れるのではないでしょうか?(ところでなんで私は沖縄に一回も行ったことがないのに、この記事で沖縄を例に出してしまったんだろう笑)
例えば、その洋画の登場人物が「Kokusai-Dori」という言葉を発した場合、私たちは「ああ、The 観光地のあの通りね」と頭の中でイメージができます。沖縄に行ったことのない私でもイメージができるので、実際に沖縄に行ったことのある人はより鮮明にイメージができるはずです。そして頭の中の国際通りとそれに関連づく様々なもの(ソーキそばもその一つ)のイメージをベースにその洋画を観ることができます。
一方で、「舞台がChicagoの洋画A」において、主役の探偵が、犯人を追っている仲間の助手と電話をするシーンがあったとします。カメラは主役の探偵を映しており、仲間の助手は画面上にはおらず、電話口の声のみ聞こえています。やや緊迫したシーンです。
ここで、
"The suspect is hiding behind The Bean!"
というセリフが聞こえてきたら、皆さんこの状況をクリアにイメージできますか?
上のセリフ、文字にしていることもありThe Beanが固有名詞であることがわかりやすいですが、緊迫したシーンで早口でこのセリフが聞こえてきたら「え、今この人、豆のbeanって言った!?」と一瞬頭の中に空白が生じるのではないかと思います。もしかしたら気になって「the beanってなんだべ?」と頭の中で考えてしまうかも。その間に映画はどんどん次のシーンに進みます。
The Beanというのは、シカゴのミレニアムパークという公園にある大きな銀色の彫像です。正式名称はCloud Gate、豆のような形をしているので愛称としてThe Beanと呼ばれています。
上のセリフはこの銀色の大きな彫像の後ろに犯人が隠れているシーンをイメージして書いてみました。Chicagoとその有名なもの、この場合はThe Beanを知っているか否かで、セリフが意味することをクリアにイメージできるか否かが分かれますね。
一例としてお書きしましたが、つまるところ、字幕ナシで洋画を観て・内容を100%に近い水準で即座に理解できるのは、ネイティブ又は「ネイティブとほぼ同等の人」、ということになると私は考えています(※「ジャンル問わずに」という前提があります。後述。)。
これは英語力だけの単純な話ではないと思います。上の例は固有名詞への理解があるか否かをベースに書きましたが、他に英語圏の国々の文化、習慣、教養、地域特有のトピックや常識などへの理解が求められると思います。ちょーハードル高くないですか🫠?これが私が字幕ナシ洋画鑑賞を激ムズ案件だと考えている理由です。
これ、例えば日本にいながらめちゃくちゃ頑張ってイマージョンラーニングを続けても中々難しいのではないかと思います。私の考えでは、「ネイティブと同等の人」になるには、英語圏の国でネイティブと全く同じ生活を少なくとも数年以上継続し続ける必要があるんじゃないかな?と思っています。これに該当するのは、例えば、帰国子女の方とか、何年もネイティブの奥さん/旦那さんと英語圏で生活している方とかかなと思います。
ちなみに私はアメリカに2年半駐在していましたが、ネイティブの生活とは異なる「英語圏にいる日本人の生活」を送っていたので、勿論ネイティブと同等の人にはなっていないです。大抵の駐在員がそんな感じだと思いますがどうだろ?
ところで、上に「ジャンル問わずに」と書きました。例えばアクション映画のような、映像で話の展開が理解し易い映画だと、ネイティブと同等の人でなくとも字幕ナシで洋画を観るハードルはぐっと下がると思います(例えばマーベルの映画とか)。一方で、若者や女の子同士の日常会話がバンバン出てくる洋画だと、特定の固有名詞やスラングが多用されるので、結構理解が難しくなると思います。
個人的な考えですが、字幕ナシで洋画を観るというのは上述の通りかなり大変なので、あまり拘らなくても良いんじゃないかな?と思います。
(いや、まあ気持ちはめちゃくちゃわかるよ?たまにすごいいまいちな字幕とかあるし、真に洋画を楽しんで味わっているのはやっぱり字幕ナシで観られる人だと思うし!)
かなり大変という理由の他に、字幕ナシにこだわっていると多分ストレスが溜まるんじゃないかな?と思うんです。よし!今日は字幕ナシで洋画を観るぞ!と意気込んで字幕OFFで映画を観始めても、すぐわからない言葉に遭遇して、「あ、また何言っているかわかんない。。。」って落ち込みません?そして、洋画を観て楽しんで味わうという本来の目的が達成されなくなってしまいます。
私は、洋画を観るのって英語を習得していく上で重要な「体験」🌏の一つだと思っています。ただ、「字幕ナシで洋画を観る」という目標を課した瞬間に、それは「学習」に変わってしまう気がします。(あ、洋画の一部分のシーンとかを切り取ってシャドーイングしたりするのは全然アリだと思いますので、誤解のないように!)
映画って面白いじゃないですか?
たまたま興味のある映画が洋画だった場合、自分がその作品を最も理解できて楽しめる方法を取れば良いんです。その方が、その作品を味わって気持ちや考えが生まれて人生ハッピーじゃないですか?てか、その映画の内容を理解しておいた方が、いつかネイティブとその映画の話をしやすそうじゃないですか?
真面目で頑張り屋さんな人ほど、英語と向き合う上でストレス溜めてしまいそうな気がします。そんな人に肩の力を抜いてもらうために、今日は「洋画」に絞って書いてみました。ではまた!
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