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竹内まりや『Inpressions』

obsession

1994年、私はこのアルバム収録曲を新曲とは露知らず母が作るカセットテープの中でいつも出掛ける車の中で好んで聴いていた。
どの曲に思い入れがある以上に竹内まりやの歌が好きで今では最近の歌手に歌い継がれている『シングル・アゲイン』はカバー曲で多くの場合解釈されている切なさや喪失感を本人は実際には含みなく歌っている。実にあっさりと、まるで朝食を摂るように。現代人は朝食を抜きがちだから『シングル・アゲイン』で歌われる歌詞ひとつひとつにそういった感情が伴ってしまうのだろう。それは『恋の嵐』や『もう一度』を聴けば竹内まりや歌手としての表現力が他意ではないことが分かるはずだ。個人的には『元気をだして』を聴くといつも気持ちが明るくなる、幼い頃からの子守唄のように聴くと落ち着く。歌詞は失恋した友人を励ます内容だが、当時中学生だった自分にでもこの歌で竹内まりやが歌唱する意味は理解が出来た。それは20年以上経つ今でも変わらない、竹内まりやを聴いて慰められる。そんな親近感は自分だけではなく聴く人のほとんどが同じような感覚だと思う。そして『告白』だ、この曲を例えるなら、クリント・イーストウッド監督作品に挙げられる救いのない結末に心を奪われるような力がある、重みというよりそれはオブセッションで、初めから見なければよかったというものだ。それでも映画の内容を語れるように、完璧に歌詞が体に染み渡り歌える自分がいる。『告白』こそ圧倒的な失恋の歌なのにカバーされないのはこの曲が竹内まりやだけで終わらせたいくらい酷く重い歌だからである。そこから『純愛ラプソディ』を歌う竹内まりやの奥の深さ。『家に帰ろう マイ・スウィート・ホーム』そして衝撃的な結末を迎えるそれこそ映画のような描写に胸が潰される名曲『駅』不倫をしていた自分への未練を歌ったこの曲を超そうとは今の時代の歌手こそ誰一人としていない。不屈のアルバム。

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