世界の国々シリーズ(5) スウェーデン
世界の国々を知っていくマガジン
ニュースに触れても世界の国々のことやその歴史を知らないでいるとほとんど理解できません。なのでまずは世界の国々のことを少しずつ調べていき、このマガジンにおさめていきます。世界には196カ国もあるみたいです。
スウェーデン
スウェーデンは王国。日本と近い立憲君主制。スカンディナヴィア半島にあり、ノルウェーの隣。人口は、1000万人。首都はストックホルム。国民の多くは北方ゲルマン人(スウェーデン人)。言語はスウェーデン語。国教はルーテル教会。キリスト教。民主主義の成熟性が高く、民主主義指数では世界3位。ジェンダーギャップも低く、男女差別が少ない。
どこ?
スウェーデンは、スカンディナビア半島の東側にあり、西側でノルウェーに接しています。南北に細長い国であり、国土の約7分の1が北極圏内にあります。国土の大半は森林地帯であり、主に中部以北に広がっています。南部は肥沃な平野。国土の大部分は冷帯に属するが、南部は北大西洋海流の影響を受け、温帯であり、高緯度にもかかわらず比較的温暖。冬季は、シベリア大陸の気候に支配され、寒さが厳しい。高緯度にあるため、夏期は昼が長く、冬は夜が長い。
正式名称
政体
政体は立憲君主制。国家元首である国王は、国家の象徴であり、儀礼的職務のみを行う(象徴君主制)。日本に近い。1974年改正後のスウェーデン憲法では、通常の立憲君主国の君主が有する首相任命権をはじめとするすべての官吏任命権を形式的にも失っています。
国王の権能は情報閣議による大臣からの情報収集(いわゆる内奏)や外国使節の接受など、もっぱら儀礼的な機能に限られています。
国王
首相
国旗
青地に金のスカンディナヴィア十字(後述)が描かれています。金十字旗とも呼ばれます。このデザインと色使いは、1442年に制定されたスウェーデンの国章に由来するものと考えられています。この国章では、青字が金色のクロスパティーで4つに区切られており、デンマークの国旗に倣ったもの。ただし、青と黄色の色使い自体は、少なくとも1275年に制定されたスウェーデン王・マグヌス3世の王室の紋章で既に使われています。この国旗に使われた色については、青は澄んだ空、金はキリスト教・自由・独立を表していると言われています。
スカンディナヴィア十字
(Scandinavian Cross)またはノルディック・クロス(Nordic Cross)。北欧地域で良く見られる十字。左側に交点が寄った横長の十字であり、国旗や地域の旗などに用いられています。デンマークの国旗が基。スカンディナヴィア十字が使用されている国旗は、スウェーデン、デンマークの他に、アイスランド、ノルウェー、フィンランドの合計5カ国。
国章
スウェーデンの国章。上の国章は最も高貴な国章で、王室発行の公文書等、ごく一部のみで使用されています。国章の中央に描かれているのは、スウェーデンを象徴する王冠と盾。二頭の顔を後ろに向けた両足立ちの二尾のライオンがサポーター。盾の中央部にはスウェーデン王室の個人紋章が配されています。
一般人が見かける事が最も多いのは略章の方であり、オリンピックや各種スポーツの世界選手権等でスウェーデンの選手団が着用するジャケットなどにも国旗以外に略章があしらわれることが多くあります。各種スポーツの大会で、スウェーデン代表をさして「トゥレー・クローノー (tre kronor)」(「三つの王冠」という意味)というのも、この略章に描かれている逆三角形状に配された三つの王冠に由来しています。略章下部の色、青と黄色もスウェーデンの国旗と共通しています。
公用語
首都
人口
宗教
福音ルーテル教会がスウェーデン国教会。近年、記録的な数のスウェーデン人が教会を去っています。 スウェーデンの若者たちは上の世代よりも加入率が低く、会員数の継続的な減少が予測されています。
通貨
スウェーデン・クローナ(SEK)。通称「セック」。スウェーデン・クローナはスウェーデン中央銀行(Sveriges Riksbank)が発行しています。
インフレ率
2.1%(2019年)
国土面積
経済成長率
GDP(PPP)
GDP(PPP)IMF一人あたり
軍事費
合計特殊出生率(2018年)
合計特殊出生率(英:total fertility rate、TFR)とは、人口統計上の指標で、15~49歳までの女性の年齢別出生率を合計したもので、一人の女性がその年齢別出生率で一生の間に産むとしたときの子供の人数に相当します。この指標によって、異なる時代、異なる集団間の出生による人口の自然増減を比較・評価することができます。
ジェンダーギャップ指数
ジェンダーギャップ指数(Gender Gap Index:GGI)とは、世界経済フォーラム(World Economic Forum:WEF)が公表する、各国における男女格差を測る指数(※5)
民主主義指数
民主主義指数とは雑誌『エコノミスト』が算出する民主主義の度数を示すもの。毎年更新。
ジニ係数
国際連合児童基金(Unicef)によれば
幸福度ランキング
自殺率
スウェーデンの軍隊
陸海空軍の三軍からなる。1812年にフィンランド奪還を断念、それ以来中立政策。冷戦時代は、ノルディックバランス(アメリカ寄りのデンマークとノルウェー、中立のスウェーデン、ソ連寄りのフィンランド、いわゆる「北欧の均衡」)に則り、NATO寄りの中立政策だった。しかし第二次世界大戦で軽武装がゆえに脅威にさらされた教訓から、強い防衛力を追求するようになる。
バルト海を挟んでソ連の軍事的圧力にさらされ、1952年にはスウェーデン機撃墜(カタリナ事件)、1981年にはソ連の潜水艦による領海侵犯と座礁事故が発生。この座礁事故を「ウイスキー・オン・ザ・ロック」という。理由は、座礁したソ連の潜水艦がウイスキー級潜水艦だったため。
1992年には中立政策を放棄し、軍事的非同盟を選択。2000年代に入り、徴兵制が廃止。しかし国防費に見合う要員が確保できなくなり、2018年から男女とも対象とした徴兵制が復活。
略史
800~1050年頃 ヴァイキング時代
スカンディナヴィアは小王国が乱立していたが、スウェーデン、デンマーク、ノルウェーの3国に収斂していく。ローマ人から「北の人」という意味の「ノルマンニ」と呼ばれる。略奪を行うノルマンニを「ヴァイキング」と呼んだ。
12世紀 エーリク9世によるフィンランド進出(北方十字軍)が行われ、フィンランド南部を併呑。
1389年 スウェーデン王アルブレクトがデンマークに敗れ捕虜となり、王位を剥奪される。
1397年 カルマル同盟によりデンマーク王がスウェーデン王として即位。デンマークとノルウェーの摂政であるマルグレーテ1世のもとでカルマル同盟が結成され、スウェーデンはデンマークの支配を受けることになる。
1430年代 デンマーク支配からの脱却を試み始める。デンマークによる弾圧は1520年、クリスチャン2世による「ストックホルムの血浴」で極点に達する。このような弾圧に対し、スウェーデン人はグスタフ・ヴァーサを指導者として蜂起しました。ハンザ同盟の助力も得て独立を勝ち取り、ヴァーサ朝が開基される。
1523年 グスタフ1世(グスタフ・ヴァーサ)即位。デンマークから独立。
1630~1648年 グスタフ2世アドルフ、三十年戦争に介入。ウェストファリア条約で大国としての地位確保。
1655年 北方戦争。ポーランド、デンマークと戦争を起こし、1661年まで続く。1658年 デンマークからスコーネを奪い、スウェーデンは膨張の極みに達する。スウェーデンの絶頂期とも言われている。
1697年 カール12世が即位
1700年 バルト海の出口を求めるロシアのピョートル1世、デンマーク・ポーランド連合軍と大北方戦争を戦う。スウェーデンは開戦初期にデンマークを同盟から引きずり下ろし、ロシアとのナルヴァの戦いにも勝利して、カール12世は「北方のアレクサンドロス」の異名をとる。スウェーデンは一時ポーランドを傀儡国家にすることに成功し、1706年にスウェーデンの勢威は再び頂点に達する。しかし対ロシア戦におけるロシア遠征において、冬将軍と焦土作戦によってスウェーデン軍は疲弊し、1709年のポルタヴァの戦いで大敗。カール12世はオスマン帝国に落ち延びる。バルト海でもロシア海軍に敗北し、制海権を失う。1718年にノルウェー侵攻中のカール12世が戦死し、バルト帝国は崩壊した。
1772年 啓蒙専制君主グスタフ3世がクーデターによって王権を復活させ、1790年までに絶対君主制を復活させる。外交ではフランス王国と提携し、エカチェリーナ2世時代のロシア帝国と対抗した。グスタフ3世はロシア・スウェーデン戦争を起こし、バルト海でのパワーバランスをある程度回復させる。グスタフ3世はスウェーデン中興の実を挙げたが、1792年に暗殺される。
1789年 フランス革命戦争が起こり、ナポレオン1世が登場すると、スウェーデンは第三次、第四次対仏大同盟に参加するが、敗北。
1809年 フランス帝国の強制でフィンランドをロシアに譲渡することになった。この年、国王グスタフ4世がクーデターにより廃位され、立憲君主制に体制を改め、翌年にナポレオンの元帥ベルナドットを王太子に迎えた。後のカール14世ヨハン。スウェーデンは王太子カール14世ヨハンの元でヨーロッパの解放に重要な役割を果たし、ナポレオン戦争において戦勝国となる。しかしフィンランドのロシアからの奪還は諦め、代償としてノルウェーの獲得に留まることとなった。スウェーデンは戦勝国であったが、フィンランドや西ポメラニアなど、大陸側の領土を失う。しかしフランス人であるベルナドット(カール14世ヨハン)の合理的な思考の元で、スカンディナヴィア半島の統一を幸運にも成し遂げ、以後のスウェーデンは保守主義に転じ、北欧はより一体化していく。
1814年 ナポレオン戦争後、キール平和条約締結。以降非同盟・中立政策。
1818年 フランスから迎えられたカール14世ヨハンが国王に即位(現在のベルナドッテ王家始まる)。
19世紀なかば ナポレオン戦争後のスウェーデンは、カール14世の政策により今日の中立主義の芽が蒔かれたが、19世紀半ばになると、北欧全土が列強(グレートブリテン及びアイルランド連合王国・フランス王国・オーストリア帝国・プロイセン王国・ロシア帝国)の脅威にさらされるようになり、スウェーデンを中心に汎スカンディナヴィア主義(ノルマン主義)と呼ばれる運動が、北欧諸国民の間で盛んになる。これは列強への対抗心からの北ヨーロッパ統一の機運の高まりだった。この運動を利用して、1873年のスカンディナヴィア通貨同盟の成立は、汎スカンディナヴィア主義の数少ない成果であったが、1914年に解消される。ナポレオン戦争以後は戦争に直接参加しなかったため、スウェーデンには平和が到来した。学芸と科学技術が大いに発展し、探検家ヘディン、作家ストリンドベリ、経済学者ヴィクセル、ダイナマイトの発明者でノーベル賞の設立者ノーベルなどの偉人が現れた。
1866年 二院制議会が置かる。
1868年「大日本国瑞典国条約書」締結、外交関係開始。
1905年 平和裏にノルウェーの独立を認める。
1908年 成人男子による普通選挙制度が導入される。
1914年 第一次世界大戦、スウェーデン、ノルウェー、デンマークの北欧3国王は、中立宣言を行う。
1920年 労働者を支持基盤とする社会民主労働党が政権を獲得。アメリカ合衆国をはじめとした北アメリカへの大規模な移民が20世紀初頭まで続く。
1939年 第二次世界大戦勃発。第二次世界大戦ではナチス・ドイツの侵攻の危機にさらされたが、ヘルマン・ゲーリング(ドイツの軍人、政治家)の執り成しによって中立を維持することに成功した。第二次大戦中には、迫害されていたユダヤ人の救出に尽力したラウル・ワレンバーグや、1945年の春にスウェーデン赤十字社とデンマーク政府が協力して強制収容所から助け出されたユダヤ人を中立国のスウェーデンへ脱出させる白バス計画が実施された。
1939年 ソ・フィン戦争(ソ連とフィンランドの間で戦争)におけるスウェーデンの中立は、フィンランドを失望させる。戦後はよりフィンランドに配慮するようになり、ソ連を刺激しないため、スウェーデンはNATOにも加盟せず、武装中立政策を推進した。こうした情勢の中で北欧は、ノルディックバランスの時代に入る。冷戦時代においては、ノルディックバランスを構築するも、スウェーデンの中立政策は、度々ソビエトに阻害された。その都度外交問題となったが、スウェーデンは西側諸国の助けを求めることは無かった。(ただし、冷戦が「熱戦」になった場合のみ、スウェーデンも西側に立ってソ連と開戦する密約をNATOと結んでいた事が冷戦終結後に明らかとなっている)。バルト海は、冷戦時代の東側諸国との最前線でもあったため、自力で国防を高めねばならなかった。1950年代 - 1960年代のスウェーデンの原子爆弾開発計画もその一環であり、計画が頓挫した後は、独自の潜水艦・戦闘機・戦闘車両などの開発に重心を置き、冷戦期は重武装中立国家だった。
1946年 国連加盟。スウェーデンに限らず、北欧諸国が国連において中立的かつ人道的な姿勢をとったことは「北欧ブロック」と呼ばれ評価されている。
1991年 ソ連崩壊。冷戦後は、スウェーデンにとって直接脅威となるような国は見られなくなったため、軍事予算は削減し、2010年に兵役の義務は廃止された。そして中立主義も事実上放棄し、他国との協調関係を構築するようになる。しかし現在においてもスウェーデンは、軍需産業を推進し、近世以来の武器輸出国としての実績と伝統を今日まで維持し続けている。
1995年 欧州連合(EU)加盟。スウェーデンが世界に誇る福祉政策は、1932年から1976年まで続いた社会民主労働党政権によって推進された。この政策は第二次世界大戦後の経済成長期にスウェーデンを世界有数の「福祉大国」(福祉国家論におけるスウェーデン・モデル)にすることに成功したが、1990年代には行き詰まりを見せはじめる。1991年の総選挙で半世紀ぶりに政権交代がなされ、保守政権が誕生した。しかしこの政権は経済運営に失敗し、1994年には社会民主労働党が政権を奪還する。新政権は福祉政策の弱点であった国際金融での立場の弱さを克服するため、EUの加盟にこぎつけた(1995年)。社会民主労働党政権は、経済を順調な成長軌道に乗せ、1997年には財政再建に成功する。再建された財政でスウェーデン人は再び福祉政策を増強することを選び、現在に至っている。社会民主労働党は、2006年に穏健党に政権を譲ったが、2014年に再び政権に返り咲いた。両党とも福祉国家擁護の立場をとっており、政策の違いは現在の処、ほとんど無くなっている。北欧諸国は、1960年にイギリスを中心とした欧州自由貿易連合(EFTA)に加盟した。しかし1973年にデンマークはイギリスと共に欧州経済共同体(EC)に加盟した。これは北欧の経済力が西欧の経済力に比して弱い立場にあったため、ECの存在を無視できなかったため。スウェーデンは以後もEFTAに留まったが、冷戦終結後、1993年にECが欧州連合(EU)として再編されると1995年にスウェーデンはフィンランドと共にEUに加盟した。しかしスウェーデンは、欧州為替相場メカニズムへの不参加によってユーロ導入が不可能となっている。穏健党は、ユーロ導入に肯定的であったが、政権交代もあり、現在は白紙の状態にある。
まとめ
平和そうにみえて、昔はヴァイキングの国だったのと、軍事産業が盛ん。武器は独自開発。ノーベル賞のノーベルがダイナマイトの発明だったことを想起する。おもしろい国。
参照
※1:Wikipedia
※2:外務省
https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/spain/index.html
※3:Wikipedia (English)
https://en.wikipedia.org/wiki/Spain
※4:人間開発指数
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E9%96%93%E9%96%8B%E7%99%BA%E6%8C%87%E6%95%B0
※5:ジェンダーギャップ指数
https://www3.weforum.org/docs/WEF_GGGR_2020.pdf
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