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経済を知る:アダム・スミスって何?

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冒頭のまとめ

ざっくりアダム・スミスについて知るだけで、「レッセ・フェール」という現代にも見る思想の源流を知ることができるし、アダム・スミスの思想の時代背景も想像できるようになります。そして重農主義ってなに?という興味も湧きました。重農主義は、中国の毛沢東にもみる思想です。アダム・スミスって、単に「見えざる手」の人ってだけじゃなくって、人間がどう考えて、どう行動するのか、を経済活動を通して理解しようという現代の行動経済学の基礎ににあるような『道徳感情論』という思想も確立していて、すごいぞ!

アダム・スミスをおさえてみよう

以前「経済」の語源について解説しましたが、マクロ経済学やミクロ経済学、行動経済学などをしっていくまえにちょっと軽く、経済学の始まりのほうに触れてみたいと思います。「経済学の父」と誰が読んでいるのかわかりませんが、呼ばれているイギリスのアダム・スミスさんってどんな人?何をした?をおさらいしてみたいと思います。

アダム・スミスはいつのひと?

アダム・スミス(Adam Smith)は1723年に生まれ、1790年に死去文学ならゲーテと、音楽ならヴィヴァルディ、バッハ、ハイドンと重なります。日本なら「暴れん坊将軍」の徳川吉宗が征夷大将軍に在職している期間(1716年 - 1745年)にスミスは誕生しています。

どこのひと?

スコットランド。まだアイルランドと合邦する前で、スコットランドとは合邦しているので、イギリスは「グレートブリテン王国」でした。スコットランドと合邦したのが1707年で、アイルランドと合併するのが1801年。イギリスもまた歴史でそのフレームが変容しています。

アダム・スミスはスコットランドのカーコーディ(Kirkcaldy)という海沿いの街で誕生しました。




何をした人?

アダム・スミスは、哲学、倫理学のひとでもあり、彼が書いた本の『道徳感情論』(1759年)は倫理学がテーマでした。『国富論』(1776年)が経済学書です。

スミスの時代のイギリス「グレートブリテン王国」は、政治の民主化、科学の普及と技術革新、経済の発展といった「啓蒙の世紀」のさなかにありました。発展と同時に格差と貧困、財政難と戦争という深刻な社会問題もある時代でした。

『道徳感情論』

『国富論』が経済学に属する本であるのに対して『道徳感情論』は倫理学に関する本。スミスの本はこの二冊。『道徳感情論』は、「秩序だった社会において人々は法の下で安心して生活を送ることができるが、その根幹に、人間のどのような本性があるのだろうか」ということがテーマ。スミスは、社会秩序が人間のさまざまな感情が作用し合った結果として形成されると考えていました。『道徳感情論』の原題The Theory of Moral Sentimentsで、Sentimentsが複数形なのは、この「さまざまな感情」を反映したもの。

『道徳感情論』において、スミスが社会秩序の要因と考えた感情とは、共感(symphathy)でした。共感とは、他人の感情および行為の適切性(property)を評価する能力。この共感能力と利害の関係のなかで人々は行動を決定し、選択するものだとうのが、この著書での考え。実際には、そのうえでどうしたら良いのかということも含んだ思想論。

読むとなかなか難しいぞ!『道徳感情論』

『国富論』

原題は、“An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations”となかなか長い。1776年に出版。全5篇で構成されています。「経済学の出発点」と位置づけられています。同時に社会思想史上の古典とも捉えられています。

「見えざる手」

invisible hand。『国富論』で使われている表現で、の第4編第2章などに現れる言葉。投資家が利己心に従い行う資産運用が、結果あたかも「見えざる手」に導かれるかのように、全体としての効率的な投資を実現し、経済を成長させることを論じています。その逆に、他人の個々の投資行動を指図しようとする行為は、誰も責任を取れない行為であり、有害であるか無益なものにと考えています。これが、次の「レッセ・フェール」につながっていきます。

各個人が自己の利益を追求すれば、結果として社会全体において適切な資源配分が達成されるという考えでした。個人が利益を追求することは一見、社会に対しては何の利益ももたらさないように見えますが、各個人が利益を追求することによって、社会全体の利益となる望ましい状況が「見えざる手」によって達成されるとスミスは考えました。


レッセフェール(自由放任主義)

レッセフェール(laissez-faire)とは、フランス語で「なすに任せよ」の意味の言葉。元来、この言葉を最初に使ったのはフランスの重農主義者。重商主義に反対する立場からの「スローガン」として用いられたものでした。これをアダム・スミスは、『国富論』のなかで体系化しています。「自由競争によって見えざる手が働き、最大の繁栄がもたらされる」と主張の、自由競争の部分が、このレッセ・フェールに相当する考えです。しかしアダム・スミスは「自由放任」については直接言及してはいません。

1870年代になり、アルフレッド・マーシャルによって体系化された新古典派経済学にもこういった自由放任主義の考え方は引き継がれています(けっこう諸説あり)。そして、ジョン・メイナード・ケインズの1926年の著作『自由放任の終焉』によって否定されます。

現代でも、このレッセ・フェールという思想は生き続けていて、「市場原理主義」、「新自由主義」と呼ばれています。政府の介入を排し、規制緩和・自由主義による競争促進政策が、経済を強くするため必要という考えで、イギリスのマーガレット・サッチャー、アメリカのロナルド・レーガン、日本の小泉純一郎による構造改革路線はこの経済思想だという指摘もあります(※1)。

なかなかこちらも分厚いし、読むの大変でした。

『国富論』に至る流れにあるもの

ジョン・ロック(イギリスの哲学者)、フランソワ・ケネー(フランスの医師であり、重農主義経済学者)、ジャック・チュルゴー(フランスの政治家であり、重農主義経済学者)などの思想が、アダム・スミスの『国富論』を形成する過程に存在しています。

アダム・スミスの年表

  • 1723年 スコットランドカコーディに生まれる

  • 1740年 オックスフォード大学に入学

  • 1746年 オックスフォード大学を退学

  • 1748年 エディンバラ大学で文学と法学の講義を始める

  • 1750年 スコットランドの哲学者デイヴィッド・ヒューム(David Hume)との親交が始まる

  • 1751年 グラスゴー大学論理学教授に就任

  • 1752年 グラスゴー大学道徳哲学教授に転任

  • 1759年 『道徳感情論』を出版

  • 1763年 グラスゴー大学を辞職

  • 1763年 - 1766年 家庭教師として貴族に同行し、フランスやスイスを遊学

  • 1776年 『国富論』を出版

  • 1778年 スコットランド関税委員

  • 1787年 グラスゴー大学名誉総長に就任

  • 1790年 エディンバラで病死。遺言によりほぼ全ての草稿は焼却される

  • 1795年 焼却されずに残った草稿が『哲学論文集』として出版される

  • 1895年 グラスゴー大学時代にスミスの講義を受講した学生のノートが発見される


最後のまとめ

ざっくりアダム・スミスについて知るだけで、「レッセ・フェール」という現代にも見る思想の源流を知ることができるし、アダム・スミスの思想の時代背景も想像できるようになります。そして重農主義ってなに?という興味も湧きました。重農主義は、中国の毛沢東にもみる思想です。アダム・スミスって、単に「見えざる手」の人ってだけじゃなくって、人間がどう考えて、どう行動するのか、を経済活動を通して理解しようという現代の行動経済学の基礎ににあるような『道徳感情論』という思想も確立していて、すごいぞ!

参考

※1:橘木俊詔 (著)『朝日おとなの学びなおし 経済学 課題解明の経済学史』



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