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初めての誰かと話すということ

note28日目。
今日は書き始めたのが夜。
もう直ぐ明日。


今日初めましての人と話した。
仕事で初めましての人と話すことはあっても、まったく違う関係の人と話すことはとても久しぶりだ。
だからいつもの通勤時間も、その人と話すにあたっての準備というか心づもりをしていたりで、朝のnoteタイムがなくなっていた。

初めての人と話すことになってふと気づいた。

話す相手の人との関係で自分がどの立場なのか、その人にとって何者か、その立場の何者かの演技をしているような気がした。

ネコをかぶっているわけでも、だましているわけでもないのだけれど、「素の自分そのまんま」でもないとも思う。
立場に合わせた礼節を尽くすための演技、こんな感じがしっくりくるかもしれない。

だから、まだ関係が分からない人と初めて話すときはやりにくい。演じるキャラクターの濃度みたいなものが濃くなったり薄くなったりしてしまう。
そうやって濃くなったり薄くなったりしながら、相手のハマるところを探して、よい加減のところでキャラクターを凝固させたらできあがり。

こんな風に書くと、なんだか嫌な人間にみえてしまう。
全くこれっぽっちも悪い気持ちはないのだけれど、そういえば『人によって態度を変えるイヤな人』って陰で言われたことがあったなぁ。
確かに確かに、そうなるのかぁ。
今になってなぜそんな事言われたのかわかった気がする。


今日初めて話すことになった人にはキャラ薄めで話せた気がする。
薄めというか、素の自分が濃いめだから、被せるベールの透明度が薄めで、という感じかもしれない。
相手からすればちょい濃い人かもしれないところが何とも変な感じだけれど。

礼節を尽くすためのキャラと言ったけど、自分が嫌われないためなのかもしれない。
これも今気づいたかも。
ただやっぱり自分の利益のためではなくて、相手に嫌な気持ちになってほしくないからなのだけれど、やっぱりこれも自分のためといえばそうなるかもしれない。

今日の方は嫌な気持ちになってはないだろうか。
はあーっ。体力使うなぁ。
考えすぎると疲れてしまうけれど、初めましての人は、私がどんな風でも、それが私でしかないし、嫌なら関わらないだろうから、私の危惧はそれほど大したことにならないはず。
そう思うと初めましての人と会うことが楽しいだけのものにしていけそうだ。

今年はいろいろな人と会いたいと思う。

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