自分史的なクリッピング史料
もうすぐ梅雨なのだろうか。昨日からさっぱりしない天気が続いている。そして今日は雨。でも予報では明日、明後日とかなり気温が上がる日となるとしている。湿った話と言えば、今の政局の話だろうか。自民党も末期状態にあると言えるかもしれない、と勝手に思わせてくれるメディアの報道。そして沖縄では、県政与党が敗北と玉城知事の運営も難しくなると自身もコメントしている。こうした政局に関わるトピックスは、経済活動にも通じるものではあるけど、選挙権を有する若い年代の方には、通じているのだろうか。
生活に関わる政策立案については興味があるかもしれないけど、日々の生活においては、どうやら近視眼的に眺めているのではないかと、息子たちを見ていても分かる。
2023年5月21日 朝日 日曜に想う 承認欲求 アダム・スミスの戒め
SNSにおける承認欲求が広がっている。
自分が他者に認められたいという「いいね!」が付けば欲求が満たされるという人たちが多くなっているという記者の所感。
そんな人間の気持ちを一生懸命考えたのが18世紀の思想家、アダム・スミス。代表作『道徳感情論』を参照している。
自分もこの本を持っているけど、読了とまでには至っていない。つまみ読みばかり。同書の始まりは「人間というものはどれほど利己的とみなすとしても、なそその生まれ持った性質の中には他の人のことを心に懸けずにはいられない何らかの働きがあり・・・・」となっている。要は他人の幸せに共感し、不幸を悲しむ、そう記したアダム・スミスは逆らかも考えたと。人間は他の人から共感を得たくて仕方のない生き物なのだと。
すごいと思われること、偉いと言われること、それが地位や財産を競争する原動力があるとスミスは述べているけど、今の時代も当然変わらない。でも競争を優先するあまり、他人を欺いたり押しのけたりしたらどうかと言えば恐らく、誰も敬意を向けてくれないだろうと。そこで分別のある人はそこで自分の心にブレーキをかけると。大手自動車企業のこぞっての検査不正やら大手金融機関によるグループ内情報共有など、ブレーキがかからないケースも多い。
「国富論」では、自らの利益を追求するからこそ、市場原理が成立し、利己心さえあれば世の中は回るとイメージされることも多い。神の「見えざる手」によって導かれる市場メカニズム。でも東大の先生によれば、スミスは決して自由放任主義ではなく、資本主義の徹底は時に一部のやりすぎ等の問題が顕在化すると国富論では述べているのだと。要はビジネスの自由を制限してもいいのだと述べていると。スミスがリーマン・ショックの際に存命だったら、ウォール街の強欲を非難し、規制の旗を振ったのかもしれないと。
国富論の中には、経営者たちが結託して労働者の賃金を抑える動きについて批判的に書いている箇所もあるので、スミスは意外と常識的で穏当なのかも知れないとまとめている。
現代では未だ競争優先の風潮は変わりない。その中で犠牲にしてもいいものしてはいけないものの分別がゆがんでいるのだろうか。スミスは自分自身の心の中に「公平な観察者」を持つようにと述べた。多くの人の共感を得られるものなのか、それとも反感を買うことになるのか。内なる観察者が判断していく。まさに職業倫理や常識を醸成することに他ならない。それはやはり人間による営みであるべき。でもAIの進展によって、倫理観の営みですら浸食されそうな勢いだ。
SNSの暴走もそのうち止むことになるのだろうか? それは罰則を設けるという消極的なものではなく、個々の心の判断が必要だという認識が広がればと思う。人任せにせず。
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