自分史的なクリッピング史料

新年初日。多くの人が新たな気持ちで今年1年の期待を膨らます日なのだろうか。自分を突き動かす何かを秘めたいと強く思う1日でもある。
冒険ものの読書が大好きだ。角幡唯介の本なども読んでは、ほぼ蔵書にしている。今日はその類の話のひとつ。

2010年1月10日 朝日 友捜す 最後の1人まで
中国・梅里雪山遭難から19年

冒頭は川崎の山岳写真家による講演の案内記事だ。中国雲南省の最高峰・梅里雪山(メイリシュエシャン・6740㍍)に、日中合同登山隊17人の遭難事故から19年が経ち、遭難した友人らを捜し続ける山岳写真家・小林尚礼さんの講演案内がされている。

事故があったのは1991年1月(今から33年前にもなる)。京都大学学士山岳会の日本人11人と中国人6人の計17人が初登頂を目指し、標高5100㍍のキャンプで就寝中に行方不明になった。雪崩に巻き込まれたらしい。日本の海外登山史上最悪の遭難事故(当時)。小林さんも同じ山岳会に所属していたけど、この登山隊には参加していなかった。友人たちは見つからないままに捜索・救援活動は打ち切られたと。

小林さんは、卒業後、就職した96年の秋に梅里雪山の登山隊に参加したものの、事故の危険性から登頂を断念したと記されている。そして帰国後、写真家・星野道夫の作品にひかれ、山の写真を撮り始めた。こうした転機がある人はある意味羨ましい。星野道夫の書籍作品も大好きだ(今では多くの著作が文庫でも読める)。

1998年7月に、梅里雪山の氷河から遺体が初めて発見され、小林さんも収容隊に参加。10人分の遺体や遺品を収容した。その帰国後に「本気になれることをやろう」と会社を辞め、写真家になった。友の死をきっかけに、自分の立ち位置を変える人はたくさんいると思うけど、こうした意志を抱けたことはやはり羨ましい限りだ。本気になれたのだから。自分の会社人生を振り返ってみても、本当に楽しかった本気の時間は、今思えば20代後半からの4〜5年くらいだったと思う。

99年6月の捜索にも参加し、チベット人約300人が住む明永(ミンヨン)村にひとりで4ヶ月間滞在したらしい。小林さんはこの村を25回も訪れ、11年間捜索を続けてきた。そしてこれまで医師だった1人以外、16人の遺体が確認されたという。ただただスゴイ執念だと思う。この事実に触れて自分の気持ちはどうかと問われれば言葉には換言できないけど。

梅里雪山は現地の人の聖山で、巡礼の道もある。その信仰を実感しながらの捜索。山の神は壮大できっと登るたびにその思いを強くしたのだろうか。そして村人と親しくなって、「この山に登ってはいけない」という考えに至ったとある。大いなる自然の神は、きっと全ての人々の信仰に支えられていて、その姿を一部の人だけにあらわにする訳にはいかないのだろうか。

山の頂上ばかり見ていた視線を山裾に見下ろしてみると、豊かな作物が取れる広大な世界があったと気づく。頂きばかりに目をやるのではなく、全体を俯瞰して、神々しい世界の一部ばかりに目をくらましてはいけない、という思い。これは上ばかりではなく下もみると普段の日常ですらもそういった思いを馳せることができるのだろうか。おみくじだって全ての人に大吉を与える訳ではない。

小林さんは、2006年に捜索活動や現地の写真をまとめた本を出版。未だ目にしたことはないけど、本からもその凄さというか意味というか何か特別なものが伝わっているんだろうと思う。チベット人の「命の源」を垣間見ると同時に、自分たちの「命の源」は何かを考える、そんな日があればいいなぁとこの記事を読んで思う。年始に限らず1年を通してでも、自分の凝り固まった思考のターニング・ポイントを見つけらたら・・・・・。


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