自分史的なクリッピング史料

今年もいよいよ後二日。今日はずっと心残りの未読本にまつわる記事を。

2020年3月25日 朝日 時代の栞 「二十歳の原点」 1971年刊 高野悦子
若者の生きづらさ

「私は慣らされる人間ではなく、創造する人間になりたい」と冒頭で始まる。女子学生の心の記録を綴ったのが本書。書評欄にもたびたび登場したり、推薦本に紹介されたりして、ずっと気になっているものの未読。それ以上に積読本が多いのが災いしている。

半世紀前に学園闘争の最中、20歳で鉄道自殺をはかった立命館大3回生の高野悦子の本。「独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である」っていうセンテンスは何か思いを寄せなければと思わせる。

学生運動への戸惑いや愛の苦悩等々、自身への問いかけや願いの言葉が綴られている。若い人から大人まで、その日記の中身は心を打つらしい。
実は、この記事では、前半は朗読者のコメントを中心に展開されていて、そのコメントに「読み継がれる本には、希望が含まれています」という一節もある。自分も振り返れば、「希望」という言葉をどこか遠くに見ていた気もしないでもない。

当時、彼女が在学した立命館大でも日本民主青年同盟(民青)とノンセクトと呼ばれる全学共闘会議(全共闘)が対立し、全共闘は旧秩序の大学の解体を求め、ベトナム戦争や日米安保に反対した、という記述を読み、ギリギリこの時代にはかからなかった(理解できる年齢ではなかった)自分にその雰囲気やにおいが覆いかぶさることはないけど、その時代がなんだったかを知りたいという気持ちがあるし、その類の本も何冊かは読んでいる。

高野悦子自身は、民青系の団体に属したこともあるし、全共闘との関わりも強いのだけれど、「民青と全共闘の双方に距離感を感じ、孤独感を深め、生きづらさにひとり苦悶した」という記述が。若い人たちが悩む「自分の居場所」を心の中で探索している姿は今でも通じるのではないだろうか。いやもっとサバサバとした割り切り感なのだろうか。

彼女は日記の中で、所属する集団の中で要請されたアイドル的な役割にのみその居場所があるというような記述をしている。何かこの話もつい最近までの芸能界の様相を見ているようでもある。そういうところに生きづらさを感じていたのだろうか。記事によれば、戦前教育の秩序至上主義の両親と高度経済成長期の自由度の増した世代の葛藤があったとのコメント。そのいきづらさは闘争へと向かったと。

だがその後中曽根政権以降の自由と自己責任という潮流が、親たちと若者世代の価値観を同じくして、世代間ギャップは縮小していると。何かそういう意味では、全体が閉塞的に陥りがちで未だそれが抜けきれないでいるのではないかと思う。

現代ではSNSでいかにその関係性を維持するか(いいねクリック)に腐心しているさまは、自分のポジションを守り続けなければならないという必死の思いで溢れかえっているのだろうか。これは、外へ、闘争へと外向きの思考を抱くよりも現代は内向きの思考の論理が蔓延してしまっている。集団に迎合するような態度で生きづらさを実は雲に巻いているということだろうけど、別の一面で、そこには失敗を許さない日本の空気がかんでいると思う。またまた空気に行き着く。

関川夏央のコメントも別口で載っている。その結びには、彼女の生きた時代(60年代後半)は高等教育を受ける青年が5%までの時代から進学率が12%を超え、若い世代は、” エリート ” ではなく ” 大衆 ” だったことが大きいと記している。過剰な思い入れがあったのではないかとも。今では大学進学率は50%を超えているから、まさに” ザ・大衆" の時代なのか。

今の若者層でも時代に翻弄されているとは思うけど、特に情報に翻弄されてしらぬまに理解不足に陥り、それを迎合するしかできないという風潮があるのではないかと思う。自分たちがやれなかった、やらなかった反省も込めて外向き思考に、そして ”Let' Try, Let's Begin" で時代を乗り越えていって欲しいと思う。

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