「1999年3月下北沢屋根裏」~出会い~
出会いには意味があるとたくさんの偉人が言葉に残している。
時として出会いは、人相手ではなく犬や猫だったり絵画だったり書物だったり場所だったりする。
1999年3月23日下北沢屋根裏
自分がその日、出会ったのは4人組のバンドが奏でる音楽だった。
どうしてその夜、その街に居たのか。
せっかくだからそこから書いてみようと思う。
もう20年も前の事だけど今でもはっきりと思い出せる。
故郷を遠く離れて、北の大地に住んでいた自分がひょんなことから東京に住む事に決まったのが1999年の2月だった。
人生の岐路というのは、まさにこの時だった。
東京は故郷に居た頃から憧れていた場所。
修学旅行や仕事、イベントなどで何度か東京に訪れたことはあったがもちろん住むのは初めてで右も左もわからないとはまさに当時の自分の事だった。
山手線で目的の駅で降りそびれて訳も分からず1周してしまったり。
そんな折、当時上野ABABの7階にあったHMVでアルバイトを始めた。
そこで知ったのが「下北沢は案外近い」だった。
そこにちょうど、故郷から友人が遊びに来る事になり、1日会うことに。
彼はドラムをやっていて自分が組んでいたバンドと対バンしたりもしていた。
2人で決めたのが「東京でバンドと言えば下北!」
待ち合わせて降りた20年前の下北は今はもう感じることが難しい旅愁のような感覚があった。
昼間は薄暗くて怖い商店街や、路上で寝てる半裸の老人。
よくわからない絵を売る人や突然始まる1人舞台。
何といってもハイラインレコーズは衝撃だった。
HMVで働いていた自分ですら、見たことも聞いたことも無いバンドのCDやチラシがぎっしり。
中にはなんと「POTSHOT]のメン募まであった。(このメン募が関係あるかは知らないけど同郷で同じ歳のMITCHYが1999年4月に加入したのは心底驚いた←勿論全然知らない人)
そんなこんなで、夕方2人は「下北沢屋根裏」に辿り着く。
東京のバンドってどんなもんだ?的な所謂冷やかし。
階段を上り、人生初の下北のライブハウスに入った。
正直に書けば退屈極まりない時間が続いた。
持ち時間20分か30分かのバンドや弾き語りやカラオケみたいなのが延々続く。
今思えばド平日の夕方の時間帯なんてそんな日もあるとはわかる。
それにしてもだった。
詳しい時間は覚えていない。
フロアには自分たち2人と反対側の隅に女の子が2人か3人座ってた。
「次観たら帰ろう」そう決めてダラダラしていた。
そこで、異変が起きる。
Yシャツを着た恰幅のよいおじさんと、もう1人が入ってきてステージ真正面に腕組みして立った。
ピンと来た。
「もしかして事務所とか?レコード会社じゃない?」
でも、客はその2人を合わせても一桁なわけで。
SEも無く、なんかいかついくらい4人組がぞろぞろとステージに立った。
やたらギラギラした背の高いドラム。
シンバル触りながらどっか睨んでる。
同じく背の高いベース。
ギターは髪で顔は見えない。
ボーカルもマイクスタンドからマイク外して持ったまま後ろ向いてなんかゆらゆらしてる。
でもひとつ。
「あ、今までの人たちとは空気が違う」
そこからの時間はきっと奇跡だった。
音の重さ、歌の激しさ。
ほぼ人のいないフロアに向かうでもなく、ひたすらに曲を繰り出す。
MCも無いから全然何なのかわからない。
4人とも別にこちらに向かって演奏してる風でもない。
ひたすらに奏でひたすらに歌う。
それがTHE BACK HORNとの出会いだった。
真正面に陣取った2人は少しリズムは取ってたように思うけどわからない。
仁王立ちみたいな。
自分たちは完全に撃たれた。
心を。
4人は演奏が終わるとそそくさとステージを去った。
※あとからわかった事。「ピンクソーダ」「冬のミルク」「ひとり言」「魚雷」「晩秋」たちが鳴らされた。真正面の2人が後の事務所の社長とスタッフだった。
「良いもの見たわ」
「帰ろう」
出口でスタッフさんにバンド名聞いたりしてたら、TAPEあるよと言われてみたらデモテープが積まれてた。
「無料」
「何本でもいいっすよ」と言われて2人で全部貰って「配ろう!!」と分けた。
カセット内には「夏イベ出る」「アルバム出る」旨が告知されていた。
※この年、自分は人生初のフジロックに参加することになるのはまた別のお話。
そもそもPHSとガラケーの時代。
ネット検索がほぼ無いわけで。
スタッフさんに、次にどこでLIVEやるか聞いても知らない(そりゃそうだライブハウスの人だもん)
友人は地元に帰るけど自分にはチャンスがあるぞと思った。
そしてその夜少しメンバーと話す機会があった。
ただ、2人は地べたに座り込み煙草吹かしたままほぼ動かない。
1人は携帯でお話し中。
某メンバーだけがチラシとテープ(つまりさらに増えた)くれてそこにはそのメンバーの電話番号が書かれていて「LIVE情報はこちら!」となっていた。
※後日、掛けたことがあるが、電波が繋がらないかお客様の都合で止まってた。
この夜から20年以上、彼らの音楽は常に自分の隣にある。
2020.07.15
しいたけお
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