愛着形成をインターネットに求めるな
愛着形成をインターネットの人間に求めるな。という話をしたい。
愛着形成とは、子供が不安な時などに親にくっついて安心しよう、とする行動の事である。
この愛着形成だが、インターネットでは上手く親に出来ていないのか、他人に依存し愛着形成をしようとする人間が多いように見受けられる。
まあ、インターネットというもの自体が現実で問題のあるハブられるような人間の漂着する場所なのだから、仕方ないと言ってしまえばそれで終わりではあるが。結局、とどのつまり びっくりするほど人間とのコミュニケーションがド下手。距離の詰め方がおかしい。自他の境界が曖昧。やばい。みたいな人間がゴロゴロいるのだ。インターネットというところは。
まあ、ここまで読んで『私の事かもしれん』と思った方。頼むのでインターネットにそれを求めるな…。せめて肌の触れることの出来る距離の人間にしてくれ。
インターネットというのは顔の見えない、肌の触れ合いがない。そういう無機質なものの中で、文字列だけが浮かぶものである。その無機質なものの中にいる生き物に愛着を求めたって仕方がないのだ。結局、虚しくなるだけである。
愛着形成の実験で、小猿の実験があるのを知っているだろうか?
小猿1匹と、2体のダミーの母猿の代わりを用意する。代わり、というのは実際の母猿ではなく。一方は『鉄でできた抱かれ心地の悪い母猿、しかしミルクは出る。』もう一方は『ミルクは出ないが柔らかな毛布で作られた抱かれ心地の良い母猿』というもので、小猿はどちらの母猿に懐くのか、という実験である。
結果的にはお腹がすいたらミルクの出る母猿の方へ、それ以外は抱かれ心地のよい母猿のほうへ。という結果だったのだが、まぁ、何が言いたいかと言うと、愛着とは肌の触れ合い無くしてきちんと形成できるものでは無い、ということである。
インターネットという冷たいものより、現実の肌の温もりを求めていくのがきっとその後の人生を変な空虚感なく生きていけるのではなかろうか。
まぁ、インターネットが悪い良い、という話ではなく。どう使うかはきちんと線引きをしような。という話である。
ちなみにだが、自他の境界が曖昧な方々は普通に病院に行って診断を貰い。地震がどのような状態なのか、を知ることで、自己の理解を深めることをオススメしておく。どのように付き合うのがいいのか。どのように生きていけばいいのか。霧の中を何も分からないまま。思考すらままならない状態で歩くよりなら、少しでも。細くてもいいので杖をどうにか持ってきて、ゆっくりゆっくり、どう生きていくのか考えることがきっと幸福になれるとわたしは思う。
インターネットの人間に甘えることで安心を得るな。
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