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逃げることは恥ではないよ、と日記の私が言う

今日朝の情報番組で、コロナ禍で自殺者が増えている、という特集を観た。それは他人事じゃない、わからなくない。私も辛かった。コロナで職を失って金銭的に苦しむ人もいる。逆に私のように、残業を毎日当たり前のように強いられ精神的苦痛を感じている人もいる。大切な人に会えない寂しさが胸を支配している人もいる。

当たり前が急に変わってしまったら、自殺とか死なんてそれほど遠くないなって、私も思った。私は誰かに相談なんて出来なかった。周囲だって同じような状況の中、私だけが弱音を吐けるわけがない、とまずは考えて耐えて耐えて。


テレビの中の人たちは、「相談しましょう」とか「力になります」と言う。けれども、何をどう力になってくれるのか、本当に辛い人は素直にそれにすがれない心理状況だと言うことをわかっている癖に、見て見ぬふりをしている。あとどれだけ我慢したら、この状況が良くなるのか。明確な期間がない事が一番の不安要素。あと1年後!とか言われたほうが楽なのに。と思い続けていた。


だから先月末、その苦しさから逃げる様にして一人旅行をした。「これは逃げだ」とマイナスの意味を自覚していて後ろめたさも正直あったが、休みを無理やりとり旅行に強行突破したのだ。


〜〜〜

私は毎日日記を書いている。どんなにクタクタで眠くても、疲れてても書いている。大体がネガティブな内容。だけど旅行から帰ってきて明らかに前向きになっていた。11月10日の日記にこう書いていた。

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「・・・別に誰かといる事が全てではないし、自分が本当に楽しいと思う時間を買うために働き、そこに近づきたいから、今は努力をしてみたいと思っている・・・また辛く苦しい日々に片足を入れ始めたら、また逃げよう。逃げることを受け入れよう。恥じゃない。自分でいるための逃げだから」


自分でいるための逃げ。


そうだそれだ。


「 現実逃避 」とか「 逃走 」とか。「逃」と言う字はやたら悪い意味で使われるけど、その「 逃 」を使う事で、嫌なことから離れ自分にゆとりができるなら、一瞬でも新鮮な空気を味わう事ができたら、そこで生きる意味の裾を掴む事ができたら、もう少し頑張ってみようかな、なんて思える。私はそうだった。

私は月末に経験した素敵な時間を、これからも味わいたいと思ったから東京に帰ってくる事ができた。仕事に文句を言いながらも、「待っている素敵な時間のために!!」と闘志を燃やして仕事をしている。なんなら火がついて、本を読んで蛍光ペンでためになりそうなことをマークしているくらい、今は生きたくてしょうがない。



とにかく辛くて、相談ができる状況じゃないなら


冷たい空気を思い切り吸い込める場所に行ってみるといい。

それは別に旅行じゃなくてもいい、近所の小さな公園で十分。

誰もいない時間に、外に出て、冷え切った空気を思い切り吸い込む。


それだけで、頭の中の前頭葉辺りの冷静な組織が、ヒートアップしている感情を包み込んでくれるから。


冷静に、冷静に、熱くなりすぎないで。

逃げよう、自分に戻るために。
そして冷静になれたら、熱々のコーヒーをのんで、体冷やさないで、風邪引かないように。また明日からがんばれるよ



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