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私が病み系が好きなのは溺愛されたいんじゃない。誰かに対する一途な愛情への憧憬だ

 私は病み系作品――――ヤンデレが特定の相手に対して狂愛しているような作品が正直言って好きである。

 最近は少し引くようになってきていたので、この仄暗い性癖からも卒業かな? とか考えていたりもしたのだが、DECO*27さんの「サイコグラム」を聴いて、やっぱり病み系大好きだわ!ってなったため、相変わらずだなと思ったものである。

 ちなみに私が心にくるのは男のヤンデレのみであり、病んでいる女の子は好きじゃなかったりする。(サイコグラムに関してはPVを無視して男ヤンデレをイメージして曲を聴いていたりします。動画で投稿される前にアルバムの「アンドロイドガール」で聴いていた関係もあって)

病んでる男は良いけれど、女の子は病んでない方が良い!っていう思想が私にはある。これに関しては何年も前に同様なことをTwitterの旧アカウントでつぶやいたところ、複数の男性のフォロワー様に、逆に女の子のヤンデレは良いけれど、男のヤンデレは身勝手な感じがして無理というような趣旨のリプライを頂いたので、おそらく病み系好きの皆様の基本体系の一つに、異性のヤンデレは良いけれど、同性のヤンデレは無理みたいな価値観があるのではないかと思っている。

この病み系だが、商業作品ではあまりなくてもアマチュア作品だとライトなものからディープなものまでそれなりにあったりする。そしてアングラ的人気があったりする。(と言っても、最近は商業作品でもだいぶ増えた)

中には最早100%DVとしか言いようがないものもあって、病み系好きの中ではおそらく何だかんだでライト勢に分類されてしまう私はドン引きしてしまうものもあるのだけれども、一部の人達から絶大な支持を得ている。

ただ、多くの病み系好きの人達と私とでは決定的な違いがあって、それは病んでる人に愛されている人視点よりも病んでる人視点が好きなところである。

巷で絶大な支持を得ているのは病んでる人に愛されている人なので、有名作品は軒並みそうであるし、商業作品はそれ以外私は見たことないので、自分の好みとのズレをよく感じてしまう。

一般的な病み系好きは狂愛される程、溺愛されることを求めているように思えるのだ。こんなに愛されてみたい的な比重が大きいように思える。だから病んでる人に愛されている人視点がメインでどちらかというと溺愛の行き過ぎ系が多いんだろうなぁと考えている。

けれども私が重視するのはそこではなく、むしろ狂愛する程の好意を特定の誰かに対して抱く感情そのものなのである。そこまである種夢中になれるというか情熱を捧げられるというかそうした激情そのものに興味があって、そこを知りたいという思いがメインとなってくるので、病んでる人視点で書かれているものを好むのである。

ここまで誰かを一途に愛せる、そんな人と会えたなんてある意味羨ましいなと思いながら。(一途というには重すぎる上にシャレになっていないパターンが多いけれども)

なお、学生時代に狂ったようにそういう系の小説を自分で書いていた時期があるが、読者受けは芳しくなかったので、多くの人はそういうのは求めていないのだろう。


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