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やっぱり嬉しくて、ちょっと悔しくて、なんか寂しくて。

近頃、私が勝手に大好きだなあと思っている人たちが
新しい空へ飛び出していく様子を見ている。

昔からの夢を叶えに行く人。
専門性を磨きに行く人。
自分の心地よさを求めにいく人。

私のが見ている側面からでは分からないくらいに
いろいろな点がその人たちの中で組み合わさって。
びゅーん、と飛び出していく。

そんな光景をみて、やっぱり嬉しい気持ちになる。

「いってらっしゃい!」って大きな声で叫びたくなる。
「ずっと話していたもんね。」って鳥肌が立つ。

大好きな人たちが、まだ見え切っていない違う空に
向かっていく姿は、美しくて、逞しい。

その一方で、ちょっと悔しくなる。
不安にもなるし、すごく焦る。いやかなり焦る。

なんてったって、もう24歳なのだ。
子供の頃の私からしてみたら、もう立派な大人なのだ。

仕事終わってから、居間で寝っ転がってチョコレートアイスを
ほおばっている場合じゃないのだ。

「なんで、私ってこうも堕落してしまうのだろうか」
「あの子たちは、あんなに努力しているのに」
「働いて、食べて、寝ての繰り返し」
「なにしているのだ、私は」

という調子で。自分が自分に悔しくなる。
目指したい夢をようやく見つけかけているのに、
のんきにのんびり羽ばたく私が不安なのだ。

だが、こればっかりは、自分がコントロールすることしかできない。
悔しいとかいっていないで、私も飛び出せるように
誘惑に負けないで準備をするだけなのである。

そして、なんだか寂しい。

これまで、私は旅立つ側が多かった。
転勤族だったこともあり、あまり残される側の
気持ちを知らなかったことも1mmくらい関係していそうだ。

チェコに留学に行くとき、家族や友達が泣いて見送ってくれた。
一生の別れでないのに、なんで泣いているのだろう。
と、嬉しさの中に少しの疑問を持ちながら1歩踏み出したことは
忘れていない。

でも、やっと最近分かってきた気がする。

残される側って、寂しいのだ。

旅立つときは、新しい環境に胸を躍らせていたから気づかなかった。
腹を割って話すことができる友人が、
いくらオンラインでつながっていようが、
気軽には会えない距離というのが。
私の世界はそこまで変わらないということが。

別にラインで話せばいい。チャットでも何でも繋がれる。
ああ、なんて便利な世の中だ。

でも、心にぽっかり穴が開くきがする。
なんだか、なんだか取り残されている気がしてしまう。

ただ、それだけの話。それだけじゃない話。

それでも、

「いってらっしゃい!」
「私も頑張るよ!」
「またね!」

この3行が笑顔で伝えられるように、
私も近所の空ぐらいは飛んでみたい。


ぴょん。


くらいでね。





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