一色でもカラフルでも生きづらい気がして

『誰もが生きやすい社会』『いきいきと暮らせるまち』

そんな文言を目にするたび、白く塗りつぶされていく集団のイメージが頭の中に浮かぶ。その顔はどれもぺっかぺかに固まった笑顔で斜め上を見上げている。そして、その集団からずいぶん離れたところに佇んでいるのは、カラフルなペンキでぐちゃぐちゃな私、なのだった。

私も、その真っ白な社会の一員になれるのか。もし私が入れたとしても、他にあぶれてしまう誰かがいるんじゃないか......

いまいちどこにも馴染めずにここまできてしまった私はそんなふうに考えてしまう。
本当はそういう意味じゃないのかもしれないけど、全員が一つの価値観に染まらなきゃいけないように感じて、それは怖いなって、どうしても思う。

それならどんなイメージの場所なら私も逃げずにいられるか。

失敗したり困ってたら誰かが助けてくれた、って思いがもっと増えたらいいな、と、やっぱりそこに立ち返るのだった。
誰も助けてくれなかった......とぼやいたら、あぁ、それはツイてなかったね......って返ってくるような。

それなら私にもできることがある。困りごとには大小あるけど、人って意外と小さなことでも、例えば落としたハンカチを知らない人が拾ってくれた、とかそんなことでもその後ずっといい気分でいられたりする。その人が実は深刻な困りごとを抱えている人で、それを直接助けてあげられなくても、ちょっとした「助けてもらえた」が積み重なることで救われることってあると思うんだ。

というところまで書いて、私はできることが欲しかったんだな、と気がついた。

誰に対しても寛容になんてなれない。いつも笑顔でなんていられないし、怒りも捨てられない。というかやっと取り戻した感情だから捨てたくない。

でもたまにハンカチ拾うくらいだったらできるなって。

そんで、私はもうちょっとできるんじゃないかなって、少し迷っている。
個人レベルよりももう少し大きめサイズのなにか......

ちょっと調子が良くなってもあれもこれもできるかもって一気に走りださないでねって釘を刺されているので、実際に手はまだ出さないけども。笑
(その手の失敗はもうじゅうぶんだ!)

でもなんか、なんかなぁ。

と思うのでした。

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