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【archive】danse macabre

・ 私は夜の淵に立ち、雨上がりのまだ冷ややかに濡れた道路の交差点に立ち、悲しみに暮れていた。その悲しみは友人と分かち合った、ある時を永遠に失った悲嘆によるものに在り、そこにはある女性(それは複数だったかもしれない)が介在しており、私たちはその他者の大きな元凶の元で捉えどころの最初から全く無かったものを失い、そして泣いていた。
{私たちに身にかかる「重力」というものは月のそれと同じく、言い得て表現するのならばあの1940年代、うたかたの世界に輝いた「ビグルモア」のそれにとても近く、確かに私たちの足はいつもより1.5倍は長かったのだ} 涙を流しているものだから、視界に映るわずかな街灯は全て色とりどりのシャボン玉に変わり、クイックのターンごとにシャボンは流星群のように視界を流れて行く(正確には私が置いて行っているのだが)。そんな物の輪郭さえ失った私の視界にも関わらず、ここは夢想の世界と訴えんばかりに私の体は車道へと一人単身飛び出し、通行量の多いその大通りの車を見事に避け、ロンドを踊り続けていた。私は絹を織っていたのだ、その通りを流れて行く交通量を私の抑圧(大衆の障害)の縮図としてみたとして、私は闘技場の中の闘牛士であった。正にそのスペイン的な情熱に充てられて、愛した人の目玉を舐める手前に居たのだ。誰か誰かと欲求を彷徨わす唇は矢張り軽快に、だが上唇は重くラ・カンパネラを口ずさんで揺るぎない。それがただ一つの私の背徳/官能とでも語り掛けているように。その七つの内の一つ一つが関節の柔らかいものに例えられる(微生物のロマンから始まり、タコ(悪魔)、イカ(天使)、猫などと移行して行き、果てはミミズへと還り、死をも模索し始める=軟体なものに個性を見つけると骨の有るものの個性の矮小さに打ち拉がれていた((何故このようなものを自然主義的に流用できないのか?))
 軟体動物への憧憬が何を意味するかは私の悟る所ではないが、「水」に成りたかったのは言うもでもない。


2015.02.08 作成分引用

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