見出し画像

【archive】白のフレーズ、灰の赤

>目を開いたかどうかも判別の難しいほどに、私は横たわっていた。五感はおよそ考え/思考という行為を巡らせる事も出来ず、甘く蕩けていた。アスファルトは縦軸だけに織られた絹糸に濡れ、私の右半身は湯で作った氷の様に音も無く、形があるのに溶けていた。<

 彼女は吹き抜けのテラスで倒れ込んでいた。それは不可思議な事である。周囲は雨に篠突き曇天、16:53にはそこも夜の気配に包まれ全てが灰色に在り、テラスに並べられているテーブルとチェアーの新緑色だけが周囲の光とは不釣り合いなほどに強い。だが、全てが濡れては居たものの、其処には少なからず緑も溢れていた。

 >バニラエッセンスを溶かしこまれた脳には何の記憶も介在せず、状況の理解も剰えといった混沌を抱えている。<

「特殊な技巧を駆使してさえ、洗練は遠く、肉薄する為には“白い”フレーズを駆使するだけ。白は他の色に良く染まり、それでいて空白の色なのだと。強く関節を圧迫し、肘の先から腕と二の腕をそれぞれ違った方向にねじり腱を飛ばし、だが肉は千切れず制御を失った手/指先はビスクドールのそれと同じようで調教して私好みにしてやりたくなる」
 三丁目の区画の舳先に立って、彼女は電話対応をしていた。用件はこう。渋谷の文化村通りでタクシーとバスの接触事故を起こしてしまい、その電話相手の左腕の腱は見事なまでに敷きちぎれた。現在救急車に乗り、そんな自分のぬるいマスカルポーネのように成り果てた左腕を見/観ながら連絡した、、との事であった。……これにこんなことを付け加えるとさらに彼女の非現実幻想的趣味に拍車をかけるので敢えて特記するのであるが、彼女は先週の月曜に人間ドックに足を運び、その際の血液検査中に針から流れる浅黒い自分の血液を眺めて「これは他者に飲まれるべき飲料だ。そして私の前に採血された彼女の血は私が飲むべき血であろう」と心を巡らせていた。
 ボッテガ・ヴェネタを目の前にして、肉の紅さやむき出しで千切れた筋肉が垂れるのを一つのプレタ・ポルテの深紅のレザーを織り込んだドレスように捉えたとて、彼女の頭は幸せで艶然を孕んでいる。蜚蠊のように四方へ走り交う黒タクシーが私の姿を見て道を交わしていく度、私の左手は根を張るようにアスファルトへ下降していき、地面に接する鮮血(それは朱肉に薬指で触れた時のように発色の強く)は彼岸花の一輪挿しの如く。下降は花弁・茎の上昇的な流動には見合わず、全き生命力の無さを露呈するさまさま調和も無い。

>道化的な爆発音を聞き入れて、同じ方向を振り向く全ての方々へ。貴方は動物である、貴方は生命であり、貴方は他の凡てである<


2015.6.10 作成分引用

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?