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私に必要なのは武器じゃなく、そのままの私だった。

「これは!!申し込むしかない...!」
半年前の私はふるえるほどテンションが上がって、お財布から諭吉が飛び立つのを恐れず申し込み画面の入力を進めていた。


少し前から文章を書いてみたいなと思っていた。
シングルマザーになって、会社員しながら料理教室の先生をやって、と、
自分以外あまりいないタイプの生活をしているなと思って、気づいたこととか教えてもらったことを、文章に書いてみたいなと考えていた。

でも、人様の目に触れてもいい文章を書くスキルはなくて、試しに書いてみても、なんかおもしろくならない。
気軽にライティングを学べる場がないかな、と探していた矢先、天狼院書店のライティングゼミを見つけ、受講を即申し込んだ。

受講を終えて今思うのは、ゼミに参加してよかったと心から思う。
これならど素人の私にも面白い文章が書けるようになるかもしれないと、本気で思う。

でも私は途中で気づいてしまった。
私に必要だったのは、ライティングという武器ではなかった。

——
私には、とても尊敬している友だちがいる。
今の職場で出会って、一緒に働いた時間は短いけれど、友情は時間の長さは関係ないのだとその友だちは教えてくれた。

彼女はとにかくかっこ良くて、優しい。

芯があって確固たる自分の意見をしっかり持っている。
「私はこう思う」と発せられる強さがある。

仕事でもプライベートでも、私が何を言っても何をしても「そうだよね」と共感してくれるし、「それってこういうことなんじゃない?」と気づきをくれる。
絶対に私の感じたことを否定しない。

さらに才能にも満ち溢れている。
勉強もスポーツも得意で、まさに文武両道。
今は転職してウェブメディアの編集長という大役をこなし、彼女のSNSは度々バズってる。

こんなすごい人が私の友だちだなんて!

私もこの友だちのようになりたい。
こんな人柄にはなれなくても、同じような才能はなくても、
以前から興味があった文章を書くということを学んでみたら、何か変わるのではないか。
彼女の足元の、いやつま先の細胞のひと粒くらいには届くのではないだろうか。
そんな思いを秘めながら、ライティングゼミに参加した。


そういえば、私はいつも、「あの人のようになりたい」と周りの人に憧れを抱いていた。
常に目指す人物像がいるのだ。

フリーター時代の焼き鳥屋のバイトのときもそう。
一番下っ端の時期が長く先輩たちにとてもよく面倒を見てもらっていた。
仕事ができて、社員さんやお客さんにも信頼されている。
ユーモアもあって面倒見がよく、優しい。

そのときも「先輩たちのようになれるにはどうしたらいいだろう」という思いが、先輩が社会人になりバイトを卒業してからもずっと続いていた。

これを人は、向上心というのだと思っていた。

だから、別の先輩から「あいつにはなれないんだから、目指すのはそこじゃないよ」と言われても全然ピンとこなかった。

この向上心があったから、プライベートも仕事も頑張ってこれたと思っていた。
でも最近、違和感を感じるようになった。

いつもいつも走り続けて憧れの人を追いかけるのに、思い起こせば、手が届いたことが一度もない。
外出自粛で考える時間が増えたせいか、そんなことに気づいてしまった。

私はいまだ、何者にもなれていない。
昔からこんなに走っているのに。

「なんで私はうまく書けないのだろう」
好きで始めたはずのライティングゼミの、提出用の作文が進まなくなってしまった。
どうしよう。このままだと好きで始めたはずのライティングすら「できない自分」のままだ。

さらに2ヶ月以上も体調がいまいちだった。こんなに不調が続いたのは初めてのことだ。
これはまずいと思い、食事のカウンセリングを受けた。

ライティングのエンジンがかからないし、体調も悪い。
たぶん、自分がはまった負のループから助けてほしかったのだと思う。

カウンセリングで色々なことを話していく中で意外なことを聞かれた。
「なんで誰かになろうとするの?」

やっぱり最初はピンとこなかった。
だって私はできることがないから、みんなみたく「できる人」になりたくて……

ライティングゼミで得るスキルは、自分を強くするための武器だ。
それがあれば私も周りの人みたいに「できる人」になれるかもしれないと思っていた。

では、その武器で身を固めたら、友だちや先輩になれるのだろうか。

いや、なれない。
私は友だちではないし、先輩でもない。
だから彼女らを追いかけても、そうなれるわけがなかった。

みんなみたいになりたくて、「できない自分」をライティングスキルで装備しようとしていた。
まるで、RPGゲームの主人公が強くなっていくみたいに。

「今のままで大丈夫なんだよ」
カウンセリングではそんなことも言われた。

今のまま? 武器は集めなくてもいいの?
それじゃあ、何者にもなれないままなのでは。

そういえば、
先日母からこんなことを聞いた。

小学校の頃入っていたバスケットボールチームのコーチが、当時私についてこう言っていたらしい。
「あいつは新しいこと教えると、すぐできちゃうんだよなあ」

え、できてたの...?

「おまえはそのままでいいんだよ」
と言ってたのは、焼き鳥屋の先輩だった。

そのまま...?

もしかして普通にしてるだけで、できてたの?
私のままでいればいいってことなの?
「?」が頭の中にいっぱいになった。

けど、振り返ってみたら、
これまで誰も、何者かになれとは言わなかった。

武器を身に着けたら、村の少年だった主人公が勇者になれるように自分のことも思っていたけど、
私のままでいていい、ということなのか…?

昨日まで私が思っていた向上心は、少し違っていたようだ。

向上心は何者かになるためではなく
自分のままを楽しむために身に付けるものを選ぶ、その姿勢をいうのかもしれない。

「できない自分」であることを恐れていたけど、
これまでやってきたことに目を向けてみると、実はできてることはたくさんあった。

私と会うことや話すことを楽しみと言ってくれる人がいる。それは私が友だちと話すことを楽しいと思っているのと同じなのかも。
焼き鳥屋ではチップをもらったこともある。それはつまり接客に満足してもらえたということだ。
日常を記すSNSだって、文章を書くことだ。

「できない自分」はどこにもいなかった。
そう思ったら、気づいてしまった。

私に必要なのは「できない自分」を装備するためのライティングという武器じゃなく、
そのままの私だった。

友だちや先輩のように、ではなく。
私が私のままで文章を書くことがもっと楽しくなるように、
そのために、ここから改めてライティングをしよう。

大丈夫。すでに「書ける自分」になってるよ。
その文章はきっと、他の誰でもない、私だから書ける文章だ。

これからは、誰かになるためではなく、
満ち足りている私自身をもっと楽しむために、ライティングスキルを手に入れるのだ。

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