11/7 安心するために同じ人を探す

俺ある時から感情が欠落したり記憶力悪くなったり頭の回転が遅くなったんだよねって話を知り合いの物知りなやつにしたら長々とうつ病の話をしているねと言われたそこで俺は初めてうつ病だったということを知る。あとでうつ病のサイトを調べたら確かに症状が当てはまっていて感情の変化が乏しくなり記憶力や思考力が低下しますって書かれていた、道理で能力が下がってるような気がしていたわけだという納得の気持ちと失った感性が元に戻らない悔しさの気持ちでぐちゃぐちゃになったが、同時に、世の中から欠落人間であることを公認されたような気がしてどこか安心を覚えている自分もいた。その時、自分の輪郭がくっきりと世界に描かれたような感じがあり、とても不思議な心地だった。たとえマイナスなことでも自分の存在がしっかり定義されるとホッとするくらいアイデンティティがぐらついてたのかもしれない。

その時いつも仲良くしてくれる人もいて彼は本質がどうのこうのみたいな話ばかりをしてきたんだけどその日は特段と本質本質うるさくて、確かに人の隠している部分を覗こうとするのは楽しいことだけどそんな必死に本質本質ばっかり言ってたら野暮で冷める。反面教師にして、人の表面的な部分も楽しめるようにならなければなと考え方を改めた。逆に表面的な部分にこそ人の本質が宿ってるかもしれないしね、この人は何を考えてこんな振る舞いをしているんだろうか、こう見せようとしているってことは、本当はああなんだろうなとかそれが当たってるか間違ってるかはわからないけれど予想を立てながら接して時折見られる根の部分がそれと一致してるかどうかの答え合わせをする、そんな感じでクイズみたいに面白がればいいんじゃないかな、人と会うのってクイズなんだよ。かなり性格の悪い見方かもしれない。

ところでなんで自分って人の本質ばかりにこだわってたんだろう。思い起こしてみたら、俺は人のヤバいところを探るのが好きだった。

平凡な人間なんていない。人は誰しも異常な部分を持っている。それを自覚して隠しながら生きている人もいれば、自分の異常性に気づいていない人や、異常性が極めて限定的でわかりづらい人もいる。なにはともあれ、その異常性を探ったり暴いたり俺がしているのは自分だけが異常じゃないとしっかり自分にわからせて安心したいからだろう。

あと俺は不器用な人が好きなんだけどそれって間接的に自分の不器用さを肯定したいだけだからかもしれない、不器用な人はそれぞれがそれぞれを自分を肯定するための道具として使っているだけなんだ

って考え方は変だよなお互いが利用され合ってるのだとしたらそれは道具じゃない共存だよ

共存は悪いことじゃない、生きるために必要なシステム

結局、安心するために同じ人を探しているってことなんだけど、人との違いも楽しめるようになれば、もっと人生うまくいく

楽しみ方を多く知ってる方がいいに決まってる


(全体的に傲慢)

ハッピー!ハッピー!!

小さい頃からお金をもらうことが好きでした