27歳まで続く日記vol.126『音楽ライブが、無理だった』

これはあくまでも日記であり個人的な記録です。だらだら全てを書いています。いらんこと全部書いています。 


そのバンドを知ったのは11月の終わり頃。12月のライブをもって無期限の活動休止が決まっていた。好きになったばかりなのにもう追えなくなるのかと、自己中な喪失感に襲われた。 


前にもこんな経験をした。気になり始めたグループが1年足らずで解散した。その時のラストライブには行かなかった。正確に言うと、行けなかった。 


生まれてこの方、ライブに足を運んだことがない。新しいことに挑戦するのが無理過ぎる。自分の周りに張り巡らされた薄い膜の世界が外の世界に触れた時、気圧差で、全身が押し潰されるような息苦しさを感じる。でも、もう後悔はしたくなかった。ライブに行くことにした。チケットは既に完売だった。Twitterで譲ってくれる人を探した。すぐに見つかり、やり取りもスムーズに終わった。友達が行けなくなり譲り先を探していたそうだ。その方とは事務的な会話ばかりが続いたけれど、最後は「当日はお互い楽しみましょう!!」と温かいメッセージを送ってくれた。嬉しかったけど、よくよく考えると、そのメッセージは形式的に送られたものかもしれないなと今になって思う。 


当日。駅を出ると、中3の修学旅行で京都に行った時の集合場所に偶然たどり着いた。ただただ懐かしかった。しばらく立ち止まってから会場の方に向かった。 


途中のコンビニでトイレに行った。最高のライブにしたかったから徳を積んでおこうと思い、空いたままの手動のドアを閉めたり、使い終わったあとのトイレの蓋を閉めたりだとか、いつもはしてないことをやった。(人間性がバレてしまう) 


会場に近づくと徐々に人が多くなった。「めちゃくちゃ人がいる」「めっちゃ人いんじゃん」聞こえたのはそればかり。 


会場の前にはえげつない量の行列があった。1人で弱気な顔をして並ぶ人もいれば、何食わぬ顔で並んでいる人もいた。僕は澄ました顔をしながら内心、こんなに人がいて本当に全員入れるのかと心配でしょうがなかった。開演前、空は雲り、星1つ見えなかった。 


チケットを確認され、中に入るとさっきまでぎゅうぎゅう詰めだった人たちから不安のオーラが消えていた。暖房も効いていて外よりも安心感に満ちていた。 


プールのあるような縦に長いロッカーがいくつも並んでいてその脇で当たり前のように上裸になって着替える人たちがいた。どの光景も初めてライブに行く自分にとっては新鮮なものだった。 


カップルで来る人が多かった。おしゃれな人たちばかりだった。中には普通の格好の人もいて、トイレから出たとき、自分の服で手を拭いていた。 


階段を上がると急に煙ぽくなった。あとになって分かったけど、この煙は演出の光を見えやすくするためのものだった。 


3階のスタンド席が自分の席だった。ステージから一番離れたゾーン。アリーナの中に入る入り口の上側の席で、手すりが前にありジェットコースターみたいだった。意外とステージは見える。見晴らしがとても良かった。自分の席の隣には既に女性が座っていた。この人がチケットを分配してくれた人なのか、それはわからなかった。逆側の隣の席の人の可能性もある。その人はまだ来ていなかった。席についた瞬間に「チケットを譲ってくれた方ですか?」と聞きたかったけど、後ろにいる無言を貫き続ける人たちの威圧感が凄すぎて、喋りかけることができなかった。とにかく後ろの人の視線が気になった。スマホを見ている時、画面を覗かれているような気がして振り返りたくなった。 


空いている、逆側の席に二人のカップルが座った。最初からいた人がチケットを譲ってくれたのだと確信した。 


電子上のやり取りだけで感謝するのは自分のルールに反している。だからチケットを譲ってくれた隣の方に直接「ありがとうございます」と言わなければならなかった。1秒後に「あの」って話しかける自分を想像するだけでめちゃくちゃ緊張した。スマホを閉じて何回も話しかけようとするけど勇気が出なかった。間が空けば空くほど話しかけるのが難しくなった。話しかけようとして7度目くらいか、やっと声が出た。無音の空間でも聞こえるか聞こえないかくらいの今まで生きてきた中で一番細い声で「あの」と言った。こちらをちょっと見たような気がする。お互い視界にギリギリ相手が映るような、そんな角度の顔合わせだった。「チケット譲ってくれた方ですか?」「あ、そうです」興味なさそうだった。喋りかけたのが申し訳なくて、さらに小さな声で「ありがとうございます」と言った。「こちらこそ、ありがとうございます」みたいなこと言われた気がする。よく覚えていないけど形式的なやり取りで一瞬で終わった。 でも伝えられて良かった。自分のルールを守っただけ。


隣のカップルはずっとしょうもない会話をしていた。他の男と酒飲んでオールしたみたいな。マッチングアプリ駆使して34歳のおじさんと付き合い始めた友達がいるとか。最近バイトばっかでバイトの時の記憶がつまんなすぎて記憶がないとか。 


開演時間が近くなりドキドキし始めた。遠くの天井に張り付いて並ぶライトがUFOみたいだった。人の黒い頭とスマホ画面の光でセンター席は夜空のようだった。記念にステージを撮るカメラのフラッシュは星が光ったみたいで、オレンジ色の光もあって、それはおそらくブルーライトカットの画面だった。 


いよいよ始まった。双眼鏡を買っておいたけど、出すのが場違いな気がして恥ずかしくて出せなかった。チケットを譲ってくれた方は戸惑いながらも反対隣の人と立って曲に合わせて手を動かしていた。初めてのライブだったのでよくわからないままその人たちと同じ動きをしてみたけど、自分の中でものすごく違和感があってやめてしまった。下の階のアリーナ席、センター席の人もみんな同じ動きをやっていた。ベタだけど、宗教を感じた。宗教の中にいる時は、自分が宗教の中にいることを自覚できていないかもしれないけど、あの時は宗教を見下ろしていたから、自分が宗教の外にいたから、完全に冷めてしまい、この輪の中に僕は入れないなと感じてしまった。居づらさ感じた。自分の指を握ること、膝に手を置いてること、前のめりになること、猫背になること、背を伸ばすことなど、全ての自分の行動が不自然に思えた。自分がそこにいることに違和感を感じずにいられなかった。ライブの楽しみ方がわからなかった。「音楽ライブ、無理だな」と思った。全てを俯瞰してしまった。ステージと自分の間には俯瞰させるような距離があった。下にいっぱい人がいてその人たちの姿が見えて、冷静になってしまって、盲目になれなかった。没入しようと努めたけど、今までで一番音楽に集中して、1つ1つの言葉、画面に映る表情全て目に焼き付けようとしたけど、あまりにも距離が遠すぎて、これじゃyoutubeで映像を見ているのと同じだななんて思ってしまったりもして、そんな自分が嫌で、それでも自分に染み込ませるように聞いていたけど、やっぱり自分の心に届かなかった。曲が響かなかった。別の言語みたいだった。楽器の音が大きすぎて歌が聞こえなかった。脳みそにへばり付くぐらい曲を聴いていればよかった。そしたら何言ってるかわかってたのに。「当日、お互い楽しみましょう!!」そう言ってくれた人が隣にいる。なのにあの場を楽しむことができなくて申し訳ないと思った。そんなこと思う必要ないし、隣の人だって自分のことなんかどうでもいいと思ってるはずなのに。調べてみたら、自分と同じように冷静になったり、音がよく聞こえないみたいな理由でライブを楽しめない人は少なくないそう。それでも自分がライブを楽しめない人間であることが悔しいなと思った。自分は「ライブを楽しめる側の人間」でありたかった。別にライブが楽しめなくてみ全然良いのに。人それぞれの楽しみ方があるのに。でもやっぱり、活動休止前、最後のライブは楽しみたかった。楽しむ努力を最大限に出来ていない自分が許せなくて悔しかった。バカみたいに終演後、ずっと一点を見つめて感動しているフリをした。余韻に浸ってるフリをした。だせぇ。誰対して?結局、周りの目ばかりを気にして楽しめなかった。心を開けなかった。くっそ苦い思い出になった。でも、でも悪い面だけじゃなかった。 


ギターがかっこよかった。大音量のイントロで鳥肌が立った。今まで知らなかった音楽の良さに気づけた。強制的に体の内側に入り込む音、刻み付けられるように、体験したことない大迫力の生の音。音楽を知れた。ギターとかドラムとかベースとか?合ってるのかよくわからないけど、楽器の良さを知れた。ライブ行ってからMVとかのギターかき鳴らしている様子が全然違うものに見えた。かっけぇなあと。なんか自分も別のやり方でああいうかっこよさを表現したい。 


歌ってるときの表情に魅せられた。優しい言葉を投げ掛けてくれた。悩み苦しんで生きてきた人の温かい言葉だった。寄り添ってくれる存在だった。 


もしも、復活したらもう一度挑戦させてほしい。悔いが残っている。自分をさらけ出せなかった。別にさらけ出せない人が悪いってわけじゃないけど。自分がライブが苦手な人だとは思いたくない。別に苦手な人は苦手でいいけど。これは自分の問題。自分の殻を破れていない。自己表現が終わってる。表現を扱う人間としてどうなのかと思うから。 


周りの目を気にしないでもうその空間には自分とミュージシャンしかいないと思い込む。一対一、音、歌声に自分の思いを乗せるように腕を振る。俺の分まで言ってくれ、叫んでくれと。無我夢中になって。恥を捨てられるかチャレンジしたい。意識してるのに捨てられなかったらもう諦める。ライブには行かない。 


ライブの一体感は絶対に好きになれないと思う。そこに関しては諦めている。でも1対1でかき鳴らしてくれてるんだと思えば、自己中だけど(そうさ俺は自己中さ)思いをぶつけられる。やったれって思える。 


翌日、確かめるようにバンドの曲をスマホで聴く。良かった。ちゃんと響いた。曲が届かなくなったんじゃない。俺があの場所で曲を聞き入る状態になれなかったんだ。そして思い出す。腕を振る動き。隣の人、なんか手をきつねみたいな形にしてたな。この曲の時はこんな感じで振ってたっけ?リズムとか強弱がよくわからない、色々試すけど、まだ体に馴染まない動き。自分の中でしっくりくる感じが見つかってない。でもきっとそういうことじゃないんだろうな。そういうことじゃなくてもうほんとに自分の好き勝手に自由気ままにやればいいんだよ。表現ってそういうことだよ。
 

ライブが終わって最寄り駅に着いたら雲は消えて星がたくさん見えた。特に深い意味はなく、実際そうだったから書いただけだ。


小さい頃からお金をもらうことが好きでした