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今の私になるまで

始めてこちらに書きます。
SNSなどでは"イタイヤツ"と敬遠されると思います。
自己満足、いや、忘備録でしょうか。

私は主人と2人暮らし、でした。
6年前に離婚し、長野から福岡まで、新たな人生を送ろうと今の主人と一緒になるために来ました。

大学卒業からずっと、音楽教室の講師を東京→長野としてきましたが、
福岡では仕事もなく、2ヶ月ただ家に居ました。

その内、空きの仕事があるからと今の楽器店に配属になりましたが、でもそれまでの私からしたら、生徒数など雲泥の差、仕事関係の人とは殆ど交流する事もなく、淡々と仕事をしていました。
バイトも1年後に始めたのですが、仕事を教えてもらうのは高校生から、休憩時間になっても誰とも話さずに喫煙所でずっとタバコ吸っていました(笑)

その間の殆ど、あるライブハウスに入り浸っていました。
私にとってそれが全て、くらいの…
主人もいるし、周りの人も優しくて、居心地良かったんですね。

でもある時からそこに行けなくなりました。
私がいけなかったかもしれない、そこにいけなくなった理由もあったかもしれない。
でも、その時がそこを離れるタイミングだったんだと、今は思うようになりました。
きっとどこかで依存していたと思います。

そしてその頃から体に異変が。
乾癬だったのですが、検査をしたら「関節症性乾癬」。
そして皮膚科の血液検査から肝臓の数値が異常となり、検査をしたら「原発性胆汁性胆管炎(PBC)」。更にエコーで影があると検査したところ「子宮内膜症」「卵巣膿腫」と。
まぁよくぞ短期間にここまで見つかったという
どれも薬を飲めばいいもので、側から見たらどこが具合悪いの?と言われるくらいわかりません(笑)
仕事できるんですから、それだけで感謝です。

元々鍵盤弾きですので、その頃から誘われたバンドはやるようにしています。後悔したくない一心です。
今までには見えなかった景色も、人との出会いもありました。

で、現在に至る…としたいところですが…
ここからが自分にとっての地獄でした。

ある時から眠れなくなりました。
そして食べれなくなりました。
寝れない、食べれないってのは人をダメにします。
自分で気付いていなかったのですが、ストレスからの鬱でした。
主人だけでなく他の人の何気ない一言が刺さり、
自分の扉が閉まっていくのがわかるんです。
一回扉が閉まるともう開かないんです。

鬱が酷い頃の2ヶ月くらい、実はあまり思い出せないのです。
その頃は家にも入れなくなっていて、家に着いても車で1時間程過ごし、どうにか家に入るものの、睡眠薬だけをすぐに飲んで寝るという生活でした。

太めだった私が3ヶ月で10キロ以上落ち、更にどんどん病んでいき、眠れない、食べれないが続き、体重も落ち続け、流石に生徒の保護者やバイト先の人からも心配されるくらいでした。

もうこれでは体がもたないと本能で思うほどでしたので、年末から別居する事にしました。
離婚するかは…今はこんな時に答えは出せません。
一人暮らしになってもまだ治ったとは言い難いですが、働かないと食べていけないので、気合で乗り切って?います。
とはいえ、やっぱりどこにいても夜は落ちている時なので辛いですね。
3時には起きてしまい、悶々と良くない方へ考えて、そのまま時が過ぎるのを待つのがキツいです。

それでもやっと少し前を向けるかも…と思えるようになったのに、今度はこのコロナ騒ぎですよ。
今度は心の支えだった仕事が2つとも休業…

逢いたい人に逢えない。
姿すら見ることができない。
一言が書けない、連絡が取れない。
だってどうせ逢えないんだもん。
話したい人にも会えない。
会って話す事がどれだけ大事だったか。
私の悶々とした話を聞いてくれる友達がいる。
それは有難い。どれだけ助けられたか。
仕事がない。
働くのが好きな私にはこたえます。
家で自粛、してますよ。
お金ないですからね、家にいるしかないんです。
普通の鬱からコロナ鬱…あんまり変わらないか。

でも見た目は元気に見えるし、どこが鬱なの?とみんなに言われます(笑)
そんな鬱の状態なんて人に見せられるか!

この歳になって、これからの人生考えると…
もっと酷くなりそうなので
せめて今の私をキープしよう、できるようにしよう。

見る人なんていないと思って(笑)
思った事を書いたので
もし見る方がいたら…気分悪くなるかもしれません。
自己満足、忘備録です。すみません。

#鬱 #人生激変 #20年ぶりの一人暮らし #忘備録
#自粛生活 #現在無職中

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