どうしてもそうなってしまう人

少し前なら小綺麗にまとまっていることが及第点だと思っていた。ところが最近はそうでもないように感じてしまう。及第点を平均以上といったところだとすると、平均以上の人がすでに小綺麗になってきているから、小綺麗ではむしろダサいように感じてしまうのだ。

代わりにどんな人が輝いて見えるかと言うと、他人から見ると必ずしもお洒落じゃなくて、調和がとれていなくて、ともすればださい人。なのに、それでもこの人はこれを着ずにはいられなかったのだろう、こう装わずにはいられなかったのだろうという、その人のこだわり、ある意味では業を感じさせる人だ。

あるとき散歩をしていると、全然化粧っ気のない、険しい顔をしたおばあさんが、真っ赤なシャツワンピースを着て通り過ぎた。ポケモンを探しながら歩いていた私は、ふと視界を横切ったそのおばあさんに、たちまち目を奪われてしまった。

誤解を恐れずに言えば、おばあさんは多分、素敵な物語になるような、死んだ西の魔女みたいな暮らしはしていないだろう。ハーブを育てたり、育てたハーブでティーをいれたりしていないだろう。むしろもう少し淡々とした、無機質な生活の匂いがして、あの赤いワンピースが、必ずしも彼女の美意識を表しているとは思えなかった。でも、だからこそ、おばあさんが今日、その服を着ている物語に、強く惹かれたのだ。

強いこだわりや思想を、服や仕草で表現できる人は当然のようにかっこいい。レディガガも、志茂田景樹も、みんなかっこいい。一方で、意識とは別のところで図らずもそうなってしまう、そうならずにはいられない人の不器用さには、そう易々と他人と足並みの揃わない、その人だけの生き様が色濃く滲み出ていて、必ずしも平坦な道ではなかっただろうというような身勝手な想像も加担して、かっこよさに負けるとも劣らない、美しい悲哀を感じてしまうのだ。

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