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#282 キャリア安全性・主体性を深掘る10ー「育てる」と「育つ」のちがい

竹内義晴の「これからの働き方」――この番組は、これからの働き方、組織づくり、地域づくりの実務家、竹内義晴が「楽しく働く」をテーマに、組織づくりやコミュニケーション、マーケティング、キャリアデザイン、複業、テレワーク、ワーケーションなどの視点で、ゆるゆるとお話をしていく番組です。この番組が面白かった。あるいは参考になったら、フォロー・コメントなどいただけると嬉しいです。


キャリアの安全性・主体性についてお話をしています

いまですね、「キャリア安全性・主体性を深掘る」という話をしています。

で、ですね。「人的資本」「金融資本」「社会資本」という、3つの資本についてお話ししています。

キャリア安全性・主体性について、「企業が取り組めるものって、何かな?」と捉えたときに、人的資本と社会資本の2つなのではないかと思っています。

なぜならば、金融資本はその人が実際に持っているお金とか株といった資産の話だからです。

また、金融資産にこれからの「稼ぐ力」みたいなことも含んだ場合、それは、人的資本と社会資本が増えたうえでの結果と捉えることもできるし、直接的な「お金の増やし方」といった話は、企業の中ではしにくいので、企業が取り組める/取り組むべきものは、人的資本と社会資本の2つだろうと思っています。

今日は「育つ」と「育てる」の違いについて

で、今日ですね、人的資本と社会資本について、「企業として、どんなことを取り組んでいけばいいのか?」という話をしようかなと思ったんですが、その前に、昨日ふと浮かんできた言葉があったので、今日はその話をしたいと思います。

その、ふと浮かんできた言葉というのは、「育つ」と「育てる」という言葉の違いです。

改めて、「キャリア安全性」とは、「自分はこのままでも成長できる」「ここにいても大丈夫だと思える」といった、未来に対する安心感です。「キャリア主体性」とは、自分自身で「キャリアを作っていくぞ」と。「誰かに与えられるものではないぞ」「自分でやっていくぞ」という主体性です。

この2つに対して、企業が、社員のみなさんに対して、何かしらを「提供していこう」と思った時に、そこで使う言葉は「育てる」「育つ」といった言葉を使うのではないかと思います。

なぜならば、いま現在、キャリア安全性・主体性が持てていない人に対して、それらを持てるようにするためには、「育てる」という感覚が、強く働くと思うからです。

一方で、「キャリア主体性」のほうが特にですが、キャリア安全性・主体性で、本来大切なのは「育つ」という感覚の方だなと、ふと、思ったんですよね。

キャリア安全性・主体性は「育つ」もの

なぜならば、「育てる」というのは、あくまでも第三者の介入が、そこには存在するじゃないですか? 育っていない人を育てるのだから。

一方、「育つ」というのは、あくまでも、その人の中から生じるものであり、その人の中で、何かしら感じたり、気づいたり、思ったりすることによって、「そうか」と。「大切なのはこういうことか」……というふうに思い、感じ、気づいて、育っていくもの……それが、本来の意味での主体性だと思います。

そう考えると、「育てる」よりも、どうすれば「育つ」のか、という感覚のほうが必要かもしれないな、と思ったんですよね。

外から「与える」か、内から「生じる」か

この「育てる」と「育つ」の差について、「育てる」の方は「何かを教える」「与える」という感覚だと思います。それは、スキルかもしれないし、何か情報を与えることかもしれません。

一方で「育つ」というのは。こちらが、情報として何かを「与える」というよりは、本人が、そこの場なり、環境なりに身を置くことによって、その人の中から、内発的に「生じてくるもの」が育つです。

つまり、「育てる」と「育つ」では、本質的に、その「成り立ち」というか、「外から与えるのか、中から生じるのか」という違いがある……という認識を持った上で、キャリア安全性・主体性を高めていくためには「何が必要なのか」を考えていく必要があるのではないかと思います。

育たなくても、そこまで責任を感じることはない

と同時に、こちらから何か、取り組もうとしていることに対して、「せっかくこっちが、いろいろ働きかけているのに、なんでダメなんだろう?」って思うことも多分にあると思うんですよね。

けれども、「育つ」というのは。その人の中から生じてくるものだから。「何でうまくいかないんだろう」みたいに過度に悩まなくていいし、いい意味で「それは、オレ(ワタシ)の責任じゃないぞ」というような感じで捉えて、僕はいいんじゃないかな? と思うんですよね。相手の中に生じることまで、責任を持つことはない、と。

なぜなら、最終的には「本人が気づくことだから」です。

それでも、できることは一生懸命やる

一方で、その「何か」が、相手の中に生じるためには「何が必要なの?」ということを考えて、その環境を整えることには一生懸命取り組む必要はあるでしょう。でも、相手をその環境の中に入れたら、あとは、育つことを祈るぐらいしかできないんじゃないですかね。

昨日、ふと「主体性って、そういうものだよな」と思ったので、今日は「育つ」と「育てる」の違いについてお話をしてみました。じゃあ、今日の話はこれで終わりにします。じゃあね、バイバ~イ!

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