「背が低い」

3月15日、30歳になる。こういう節目みたいなん、わりとしみじみするタイプで、最近「どんな人生やったっけなあ」とか「これからどういうことしていこうかなあ」とか寝れない夜に考える。

3月生まれってことは自分のなかで大きな意味があって、なぜか「3月生まれ、魚座」ってことにもちょっとした誇らしさがある。ここで、早生まれあるある。「4月生まれの人と比べるとほとんど一年違うやん」って考えたことがある。タイトルの話になるんやけど、僕は昔から背が低い。背の順で並んだ時に、1番目じゃなかったことがない。それこそ小学生の時には「いや、実際に半年とか一年近く生まれるの遅いんやから、背も低いに決まってるやん」とよく言っていた。

結局、それから何年経っても背の順は一番で「そもそも背が低いんやな」とわかってきたけど、いまだに言いたい。「1990年の4月生まれの30歳の人と比べると、一年近く僕は未熟でもええやん!」と。

背が低いことがめちゃくちゃコンプレックスやったかというと、こじらせ思春期の数年以外はそれほどではなくて、組体操で一番上に立てた時はちょっと楽しかった。「背が低い」ってだけで、すぐに選ばれたので、目立ちたいけど自分からは言い出せなかった僕にとってはラッキーやった。じゃあ、こじらせ期がいつかといえば、中学生の頃。とくに中学1年生になって制服生活が始まって、周りには中学生って絶対バレるから「小さすぎるけど中学生なん!?」って通りかかる人みんなに思われてそうで登下校が苦痛やった記憶がある。

そんなこんなでこの年齢になって、とくにコンプレックスってことではなくなったけど、自分で毎回毎回「背が低いですよ」とわざわざ言ったりはしない。とはいえ全く違う観点から、出版とか編集っていう仕事をしていて、たまに考える。「自分と同じくらい背が低い人にはそう会わへんってことは、これってコンテンツのひとつではあるよなあ……」と。気にする思春期、気にしてない10代後半から20代。そして、次。30歳からはあえて自分から発信していくのもええなと。自分自身も創作活動とか自己表現をしたいなあっていううえで、ひとつのコンテンツになりえるんちゃうかな。

いったい何センチやねん!という疑問に答えると、152cm。成人男性ではかなり珍しいと思われる(ちなみに体重は58kgあるので、だいぶ太い)。どうにかしてコンテンツを集めていけば152ページ(16ページ×9+8ページ)の本になるなと考えてしまったのも、記事にしようと思った理由の一つでもある。

いまの仕事の仕方とかにも結びついている、好きなことばがあって、それは実は背の低さ由来やったりする。中学生の頃通っていた塾が少人数特化で、先生と生徒の距離が近くて、生徒と生徒の距離も近かった。授業の間に「それぞれのキャッチコピーを考えましょう」みたいな時間があって、その時に他の生徒からつけてもらったキャッチコピーが「山椒は小粒でもピリリと辛い」。その時初めて聞いたことばで、意味としては、侮れないことの例え。その時、なんとなく嬉しくて、未だに覚えている。

大人になって背そのものは関係ないけれど、仕事の規模とか発信力がまだまだ小さいことと、背が低いこととが重なる。小さいからこそできることがあるんちゃうやろうかとか、小さい規模でもやっていきたいと思ったときに、この「山椒は小粒でもピリリと辛い」を思い出す。

最近SNSで知ってもらった後、直接お会いすると「思ったより若いんですね」とか言われることもあって、「若そうに見える背の低い山椒を目指している出版社の人」って覚えてもらえたら、とても嬉しい。


(背が低いってことをコンテンツにしようと思ったのは初めてなので、その明るさと暗さのバランスとか、具体的なエピソードが思ったより浮かばなかったので、今後色々研究してみたい)