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日記

朝からジムに行き風呂へ行く。
夕方になる前に子を迎えに行き、スーパーで夕飯の食材を調達する。
今日は何が食べたい?明日は晴れかな?
そんな話しをしながら歩く夕方は客観的にふと眩しい。

今日はサウナの中でよく喋るマダム達と一緒だった。
いやオバチャン、といったほうがしっくりくるのかもしれない。
二人組だったのだが、1人はかっちゃんと呼ばれていた。
そのかっちゃんが喋る喋る。
はじめは鬱陶しく思っていたが、ふと話に聞き入っっている自分に気付く。
去年ご主人が亡くなった話、娘と同居しているので寂しくないという話、孫は諦めた、遠くの親戚より近くの他人、免許は83くらいに返納する、など。

よく聞く話ばかりで普段なら気にも留めない、もしくは嫌悪さえするような内容であったが、今日はこれらの話を聞きながら何故かふと人生が良いものだと思えた。

15分でサウナから出て水風呂につかりながら考える。

私の残りの人生は私の為に生きた人や、私を育てた街や、社会、人、にお返しやお裾分けをする所に来ているのではないかと。

子が居て、学びたい事があり、夢があり、目標がある。趣味も充実している。
これはしあわせ以外の何でもないのではないかと。
一人で生きているとは思っていないが、一人はなんと気が楽で心地がいいものなんだろうかとふと思う。
結婚も出産もしなくていい。
友達や家族にも恵まれている。最高じゃないか。
人の為に生きる事が素直に自分の為になっていく所まで来ている気がする。

かっちゃんの話しは普通の話しだが、かっちゃんの生きてきた話、生きている話だった。

生き方を自分で決めて生きていけていることを忘れてはいけない。ふと足るを知った日だった。


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