20230828

原稿がひと段落したので、息継ぎのような感じでこれを書く。

書いていた散文は、だいたいの文章量を決めていたせいか、書いているうちにどんどんと濃度が高くなっていって、全体の味わいがギスギスしてしまった。それに途中で気づいて水を足したら全体のかさが増えたので、今度は内容を減らした。読者にとってはただの杞憂でしかないという可能性も含めて、その辺りの塩梅が難しい。

料理によく缶詰を使うのだけれど、食器を洗うときに一緒に缶の中も洗うようにしている。スポンジ越しに缶の側面を掴むようにして、ぐりぐりとやるのだ。
それをするたびに、縁で手を切る想像をして、ぞわぞわと竦むような感覚になる。切った瞬間の感覚が妙なリアルさで浮かんでくる。
切ってしまったという後悔と実際に切ってしまうのでは、前者の方が早く僕の意識に届く気がする。その後悔のコンマ一秒くらいあとに、その感覚を迎えにいくみたいに、私の指の第一関節と第二関節の間の皮膚が缶の縁を滑る。さらに少し遅れてじわっと泡が赤く染まる——。
でも、まだ一度も本当に切ったことはない。そういう想像をしてしまうからこそ、毎回かなり用心しながら洗っている。実際に切ったら、すごく嫌な気持ちになるだろうと思う。でも同時に、私はどこかで安心してしまうような気もする。なぜかはわからない。

…とまあ、こういうことを書こうとして、実際に一度は書いたのだけれど、推敲の段階で削ることにした。とは言え、捨てるのはもったいない。冷凍庫に入れていつか使うつもりだったけれど、なんとなく気が向いたのでここに書いてしまうことにした。

件の散文については、後日きちんと告知します。

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