20240123

年末年始も詩を書いたり、色々な依頼を進めたりと、平常運転のつもりだったのだが、仕事始めあたりから違和感を抱き始めて、数日前までもやもやしていた。

四月あたりが締切の原稿を進めたり、こつこつ積み重ねるタイプの原稿をメインでやっていて、スケジュール的にもかなり余裕があり、それぞれの進捗も悪くない。締切が近くなってから苦しまないように、書けるものから動き始めているのだけれど、流れ作業的にこなしているわけでもなく、完成度的にも良いものが書けている感覚はあった。

だからこそもやもやの正体がわからなかったのだけど、ちょうど、年始から〈日付〉を書かないとなーと思って手をつけたもののうまくいかない、というのが続いていて、それがきっかけが原因がわかった。

端的に言えば、僕は無意識のうちに自己規範的になりすぎていた。

僕は基本的に怠け者かつ易きに流れ去るタイプなので、怠けることを許すと致命的なほどに怠惰を体現してしまう。そのため、日頃からそういう状態に陥らないように色々工夫している。それは自分の内部のやる気をあまり信用していないという意味でもあって、やる気のあるうちに外部化した仕組みに手伝ってもらいながら書き続けているところがある。また実作に関しても、自由詩というものに対して自分なりの「外枠」を設定して書くことがよくある。

そんな状況で、ありがたいことに昨年拙詩集が賞をいただき、贈呈式でマイペースに活動していきたいとは言ったものの、やはりプレッシャーはあったらしく(というか、その発言自体がプレッシャーの現れに他ならない)、自分でも気づかないうちに諸々の「外枠」の締めつけを強めてしまっていた。「自己管理」が「自己監視」になりかかっていた。

しかも、易きに流れる僕の性質は簡単に反転しうる。良い塩梅という中間のない、0か1かの生き方をしてしまうということだ。オンオフのはっきりしたスイッチのようなものだ。一度切り替わってしまうと、今度はそれまでと反対方向に自らどんどんと進んでいってしまう。最近は0.5を意識して生きているつもりだったのだけれど、まだまだ難しい。

結果、自らの規範を過剰に守ることにある種のフェティッシュな喜びを感じていて、それを書くことの楽しさと錯覚し、その実、書くことの喜びは減っていた。まさに自縄自縛、本末転倒というやつ。

やるべきことをやるのは大切だが、やりたいことがあり、それをやれる余裕があるなら、そっちをやるべき。

その道に進む続けることで生まれる表現もあるのだけれど、自分の状態を自覚したとき、僕はこれまでの違う方角に進むことに興味が湧いた。

というわけで、誰に頼まれるでもなく、進めることを自分に課していたいくつかのことは一度保留、あるいは、ペースを落とすことにする(それによって改めて見えてくるものもあるでしょう)。

生活習慣は維持しつつ、創作におけるフレームは緩める方向でいってみようと思う。

不安とわくわくが五分五分で混ざり合っているこの感覚は久しぶりだ。

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