20231019

一ヶ月ぐらい前にずっと使っていた眼鏡を踏んだ。高校生くらいから使っていた眼鏡だった。丁番が壊れて、片方のつるとレンズ部分が完全に分離してしまった。
十秒くらい思考が止まって、今更のようにおそるおそる確認するも手遅れという事実は変わらなかった。正直度数が合っていなかったから、むしろもっと早く買い替えるべきだったのだろうけれど、外ではコンタクトを使っているのもあってずっと先延ばしにしていた。新調する面倒くささに思わず溜め息をついた。

しかし、三辺のうち一辺を失ってしまった不安定な眼鏡を無理やりかけてみると、多少の緩さはあるものの、それは問題ないと言ってしまえる具合だった。鼻当てと残された方のつるで、辛うじて(しかし思ったよりも)眼鏡は自らを支えていた。

というわけで、それから僕はつるを一本失った眼鏡を今も使い続けている。

あと、創作とはまったく関係のない勉強をしている。そこには文学とは異なる言葉の使い方があって、勉強の内容よりもその分野の文体に興味が湧いている。

毎日欠かさず、というのはまだ無理だけれど、辛うじて途切れない程度には続けられている。なんというか、僕には勉強している人に対する憧れがあるような気がする。役に立つとか賢さとか、そういうんじゃなくて、その人が黙々と机に向かっている姿を想像して、無条件にじーんとくるものがあるのだ。自分が机に向かっている姿に感動するわけではないのだけど、その対象と近いあり方をしているということが、モチベーションの一つになっているかもしれないなーと思う。

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