20231112

雪が降っているのを見た。今年初めてだった。昨日も降ったらしいけれど、僕は知らない。乾いた雪の粒が、アスファルトに着地して、小さくバウンドしたり、ぽろっと二つに割れたりするのを、下を向いて歩きながら眺めていた。

「初雪はとけるためだけに降って」という詩句を書いたことがある。ここには雪の存在以上に、それを感覚した語り手の存在が強くある。

夏か冬かで言えば冬が好き。雪も嫌いじゃない。この二重否定的な言及の仕方に雪国の人間の感性がある気がする。

雪国の人間は雪のロマンチックさに耽溺できない、と思う。ときに生活の脅威になりうるから。あと、無条件に美しいものでもない。たとえば、春になって雪が溶け始めると、車の排気ガスや埃、煤の色や、滑り止めの砂が道を覆う。なんというか、見ないようにしていたものを見せつけられるような気分になる。それが撥ねて裾が汚れることもある。「雪解け」という言葉のイメージほど清しいものだとは思えない(これは冬から春への移行期の出来事だけど)。

でも、雪の美しさも同じくらいわかっているつもり。たとえば、日光に表面だけが薄く溶けて光っているようなまっさらな雪原に、動物の足跡が薄く残されている風景が僕はとても好きだ。

この二重性のあわいの部分にこそ、雪国のリアリティがある気がしていて、それは人の生のあり方の一つの象徴なのではないかとも思う。飛躍しすぎかもしれないけど、悪くない考え方だと思う。

身体が寒さにかじかむ一方、思考は寒さによって澄んでいく。夏とは逆だ。個人的には、冬の方が身体に合っているのだと思う。毎年、暖房費には頭が痛いけど。やっぱり、素直に好きとは言えない。

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