3.11を想う

ふと。
3.11から丁度10年ということで、当時のことを想う。

今から10年前の15歳の時、私は友達とカラオケに向かっていて、祖父が運転する車の中だった。

見慣れた道で目の前のビルが縦横無尽に揺れて、何故か地震とは思えず、「何が起こってるの?」と状況を把握しきれなかった。

その日は卒業式があった日で、カラオケに着くと、多くの同級生が駐車場に出ていて、なんだか不思議な光景だった。

家に帰り、家族から地震だと知らされ、ようやく現実味が湧いてきた。
その後、停電や断水などの状況が続き、食料も十分に確保できなかった。
車でいたる所のスーパーを探し、やっとの思いで食料を確保した。
炊き出しがとても有難かった。

夜は寒くて、電気ストーブ1台で日々をやり過ごした。

***

インフラが復旧し始めた頃に、小さい頃から知り合いのご家族が、たまたま沿岸沿いを走っていて、津波に飲み込まれたことを知った。

私はショックだった。
その子の気持ちを想うとなんとも居た堪れなかった。
心の一部が針で刺されるような、そんなちくりとした痛みが走った。

その子は今どうしてるだろう。
どんな気持ちで今日を迎えたのか。

***

私は東京にいた頃、3.11当日は例年仕事が忙しく、黙祷できていなかったように思う。
東北に戻って、黙祷をして、去年までとは違う想いが心の中に生まれた気がする。

東北に戻ったからこそ、被災地を目で見て感じたい。
そんな風に思ったので、書き残しておく。

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