長崎・外海のカクレキリシタンに伝承されている四つのグレゴリオ聖歌の原譜と伴奏譜について

外海・黒崎地区・カクレキリシタン帳方・村上茂則氏
バスチャン暦・大正15年版・村上茂則氏所蔵
天地創造について・天地はじまりの本・村上茂則氏所蔵
村上茂則氏宅に所蔵されている江戸時代のオラショの断片
外海・黒崎教会内陣
村上茂則氏と枯松神社入口にて


長崎・外海のカクレキリシタンに伝承されているオラショの中の四つのグレゴリオ聖歌・四つのグレゴリオ聖歌の原譜・四線譜と伴奏譜について

 
外海・枯松神社に於いての初穂上げの儀式次第・グレゴリオ聖歌
1     グレゴリオ聖歌、主の祈り・パーテル・ノステル・Pater noster 400年頃成立
2     オラショ、主の祈り
3     グレゴリオ聖歌、信仰宣言・クレド・Credo 第1番・1000年以前の成立
4     オラショ、ケレド (使徒信条)
5     グレゴリオ聖歌、アヴェ・マリア・Ave Maria 1000年頃成立
6     オラショ、アヴェ・マリア
7     オラショ、天使祝詞(ガラサ)
8     グレゴリオ聖歌、サルヴェ・レジナ・Salve regina 1000年頃成立
9     オラショ、サルヴェ・レジナ(元后・憐れみの母)
10   オラショ、感謝の祈り(御身様の祈り)

オラショ・主の祈り
天に存す、我等が御親、御名を尊まれ給え。御代きたり給え。天に於いて思召すままなる如く、地に於いてもあらせ給え。我等が日々の御養いを今日我等に与え給え。我等人にゆるし申すごとく、我等が罪を許し給え。我等をテンタサンにはなし給う事なかれ。我等を凶悪よりのがし給え。アーメン
 
 オラショ・ケレド
万事叶い天地を造り給うデウスパアテレを、又、其の御独子、我等がゼスキリスト、
是れ、即ちスピリツサントの御奇特を以て宿され給いてビルゼンサンタマリアより生まれ給う。ポンショピラトが下に於いて河責を受けこらえクルスに掛けられ死し給いて、石の御棺に納められ給う。大地の底へ下り給い三日目によみがえり給う。天に昇り給い万事に叶い給う。デスパアテレの御右にそなわり給う。
それより生死の人をただし給わんがため、天下り給うべし。
スピリツサントカトウリカにてございます。
サンタエキジリアを真に信じ奉る。サントス皆通用し給う事を罪のおん許しを、肉体よみがえるべきことを。終わりなき命を、真に信じ奉る。アーメン
 
オラショ・ガラサ(アヴェ・マリア・天使祝詞)
ガラサみちみち給うマリアに御礼をなし奉る。御主は御身と共に在す。女人の中においてはきて御果報いみじきなり。又、御胎内の御身にて在す。ゼウスは尊くまします。デウスは御母サンタマリア、今も我等が最後にも、我等悪人のため頼み給え。アーメン
 
 ガラサ(アヴェ・マリア)ラテン語のカタカナ表記
アヴェ・マリア、ガラサベーナ。ドメレコ。ベラットツウヨーイイモノイレクツイクレナレ。
ツルレツレケレツゼズサンタマリア。ビルゴモッテテンテンホーラツランノゲンノトイヤノナンキイナンツ。アメンゼズス。
 
オラショ・サルヴェ・レイジの祈り
憐れみの御母后妃にて在す。御身に御礼をなし奉る。我等が一命かんみ頼みかけ奉る。流人となるエハ(エバ)の子供、御身にさけびをなし奉る。この涙の谷にてうめき泣きて、御身に願いをかけ奉る。これによって我等が御とりなしで憐れみの御眠を我等に見むかせ給え。
又、この流浪のあとは御体内の尊き身にて在す。ゼズスを我等に見せ給え。深き御柔軟、深き御哀隣すぐれて甘くございます。ビルゼンマリアかな。尊きデウス御母キリストの御約束を受け奉る身となるために、頼み給え。いかにガラサと御憐れみの御母サンタマリア、御身我が敵を防ぎ給い最後に(・・・)さんを受け取り給え。アーメン
 
ラテン語
グレゴリオ聖歌、主の祈り・パーテル・ノステル・Pater noster
Pater noster,qui es in caelis sanctificertur nomen tuum:
Advénat regnum tuum: Fiat volúntas tua, sicut in coelo et in terra.
Panem nostrum quotidiãnum da nobis hódie:
Et dimite nobis débita nostra, sicut et nos dimittimus debitóribus nostris.
Et ne nos indúcas in temtatiónem. Sed lìbera nos a malo.

グレゴリオ聖歌、信仰宣言・クレド・Credo 第1
Crédo in úum Déú. Patrem omnipoténtem. Factórem caéliet térrae, visibilium ómnium.
Et invisibilium. Et in únum Dónum Jésum Christum, Filium Déi unigénitum.
Et ex Pàtre nàtum ante ómnia saécula. Déum Déo, lumen de lúmine, Déum vérum de
Déo véro. Génitum,non factum, consubstantiàlem Patri: per quem ómnia facta sunt.
Qui propter nos hómines, et propter nósteam salútem descéndit de caelis.
Et incarnatus est de Spiritu Sancto ex Maria virgine: Et hómo factus est.
Crucifixus étiam pro nóbis: sub Póntio Pilàto passus, et sepúltus est.
Et resuréxit tértia die sec úndum scriptúras. Et asc éndit in caelum:
sédet ad déxteram Patris. Et iterum ventúrus est cum glória, judicàre vivos et mórtuos:
cújus régni non érit finis. Et in Spiritum Sanctum, Dómiunm, et vivificàntem:
qui ex Patre Filióque procédit. Qui cum Patre et Filio simul adoràtur, et conglorificàtur:
qui locútus est per prophétas.
Et únam, sanctam, cathólicam et apostólicam ecclésiam.
Confiteorúnum baptisma in remissiónem peccatórum. Et exspécto resurrectiónem.
Et vitam ventúri saéculi. Amen.

グレゴリオ聖歌、アヴェ・マリア・Ave Maria
Ave Maria, gràtia plena; Dóminus tecum; benedicta tu in muliéribus,
Et benedictus fructus ventris tui Jesus.
Sancta Maria, Mater Dei, ora pro nobis peccatóribus,
Nunc et in hora mortis nostae. Amen.

グレゴリオ聖歌、サルヴェ・レジナ・Salve regina
Salve Regina, Mater misericordiae; vita,dulcédo et spes nostra salve.
Ad te clamàmus éxsules filii Hevae.
Ad te suspiràmus gemétes et flentes in hac lacrimàrum valle.
Eja ergo, adovocàta nostra, illos tuos misericórdes óculos ad nos convérte.
Et Jesum, benedictum fructum ventris tui,
Nobis post hoc exilium ostende.
O Clemens, O pia, O dulcis, Virgo Maria.

はじめに
長崎・外海のカクレキリシタンに伝承されているオラショの中の四つのグレゴリオ聖歌・四つのグレゴリオ聖歌の原譜・四線譜と伴奏譜について、
 
2022年11月18日に長崎・外海の枯松神社に於いて奉献儀式に参加させていただき、村上茂則氏(キリシタン帳方)が唱えられる「オラショ」の中から、4つのグレゴリ聖歌を歌わせていただいた。

外海の黒崎地区のカクレキリシタン帳方・村上茂則氏から頂いた『おらしょ』の全文史料と、使用した4つのグレゴリオ聖歌との関連性について既にnoteに論文を挙げたが、その後『おらしょ』で使用されているグレゴリオ聖歌の原譜(四線譜)と伴奏譜についての質問と問い合わせを頂いた。

カトリック教会の信者にとっては、「主の祈り」「クレド・第1番」「アヴェ・マリア」「サルヴェ・レジナ」の4曲は、既に「カトリック聖歌伴奏集」光明社版に掲載されていて、馴染みの曲であるが、プロテスタント教会の方たちにとっては、カトリック教会との基本教理が違うため「主の祈り」「クレド・信仰宣言」は主日礼拝で唱えるだけであり、原旋律(グレゴリオ聖歌)がどのような曲であるかを知っている方は殆どと言っていいほどいないと思われる。

「アヴェ・マリア」「サルヴェ・レジナ」に関してはプロテスタント教会内で歌われることはない。音楽を専攻した教会オルガニスト・ピアニストでもこの2曲の旋律は知ってはいるが、教会内で演奏する機会はない。
旋律が有名で美しく、魅力的な「アヴェ・マリア」「サルヴェ・レジナ」とは、どの様な曲なのか知りたいと思われるは当然のことである。

カクレキリシタンに伝承され唱えられている「おらしょ」の中で、グレゴリオ聖歌から使用されている4曲に関しての史料・歴史的教材として、これらの楽譜を掲載させていただいた。

 著作権・演奏権の問題もあるため、演奏される際は、必ず原譜である「カトリック聖歌伴奏集」光明社版を購入され使用して頂きたい。紹介のための部分掲載を快く許可して頂いた光明社様には心から感謝申し上げます。

曲目解説
 
主の祈り・Pater noster (Oratio Dominica)
【400年頃成立した単旋律聖歌】

 
【歌詞】
『天にまします我らの父よ、願わくは御名の尊まれんことを、御国に来たらんことを、御旨の天に行われる如く地にも行われんことを。我らの日用の糧を今日も我らに与えたまえ。我らが人に赦す如く、我らの罪を許したまえ。我らを試みに会わせず、我らを悪より救い給え。アーメン』
 
聖書ではマタイによる福音書6章9~13節、ルカによる福音書11章2~4節に記されている。教えの対象がマタイでは群衆に対して、ルカでは特定の弟子たちに対しての教えとなっている。
 
古くは聖書の朗読(御言葉を会衆一同で唱えていた)であったのが、400年代より信者たちが唱えていた主の祈りが時代を経て唱えられているうちに次第に抑揚が付けられて歌うようになったと考えられている。古くは400年頃の『アンブロシウス聖歌写本340~397年』で確認できる。グレゴリウス1世540~604年には正式にグレゴリオ聖歌として公式に歌われ聖歌として扱われるようになった。最も古い朗唱が歌の形に変わっていった聖歌のひとつ。
 
『主の祈り・Pater Noster』も3種類ありグレゴリオ聖歌のなかで広く用いられている旋律は2つある。ひとつは祝祭日用、もうひとつは週日用である。
 
祝祭日用の旋律(A)の最古の写本は、南イタリアに伝わる1000年頃のもので、非常に古くから歌われていた旋律である。1200年頃には、フランシスコ会とドミニコ会が採用して、広く公に用いられるようになった。祝祭日用の旋律は複雑な詩編唱定型に似ているが、朗唱する際、言葉のほとんどをB音で歌い、曲の終わり近くになってA音が用いられる特徴を持つ。終止音はG音かA音で終わる。
*カトリック聖歌伴奏譜 253~254頁 光明社出版
 
週日用の旋律(B)は、祝祭日用の旋律を簡素にした形を持つ旋律で、最古の古い写本は1150年頃のカルトゥジオ会の写本の中に書かれている。
*カトリック聖歌伴奏譜 306~307頁 光明社出版
 
あとひとつの旋律(C)は9~13世紀に作られた旋律(*トロープス付)の『主の祈り』(F-LA 263, f.138r~138v)で、主の祈り自体の本文が非常に単純な旋律の定型に付けられていて、同じ装飾音(メリスマ)が各小節の終わりに出てくる形を持っている。既存の週日用の『主の祈り』の旋律に自由な変奏を用いた旋律と思われる。
 
プロテスタント教会で唱えられている『国と力と栄とは限りなく汝のものなればなり。』はDoxologia・ドクソロジー、栄唱、神を賛美する歌。
式文として後の1100年以後に唱えられるようになった。
『Gloria in excelsis Deo』がThe greater doxology が大頌栄と呼ばれ、『国と力と栄とは限りなく汝のものなればなり。』は、小頌栄と呼ばれている。
この部分はグレゴリオ聖歌の旋律の中にはない。

主の祈り・伴奏譜・カトリック聖歌伴奏集・253~254頁
ド・ロ神父愛用の典礼書・主の祈りの箇所・ド・ロ神父記念館所蔵

クレド・信仰宣言について
 
信仰宣言【クレド】 
【歌詞】
私は天地の造り主、全能の父なる神を信じます。私はその独り子、私たちの主、イエス・キリストを信じます。主は聖霊によってやどり、おとめマリアより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ,蔭府(よみ)にくだり、三日目に死人の内よりよみがえり、天に上り、全能の父なる神の右に座しておられます。
かしこより来り生きている者と死んだ者とを裁かれます。私は聖霊を信じます。聖なる普遍の教会、聖徒の交わり、罪の許し、体のよみがえり、とこしえの命を信じます。
アーメン

オラショ・クレド・手写し写本・外海民族資料館所蔵

信仰宣言とも使徒信条とも呼ばれる、キリスト教信者がキリストに対する自分の信仰を告白するときに唱える信条。カトリック教会のミサ典礼における、ミサ通常文の第3番目に唱えられる「信仰宣言・クレド」。「会衆が神の言葉に応えて信仰の規範を思い起こし、信仰を新たにするために,信条を唱えること」と規定されている。
 
司祭が「われは信ず、唯一の神Credo in unum Deum」と唱えて歌い出し、信者達が「全能の神Patrem omnipotentem」と続く。前半部では創造主である父なる全能の神と、人間の姿で誕生して十字架の上で我らの罪をあがない給うたイエス・キリストへの信仰を、後半部では死に勝利したキリストの復活、父と子と三位一体の聖霊への信仰告白を荘厳な旋律に乗せて歌っていく。
 
旋律は11世紀に成立した。460年前の1560年代・豊後府内で歌われていたグレゴリオ聖歌は紛れもなく現在も歌われている聖歌・クレド1番と同じものであり、クレドも11世紀に作られた「クレド1番」が歌われていた。
 
クレド・信仰宣言の歴史的成立過程
信仰宣言とは、イエス・キリストの弟子たちの時代から使徒時代を経て、初代キリスト教会時代へと信仰の基本は色々な形でまとめられてきたが、洗礼の確立と共に信徒になる人の信条の告白も定式化されていった。洗礼を受けるに先立ち、洗礼志願者にキリスト者の秘儀が伝えられ、志願者は共同体(教会)の面前でそれを唱え返す式があった。更に洗礼そのものが『父と子と聖霊を信じます』と言う信仰表明の後に授けられた。
 
215年、ローマの『ヒッポリュトスの使徒伝承』の時代には、この形式は確立されていた。325年、ニカイア(現・トルコのイズニクIznik )で開催された第1回公会議で信条が作成され、381年、コンスタンティノポリス(現・トルコのイスタンブール)で開催された公会議において『聖霊に関する補足』が補足付加されて『ニカイア・コンスタンティノポリス信条』の式文が成立して、教会で唱えられ、ラテン語聖歌の旋律によって歌われてきた。
 
東方教会では568年、皇帝ユスティニアヌス二世の命令で、『主の祈り』の前に『ニカイア・コンスタンティノポリス信条』を歌うことが義務付けられた。西方教会でもスペインとガリアで6世紀終わりころから、この信条を歌うように決められた。信条を歌う習慣は9世紀にアイルランドで広まり,福音書の朗読の後に歌うようになった。イングランドを経てドイツに入り、ヨーロッパ全域の教会において習慣化された。1014年、皇帝ハインリヒ二世が戴冠式のためにローマに行き、主日と大祝日にニカイア・コンスタンティノポリス信条を唱えることを西方教会に義務付け、以後西方教会全域において信条が正式に典礼に組込まれた。
 
クレド旋律の音楽的成立過程
「ニカイア・コンスタンティノポリス信条」による「クレド」を歌うラテン語聖歌には、中世に作成された写本の中には8種類の旋律が確認されている。

1974年に出版された現行のグレゴリオ聖歌集『グラドゥアーレ・ロマーヌムGraduale Romanum 』には11世紀から17世紀に作られた6種類の旋律がネウマ楽譜(4線譜)付で記載されている。
 
*原譜・四線譜楽譜の出典『グラドゥアーレ・トリプレクス・Graduale Triplex 』(1979年ソレム修道院出版)Credo 1、 64~66頁、
第4旋法ヒポフリギア旋法、
 
*カトリック聖歌伴奏譜 Credo 信仰宣言Ⅰ 266~269頁 光明社出版
♭、F major、ヘ長調 四線譜と同じ調性
 
*Accompagnement du Kyriale Vatican Desclée出版社 Credo 1 72~74頁
 #、G major、ト長調 原曲よりも1音高く移調されている

クレド四線譜64頁・1頁
クレド四線譜65頁・2頁
クレド四線譜66頁・3頁
クレド1番・伴奏譜・266頁
クレド1番・伴奏譜・267頁
クレド1番・伴奏譜・268頁
クレド1番・伴奏譜・269頁

クレド旋律の成立年代
1番11世紀。2番記載なし。3番17世紀。4番15世紀。5番17世紀。6番11世紀。
 
教会旋法別の分類
6種類の旋律はそれぞれが教会旋法によって、固有の旋律を持っている。6種類の旋律を教会旋法ごとに分けると、3種類の教会旋法に分類できる。
 
第4旋法ヒポフリギア旋法、第1番、第2番、第5番、第6番、
第5旋法リディア旋法、第3番、
第1旋法ドリア旋法、第4番、
 
第4旋法のヒポフリギア旋法による4種類の旋律は基本的には極めて類似した旋律であり、類似した旋律の上にそれぞれが独自の装飾的な動きを旋律内に持っている。つまり11世紀に作られた第1番の旋律が基本の旋律であり、第2番、第5番、第6番の3種類の旋律は第1番旋律の変形であり、中世の時代に広範囲の地域において歌われていた第1番旋律が、時代的地域的変遷を経て伝承され変形して定着した相違によると考えられる。
 
「クレド」の旋律の中で「Authenticus=正統的・基準的・本来的」とされてきたのが、第1番の第四旋法ヒポフリジア旋法による旋律である。年代的にも1番古く11世紀に成立したと言われている。6種類の旋律はそれぞれが属する旋法に応じた動きや装飾的音符の長さの違い等があるが、言葉からくる制約や音楽的区切り方等から比較した場合、構造的には同一の形式に統一される。
 
第5旋法のリディア旋法による第3番は、第四旋法のヒポフリジア旋法の4曲とは旋法そのものが持っている旋法の性格が異なるために比べるとより明るく軽快な調性を持ちへ長調(F major )に近い調性に感じる。旋律は17世紀に成立した。
 
第1旋法のドリア旋法による第4番は、荘厳で重厚な調性を持ちニ短調(d minor )に近い調性を持っている。旋律は15世紀に成立した。

グレゴリオ聖歌・羊皮紙・五線譜・スペインの修道院で使用・1500年代
縦75㎝ 横51㎝ 髙田重孝所蔵


アヴェ・マリア・Ave Maria
 
歌詞
めでたし、マリア、恵みに満ちた方、主はあなたと共にまします。あなたは女に中で祝せられ,また、ご胎内の御子も祝せられます。神の御母聖マリア、祈りたまえ、罪びとなる我らのために、今も臨終の時にも、アーメン
 
聖母マリアへの祈り。3節より構成されている。
 
1、天使ガブリエルがマリアへの受胎告知をした際の祝詞(ルカ1:28)
2、マリアを迎えたエリザベツの祝詞(ルカ1:42)
3, 聖母マリアへ執り成しの願い。現在の祈りは6世紀から15世紀にかけて形成された。
 
祈りの前半(上記1,2)の原型は6世紀の東方教会の典礼書に見られ、西方教会では7世紀のローマ典礼書に待降節主日の奉献唱として記載されている。15世紀以降、後半3の聖母マリアへの執り成しの祈りが付け加えられた。
 
有名な『アヴェ・マリア』の旋律は1000年初頭の写本(ハルトカ―390~391, f, 38 )にネウマ符で記されている古い旋律である。旋律の始めの箇所に非常に印象的な5度の跳躍があり、第1教会旋法ドリア旋法がもつ荘厳性、深い崇敬性、奥床しい色調が特徴的に旋律に表われている。

後半の聖母マリアに神へのとりなしを願う言葉と旋律は1000年頃に加えられた箇所で、言葉に合わせて旋律も嘆願調になっている。交唱『アヴェ・マリア』は聖母の祝祭日の聖務日課の他、お告げの祈りとして、また、様々な機会に非常に多く歌われている。
 
フランシスコ・ザビエル(Francisco de Javier)が日本に来た1549年以来、1560年代に豊後(大分)で制定されたと最初期と同じ形式の祈祷文として唱えられていたことがイエズス会の記録から判る。

1561年10月8日付け、ジョアン・フェルナンデス・João Fernàndez de Oviedo(1525~1567年)修道士書簡
『彼らに(教える際に)取る順番は以下のようである。すなわちパーテル・ノステル(主の祈り)、アヴェ・マリア、クレド、サルヴェ・レジーナをラテン語で、またデウスの十戒と教会の掟,大罪とこれに対する徳、並びに慈悲の所作を彼らの言語(日本語)で唱えるに止める。』

『当時、我らの同僚たちの司祭館では、キリシタンたちに信心を教え、彼らがデウスのことを喜ぶように導くために、一日の七度の聖務日課の時間に合わせて、七回、ちいさな鈴を鳴らす習わしであった。それを聞くと、司祭館にいる全員は聖堂に参集し、一人の少年が大声で主の御苦難の物語の一ヵ所を朗読する。そしておのおのは、その御受難を追想しながら、当地方のために「パーテル・ノステル」を五回、「アヴェ・マリア」を五回唱えて祈った。そしてこれは多年にわたってキリシタンの間に広まり、いろいろの地方で彼らは自分たちの家で同様のことを行った。』173~174頁 
コスメ・デ・トーレス神父が修道士たちと共に豊後府内の司祭館で行った修行について
ルイス・フロイス著『フロイス日本史』第6巻 大友宗麟編I 第17章(第I部19章)
 
『当修道院に居住する日本人の同宿たちは、昼間は来訪者たちに「日本語とその文字で書かれた本」によってドチリナ(教理)を教え、夜、アヴェ・マリアの時刻に、つづいて、パードレ(神父たち)と共に、我ら一同はパーテル・ノステル、アヴェ・マリア、クレド(使徒信教)サルヴェ・レジナの祈祷(オラショ)を行い、また、航海者、特に日本に来る司祭と修道士のため、パーテル・ノステルを一度唱えたのち、ラダイニャス(聖母連禱)をともに唱えていた。』
1555年9月20日付け 豊後(大分)発 ドゥアルテ・ダ・シルヴァ修道士書簡
 『16・17世紀イエズス会日本報告集』第Ⅲ期第Ⅰ巻214頁
 
『かつまた教会の国と当地方の発展のため、パーテル・ノステルとアヴェ・マリアを三度唱える』『我らが死者とともに修道院を出る前に、私は留まって少し祈り,三度パーテル・ノステルを称えると、キリシタンも唱和し、墓所においても死者を葬る前に同じことをなす。』
1555年9月23日付け 豊後(大分)発 バルタザール・ガーゴ神父書簡
 『16・17世紀イエズス会日本報告集』第Ⅲ期第Ⅰ巻182~183頁
  
日本のキリシタン時代の教理門答書『どちりいなきりしたん』(1600年)のなかに、現在の形とほとんど同じ形で書かれている。1560年代に制定された最初期の祈祷文・オラショの形が、日本各地のキリシタンによって、現代まで450年間の長きに渡り、忠実に形も変えずに伝承されていることは驚異的な事である。

アヴェ・マリア・四線譜・原譜

*原譜・四線譜の出典『グラドゥアーレ・トリプレクス・Graduale Triplex 』(1979年ソレム修道院出版) 1861頁、聖母讃歌(Honorem B Mariae V )マリア交唱歌(Antiphonae B. Mariae Virginis )単純調(tonus simplex )教会第1旋法ドリア旋法による。

オラショ・アヴェ・マリア・外海民俗民俗資料館所蔵
オラショ・アヴェ・マリア・写本・外海民俗資料館所蔵

*カトリック聖歌伴奏譜 282~283頁 光明社出社

アヴェ・マリア・伴奏譜・原譜・四線譜より1音高い調性
伴奏譜・原譜・四線譜と同じ調性・カトリック聖歌集・282~283頁・光明社出版


めでたし元后・サルヴェ・レジナ・Salve Regina Mater misericordiae
【歌詞】

めでたし元后 憐みの母、我らの命、喜び、希望。旅路からあなたに叫ぶエヴァの子よ、嘆きながら、泣きながらも 涙の谷にあなたを慕う。いざ、我らのためにとりなす方。憐みの目を我らに注ぎ、尊いあなたの子、イエスを旅路の果てに示してください。
おお、いつくしみ深く、恵みあふれる乙女、マリア。

 
三位一体主日後(その前夜土曜日)から待降節第一主日の直前の金曜日夜までの期間の終課(就寝前の祈り)の最後に歌われるマリア交唱歌。
ベネディクト会が定めた聖務日課の最後の祈り(就寝前の祈り)、終課の最後で歌われる聖母マリアを称える歌、ラテン語の表題は『聖母マリアへの結びの交唱』。
 
この名曲はグレゴリオ聖歌の中で最も美しい旋律を持つ有名なマリア交唱歌。最も古い聖母讃歌のひとつで、天の元后(女王)、神の母、取次者である聖母マリアを称え祈る讃歌。
 
最古の史料は1000年頃のもので、歌詞、旋律共にフランスのル・ピュイの司教・アデマール作と言われている。このSalve Reginaが典礼において用いられるようになったのは1135年、クリュニー修道院に於いてペトルス・ヴェネラピリスが定めた行列聖歌であった。1218年以降、シトー会がこの曲を毎日の行列聖歌と定め、1230年からはドミニコ会でも毎日の終課の後で歌うことを定めた。またこの曲は『神のお告げの祝日』のマグニフィカト(マリアの賛歌・ルカによる福音書第1章46節~55節)のアンティフォナAntiphonとして用いられていた。13世紀にシトー会、ドミニコ会等の修道会がそれぞれに日々の祈りの中に取り入れるようになり、教皇グレゴリウス9世(在位1227~1241)がこの曲を毎金曜日の終課の後に唱えるように定めた。1300年以降は、すべての終課の後に唱えられるようになった。修道士たちは全員聖堂に集まり、一日を神の御恵みのうちに過ごすことができた感謝と共に、この日の最後の聖歌を聖母マリアへの誉れのために捧げる。

*原譜・四線譜の出典『グラドゥアーレ・トリプレクス・Graduale Triplex 』(1979年ソレム修道院出版) 279頁、マリア交唱歌(Antiphonae B. Mariae Virginis )単純調(tonus simplex )
原調は第5旋法リディア旋法による。

サルヴェ・レジナ・四線譜原譜
オラショ・サルヴェ・レジナ・外海民俗資料館所蔵

*カトリック聖歌伴奏譜 284~285頁 光明社出版

サルヴェ・レジナ・伴奏譜


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