2022年11月、長崎外海、枯松神社・初穂上げ祭礼とグレゴリオ聖歌奉献・オラショとグレゴリオ聖歌の同一性について

枯松神社祭壇
隠れキリシタン帳方・村上茂則氏(左)髙田重孝(右)
枯松神社・初穂上げ・グレゴリオ聖歌奉献・髙田重孝独唱
枯松神社・初穂上げ・グレゴリオ聖歌奉献

グレゴリオ聖歌とオラショの祈り

外海・枯松神社に於いての初穂上げの儀式・グレゴリオ聖歌
☆ビデオ撮影・録音・写真撮影(フラッシュ禁止)は自由です☆

2022年11月18日
オラショ 村上茂則
グレゴリオ聖歌 髙田重孝

1     グレゴリオ聖歌、主の祈り・パーテル・ノステル・Pater noster 
   400年頃成立
2     オラショ、主の祈り
3     グレゴリオ聖歌、信仰宣言・クレド・Credo 第1番・
   1000年以前の成立
4     オラショ、ケレド (使徒信条)
5     グレゴリオ聖歌、アヴェ・マリア・Ave Maria 1000年頃成立
6     オラショ、アヴェ・マリア
7     オラショ、天使祝詞(ガラサ)
8     グレゴリオ聖歌、サルヴェ・レジナ・Salve regina 1000年頃成立
9     オラショ、サルヴェ・レジナ(元后・憐れみの母)
10   オラショ、感謝の祈り(御身様の祈り)


グレゴリオ聖歌、主の祈り・パーテル・ノステル・Pater noster

Pater noster,qui es in caelis sanctificertur nomen tuum:
Advénat regnum tuum: Fiat volúntas tua, sicut in coelo et in terra.
Panem nostrum quotidiãnum da nobis hódie:
Et dimite nobis débita nostra, sicut et nos dimittimus debitóribus nostris.
Et ne nos indúcas in temtatiónem. Sed lìbera nos a malo.


グレゴリオ聖歌、信仰宣言・クレド・Credo 第1
Crédo in úum Déú. Patrem omnipoténtem. Factórem caéliet térrae, visibilium ómnium.
Et invisibilium. Et in únum Dónum Jésum Christum, Filium Déi unigénitum.
Et ex Pàtre nàtum ante ómnia saécula. Déum Déo, lumen de lúmine, Déum vérum de
Déo véro. Génitum,non factum, consubstantiàlem Patri: per quem ómnia facta sunt.
Qui propter nos hómines, et propter nósteam salútem descéndit de caelis.
Et incarnatus est de Spiritu Sancto ex Maria virgine: Et hómo factus est.
Crucifixus étiam pro nóbis: sub Póntio Pilàto passus, et sepúltus est.
Et resuréxit tértia die sec úndum scriptúras. Et asc éndit in caelum:
sédet ad déxteram Patris. Et iterum ventúrus est cum glória, judicàre vivos et mórtuos、
cújus régni non érit finis. Et in Spiritum Sanctum, Dómiunm, et vivificàntem:
qui ex Patre Filióque procédit. Qui cum Patre et Filio simul adoràtur, et conglorificàtur:
qui locútus est per prophétas.
Et únam, sanctam, cathólicam et apostólicam ecclésiam.
Confiteorúnum baptisma in remissiónem peccatórum. Et exspécto resurrectiónem.
Et vitam ventúri saéculi. Amen.


グレゴリオ聖歌、アヴェ・マリア・
Ave MariaAve Maria, gràtia plena; Dóminus tecum; benedicta tu in muliéribus,
Et benedictus fructus ventris tui Jesus.
Sancta Maria, Mater Dei, ora pro nobis peccatóribus,
Nunc et in hora mortis nostae. Amen.


グレゴリオ聖歌、サルヴェ・レジナ・
Salve reginaSalve Regina, Mater misericordiae; vita,dulcédo et spes nostra salve.
Ad te clamàmus éxsules filii Hevae.
Ad te suspiràmus gemétes et flentes in hac lacrimàrum valle.
Eja ergo, adovocàta nostra, illos tuos misericórdes óculos ad nos convérte.
Et Jesum, benedictum fructum ventris tui,
Nobis post hoc exilium ostende.
O Clemens, O pia, O dulcis, Virgo Maria.


初穂上げ 式次第 *(カトリック教会のミサに相当する儀式)

オラショ・主の祈り
天に存す、我等が御親、御名を尊まれ給え。御代きたり給え。天に於いて思召すままなる如く、地に於いてもあらせ給え。我等が日々の御養いを今日我等に与え給え。我等人にゆるし申すごとく、我等が罪を許し給え。我等をテンタサンにはなし給う事なかれ。我等を凶悪よりのがし給え。アーメン

 オラショ・ガラサ(アヴェ・マリア・天使祝詞)
ガラサみちみち給うマリアに御礼をなし奉る。御主は御身と共に在す。女人の中においてはきて御果報いみじきなり。又、御胎内の御身にて在す。ゼウスは尊くまします。デウスは御母サンタマリア、今も我等が最後にも、我等悪人のため頼み給え。アーメン

 ガラサ(アヴェ・マリア)ラテン語のカタカナ表記
アヴェ・マリア、ガラサベーナ。ドメレコ。ベラットツウヨーイイモノイレクツイクレナレ。
ツルレツレケレツゼズサンタマリア。ビルゴモッテテンテンホーラツランノゲンノトイヤノナンキイナンツ。アメンゼズス。

 オラショ・サルヴェ・レイジの祈り
憐れみの御母后妃にて在す。御身に御礼をなし奉る。我等が一命かんみ頼みかけ奉る。流人となるエハ(エバ)の子供、御身にさけびをなし奉る。この涙の谷にてうめき泣きて、御身に願いをかけ奉る。これによって我等が御とりなしで憐れみの御眠を我等に見むかせ給え。
又、この流浪のあとは御体内の尊き身にて在す。ゼズスを我等に見せ給え。深き御柔軟、深き御哀隣すぐれて甘くございます。ビルゼンマリアかな。尊きデウス御母キリストの御約束を受け奉る身となるために、頼み給え。いかにガラサと御憐れみの御母サンタマリア、御身我が敵を防ぎ給い最後に(・・・)さんを受け取り給え。アーメン

 オラショ・ケレド
万事叶い天地を造り給うデウスパアテレを、又、其の御独子、我等がゼスキリスト、是れ、即ちスピリツサントの御奇特を以て宿され給いてビルゼンサンタマリアより生まれ給う。ポンショピラトが下に於いて河責を受けこらえクルスに掛けられ死し給いて、石の御棺に納められ給う。大地の底へ下り給い三日目によみがえり給う。天に昇り給い万事に叶い給う。デスパアテレの御右にそなわり給う。
それより生死の人をただし給わんがため、天下り給うべし。
スピリツサントカトウリカにてございます。
サンタエキジリアを真に信じ奉る。サントス皆通用し給う事を罪のおん許しを、肉体よみがえるべきことを。終わりなき命を、真に信じ奉る。アーメン

曲目解説
主の祈り・Pater noster (Oratio Dominica)【400年頃成立した単旋律聖歌】

【歌詞】
『天にまします我らの父よ、願わくは御名の尊まれんことを、御国に来たらんことを、御旨の天に行われる如く地にも行われんことを。我らの日用の糧を今日も我らに与えたまえ。我らが人に赦す如く、我らの罪を許したまえ。我らを試みに会わせず、我らを悪より救い給え。アーメン』

聖書ではマタイによる福音書6章9~13節、ルカによる福音書11章2~4節に記されている。教えの対象がマタイでは群衆に対して、ルカでは特定の弟子たちに対しての教えとなっている。

古くは聖書の朗読(御言葉を会衆一同で唱えていた)であったのが、400年代より信者たちが唱えていた主の祈りが時代を経て唱えられているうちに次第に抑揚が付けられて歌うようになったと考えられている。古くは400年頃の『アンブロシウス聖歌写本340~397年』で確認できる。グレゴリウス1世540~604年には正式にグレゴリオ聖歌として公式に歌われ聖歌として扱われるようになった。最も古い朗唱が歌の形に変わっていった聖歌のひとつ。

 『主の祈り・Pater Noster』も3種類ありグレゴリオ聖歌のなかで広く用いられている旋律は2つある。ひとつは祝祭日用、もうひとつは週日用である。

 祝祭日用の旋律(A)の最古の写本は、南イタリアに伝わる1000年頃のもので、非常に古くから歌われていた旋律である。1200年頃には、フランシスコ会とドミニコ会が採用して、広く公に用いられるようになった。祝祭日用の旋律は複雑な詩編唱定型に似ているが、朗唱する際、言葉のほとんどをB音で歌い、曲の終わり近くになってA音が用いられる特徴を持つ。終止音はG音かA音で終わる。
*カトリック聖歌伴奏譜 253~254頁 光明社

 週日用の旋律(B)は、祝祭日用の旋律を簡素にした形を持つ旋律で、最古の古い写本は1150年頃のカルトゥジオ会の写本の中に書かれている。
*カトリック聖歌伴奏譜 306~307頁 光明社

 あとひとつの旋律(C)は9~13世紀に作られた旋律(*トロープス付)の『主の祈り』(F-LA 263, f.138r~138v)で、主の祈り自体の本文が非常に単純な旋律の定型に付けられていて、同じ装飾音(メリスマ)が各小節の終わりに出てくる形を持っている。既存の週日用の『主の祈り』の旋律に自由な変奏を用いた旋律と思われる。

 プロテスタント教会で唱えられている『国と力と栄とは限りなく汝のものなればなり。』はDoxologia・ドクソロジー、栄唱、神を賛美する歌。式文として後の1100年以後に唱えられるようになった。
『Gloria in excelsis Deo』がThe greater doxology が大頌栄と呼ばれ、『国と力と栄とは限りなく汝のものなればなり。』は、小頌栄と呼ばれている。

  クレド・信仰宣言について

信仰宣言【クレド】
【歌詞】
私は天地の造り主、全能の父なる神を信じます。私はその独り子、私たちの主、イエス・キリストを信じます。主は聖霊によってやどり、おとめマリアより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ,蔭府(よみ)にくだり、三日目に死人の内よりよみがえり、天に上り、全能の父なる神の右に座しておられます。
かしこより来り生きている者と死んだ者とを裁かれます。私は聖霊を信じます。聖なる普遍の教会、聖徒の交わり、罪の許し、体のよみがえり、とこしえの命を信じます。アーメン

 信仰宣言とも使徒信条とも呼ばれる、キリスト教信者がキリストに対する自分の信仰を告白するときに唱える信条。カトリック教会のミサ典礼における、ミサ通常文の第3番目に唱えられる「信仰宣言・クレド」。「会衆が神の言葉に応えて信仰の規範を思い起こし、信仰を新たにするために,信条を唱えること」と規定されている。司祭が「われは信ず、唯一の神Credo in unum Deum」と唱えて歌い出し、信者達が「全能の神Patrem omnipotentem」と続く。前半部では創造主である父なる全能の神と、人間の姿で誕生して十字架の上で我らの罪をあがない給うたイエス・キリストへの信仰を、後半部では死に勝利したキリストの復活、父と子と三位一体の聖霊への信仰告白を荘厳な旋律に乗せて歌っていく。旋律は11世紀に成立した。460年前の1560年代・豊後府内で歌われていたグレゴリオ聖歌は紛れもなく現在も歌われている聖歌・クレド1番と同じものであり、クレドも11世紀に作られた「クレド1番」が歌われていた。

 クレド・信仰宣言の歴史的成立過程
信仰宣言とは、イエス・キリストの弟子たちの時代から使徒時代を経て、初代キリスト教会時代へと信仰の基本は色々な形でまとめられてきたが、洗礼の確立と共に信徒になる人の信条の告白も定式化されていった。洗礼を受けるに先立ち、洗礼志願者にキリスト者の秘儀が伝えられ、志願者は共同体(教会)の面前でそれを唱え返す式があった。更に洗礼そのものが『父と子と聖霊を信じます』と言う信仰表明の後に授けられた。215年、ローマの『ヒッポリュトスの使徒伝承』の時代には、この形式は確立されていた。325年、ニカイア(現・トルコのイズニクIznik )で開催された第1回公会議で信条が作成され、381年、コンスタンティノポリス(現・トルコのイスタンブール)で開催された公会議において『聖霊に関する補足』が補足付加されて『ニカイア・コンスタンティノポリス信条』の式文が成立して、教会で唱えられ、ラテン語聖歌の旋律によって歌われてきた。東方教会では568年、皇帝ユスティニアヌス二世の命令で、『主の祈り』の前に『ニカイア・コンスタンティノポリス信条』を歌うことが義務付けられた。西方教会でもスペインとガリアで6世紀終わりころから、この信条を歌うように決められた。信条を歌う習慣は9世紀にアイルランドで広まり,福音書の朗読の後に歌うようになった。イングランドを経てドイツに入り、ヨーロッパ全域の教会において習慣化された。1014年、皇帝ハインリヒ二世が戴冠式のためにローマに行き、主日と大祝日にニカイア・コンスタンティノポリス信条を唱えることを西方教会に義務付け、以後西方教会全域において信条が正式に典礼に組込まれた。

 クレド旋律の音楽的成立過程
「ニカイア・コンスタンティノポリス信条」による「クレド」を歌うラテン語聖歌には、中世に作成された写本の中には8種類の旋律が確認されている。1974年に出版された現行のグレゴリオ聖歌集『グラドゥアーレ・ロマーヌムGraduale Romanum 』には11世紀から17世紀に作られた6種類の旋律がネウマ楽譜(4線譜)付で記載されている。

クレド旋律の成立年代
1番11世紀。2番記載なし。3番17世紀。4番15世紀。5番17世紀。6番11世紀。

 教会旋法別の分類
6種類の旋律はそれぞれが教会旋法によって、固有の旋律を持っている。6種類の旋律を教会旋法ごとに分けると、3種類の教会旋法に分類できる。

第4旋法ヒポフリギア旋法、第1番、第2番、第5番、第6番、
第5旋法リディア旋法、第3番、
第1旋法ドリア旋法、第4番、

第4旋法のヒポフリギア旋法による4種類の旋律は基本的には極めて類似した旋律であり、類似した旋律の上にそれぞれが独自の装飾的な動きを旋律内に持っている。つまり11世紀に作られた第1番の旋律が基本の旋律であり、第2番、第5番、第6番の3種類の旋律は第1番旋律の変形であり、中世の時代に広範囲の地域において歌われていた第1番旋律が、時代的地域的変遷を経て伝承され変形して定着した相違によると考えられる。

「クレド」の旋律の中で「Authenticus=正統的・基準的・本来的」とされてきたのが、第1番の第四旋法ヒポフリジア旋法による旋律である。年代的にも1番古く11世紀に成立したと言われている。6種類の旋律はそれぞれが属する旋法に応じた動きや装飾的音符の長さの違い等があるが、言葉からくる制約や音楽的区切り方等から比較した場合、構造的には同一の形式に統一される。

第5旋法のリディア旋法による第3番は、第四旋法のヒポフリジア旋法の4曲とは旋法そのものが持っている旋法の性格が異なるために比べるとより明るく軽快な調性を持ちへ長調(F major )に近い調性に感じる。旋律は17世紀に成立した。

第1旋法のドリア旋法による第4番は、荘厳で重厚な調性を持ちニ短調(d minor )に近い調性を持っている。旋律は15世紀に成立した。

*カトリック聖歌伴奏譜 Credo 信仰宣言Ⅰ 266~269頁 光明社出版

キリシタンたちは自分の信仰の告白として『クレド・信仰宣言』を歌った殉教の記録。
  1613年10月7日、島原・有馬の日野江城下の河原にて火刑に処せられた、アドリアノ髙橋主水と妻ジョアンナ、レオ林田助右衛門と妻マルタ、及び18歳の娘マグダレナと11歳の息子ディエゴ。レオ武富右衛門と息子パウロ団右衛門の八人。島原中の約2万人のキリシタンが集まり、主の祈り、クレド、アヴェ・マリアを歌いながら、火刑に処せられる8人を励ました。
*日本切支丹宗門史 上巻 レオン・パジェス著 311~313頁 

1619年11月18日、長谷川権六はイエズス会のレオナルド木村と長崎における神父たちの宿主に死刑を宣告した。ドミニコ会のデ・モラレス神父の宿主・村山東安、同じくドミニコ会のデ・メーナ神父の宿主・吉田、一名吉田秋雲、オルスッシとヨハネ・デ・サン・ドミニコの二人の神父の宿主・コスメ竹屋、スピノラ神父とアンブロジオ・フェルナンデス修士の宿主・ポルトガル人ドミニコ・ジョルジの人々であった。中略

彼らは苦しみを受けながら、騒がず従容として死につき永遠の勝利を得た。ジョルジは、確っかりとした高い声で使徒信教・クレドを唱え「人体を受け・Incarnatus est」という文句を口にした時、息を引き取った。

レオナルド木村は炎が縄を焼き切った刹那、地面まで屈み、燠を恭しくかき集めて、それを天の紅玉ででもあるかのように頭に乗せて讃美歌「主を褒め讃えよ」Laudate Dominum 詩編117編を歌った。
*日本切支丹宗門史 中巻 レオン・パジェス著 110~112頁

 

アヴェ・マリア・Ave Maria
歌詞
めでたし、マリア、恵みに満ちた方、主はあなたと共にまします。あなたは女に中で祝せられ,また、ご胎内の御子も祝せられます。神の御母聖マリア、祈りたまえ、罪びとなる我らのために、今も臨終の時にも、アーメン 

聖母マリアへの祈り。3節より構成されていて、
1、天使ガブリエルがマリアへの受胎告知をした際の祝詞(ルカ1:28)
2、マリアを迎えたエリザベツの祝詞(ルカ1:42)
3, 聖母マリアへ執り成しの願い。
現在の祈りは6世紀から15世紀にかけて形成された。

祈りの前半(上記1,2)の原型は6世紀の東方教会の典礼書に見られ、西方教会では7世紀のローマ典礼書に待降節主日の奉献唱として記載されている。15世紀以降、後半3の聖母マリアへの執り成しの祈りが付け加えられた。

 有名な『アヴェ・マリア』の旋律は1000年初頭の写本(ハルトカ―390~391, f, 38 )にネウマ符で記されている古い旋律である。旋律の始めの箇所に非常に印象的な5度の跳躍があり、第1教会旋法ドリア旋法がもつ荘厳性、深い崇敬性、奥床しい色調が特徴的に旋律に表われている。後半の聖母マリアに神へのとりなしを願う言葉と旋律は1000年頃に加えられた箇所で、言葉に合わせて旋律も嘆願調になっている。交唱『アヴェ・マリア』は聖母の祝祭日の聖務日課の他、お告げの祈りとして、また、様々な機会に非常に多く歌われている。

 フランシスコ・ザビエルが日本に来た1549年以来、1560年代に豊後(大分)で制定されたと最初期と同じ形式の祈祷文として唱えられていたことがイエズス会の記録、1561年10月8日付け、ジョアン・フェルナンデス・João Fernàndez de Oviedo(1525~1567年)修道士書簡から判る。日本のキリシタン時代の教理門答書『どちりいなきりしたん』(1600年)のなかに、現在の形とほとんど同じ形で書かれている。1560年代に制定された最初期の祈祷文・オラショの形が、日本各地のキリシタンによって、現代まで忠実に形も変えずに伝承されていることは驚異的な事である。

 使用した楽譜の出典『グラドゥアーレ・トリプレクス・Graduale Triplex 』(1979年ソレム修道院出版) 1861頁、聖母讃歌(Honorem B Mariae V )マリア交唱歌(Antiphonae B. Mariae Virginis )単純調(tonus simplex )教会第1旋法ドリア旋法による。

*カトリック聖歌伴奏譜 282~283頁 光明社出版 

めでたし元后・サルヴェ・レジナ・Salve Regina Mater misericordiae
【歌詞】
めでたし元后 憐みの母、我らの命、喜び、希望。旅路からあなたに叫ぶエヴァの子よ、嘆きながら、泣きながらも 涙の谷にあなたを慕う。いざ、我らのためにとりなす方。
憐みの目を我らに注ぎ、尊いあなたの子、イエスを旅路の果てに示してください。
おお、いつくしみ深く、恵みあふれる乙女、マリア。

 三位一体主日後(その前夜土曜日)から待降節第一主日の直前の金曜日夜までの期間の終課(就寝前の祈り)の最後に歌われるマリア交唱歌。
ベネディクト会が定めた聖務日課の最後の祈り(就寝前の祈り)、終課の最後で歌われる聖母マリアを称える歌、ラテン語の表題は『聖母マリアへの結びの交唱』。

 この名曲はグレゴリオ聖歌の中で最も美しい旋律を持つ有名なマリア交唱歌。最も古い聖母讃歌のひとつで、天の元后(女王)、神の母、取次者である聖母マリアを称え祈る讃歌。

 最古の史料は1000年頃のもので、歌詞、旋律共にフランスのル・ピュイの司教・アデマール作と言われている。このSalve Reginaが典礼において用いられるようになったのは1135年、クリュニー修道院に於いてペトルス・ヴェネラピリスが定めた行列聖歌であった。1218年以降、シトー会がこの曲を毎日の行列聖歌と定め、1230年からはドミニコ会でも毎日の終課の後で歌うことを定めた。またこの曲は『神のお告げの祝日』のマグニフィカト(マリアの賛歌・ルカによる福音書第1章46節~55節)のアンティフォナAntiphonとして用いられていた。13世紀にシトー会、ドミニコ会等の修道会がそれぞれに日々の祈りの中に取り入れるようになり、教皇グレゴリウス9世(在位1227~1241)がこの曲を毎金曜日の終課の後に唱えるように定めた。1300年以降は、すべての終課の後に唱えられるようになった。修道士たちは全員聖堂に集まり、一日を神の御恵みのうちに過ごすことができた感謝と共に、この日の最後の聖歌を聖母マリアへの誉れのために捧げる。

使用した楽譜の出典『グラドゥアーレ・トリプレクス・Graduale Triplex 』(1979年ソレム修道院出版) 279頁、マリア交唱歌(Antiphonae B. Mariae Virginis )単純調(tonus simplex )
原調は第5旋法リディア旋法による。

*カトリック聖歌伴奏譜 284~285頁 光明社出版

『ドチリイナ・キリシタン』とのオラショとの同一性
1560年以来、最初期のキリスト教会・豊後(大分)で制定されたキリスト教理集『ドチリイナ・キリシタン』で1614年の禁教令を挟んで以後250年間、楽譜化することも教理を書いた書物の保持もできず、伝承だけでよく原型を保持していることに大きな驚きを感じている。250年間に於ける帳方の伝承の努力は超人的な信仰心によるものであることがオラショの文章変化の少なさと旋律の伝承の結果からもうかがい知れる。

『禁教時代(1644年以後)になるとオラショの伝承や制作、普及に携わった宣教師がいなくなり、オラショを印刷した書物の所持もできなくなる。そのため残された一般信徒は、オラショの文句のどこをどう変えてよいのか分からず、従来唱えてきた文句を忠実に継承することしかできなかった。そのように元の形を忠実に継承しようとする傾向は、かくれキリシタン信仰を構成するすべての要素で確認できる。宣教師の不在は、変容を引き起こす原因になったのではなく、反対にそのままの形態の継承を決定図ける原因になった。』『かくれキリシタンの起源』中園成生著 351~352頁 弦書房

オラショ解説

1561年10月8日付け ジョアン・フェルナンデス・João Fernàndez de Oviedo修道士書簡16,17世紀イエズス会日本報告集第Ⅲ期第1巻 350頁

『ドゥアルテ・ダ・シルヴァ修道士と私(ジョアン・フェルナンデス・1525~1567年)は互いに定まった時間にキリシタンと語ることに従事した。すなわち、キリシタンになるべき人にデウスの教えを説き、告白を成すべき人には告白について話し、また聖体を受ける人にその秘跡を説明することであり、これらの事に時間の大半を費やしている。ギリェルメ修道士は絶えず日本語の修得をなすほか、子供たちにキリストの教えを説いている。子供らは非常に鋭敏である。というのも、十分に話せない者でも八ヶ月もすれば教えをことごとく彼らの言語(日本語)とラテン語で言えない者はひとりとしてなく、彼らの大半はミゼレレ・メイ・デウス・(Miserere mei Deus・神よ、我らを憐れみ給え)を唱えることができるからである。

 彼らに(教える際に)取る順序以下のようである。ミサを聴いた後、毎日交代で一人が唱えて他の者が応誦するが、キリストの教えの内主要なもの、すなわちパーテル・ノステル、アヴェ・マリア、クレド、サルヴェ・レジナをラテン語で、また、デウスの十戒と教会の掟、大罪とこれに対する徳、並びに慈悲の所作を彼らの言語(日本語)で唱えるに止める。』

 ラテン語で唱える祈り
パーテル・ノステル、主の祈り・Pater noster (Oratio Dominica)
アヴェ・マリア・Ave Maria
クレド・信仰宣言・クレド・Credo 第1
サルヴェ・レジナ・めでたし元后・Salve Regina Mater misericordiae

日本語で唱える祈り
十戒     十のマダメント(天主の十戒)
教会の掟   サンタエケレジャのマダメント(サンタエケレジャの掟)
七つの悪徳  諸悪の根源七悪のこと
七つの徳目  七つの善功(山上の垂訓・マタイによる福音書 5章3~12節)
七つの秘跡  サンタエケレジャのサクラメント
十四の慈悲  慈悲の所作

ここ長崎外海の黒崎地区のかくれキリシタン帳方の村上重則氏が唱えられるオラショの主要部分の構成が、1561年(永禄4)10月8日付け豊後(大分)発、ジョアン・フェルナンデス(João Fernàndes・1525~1567年)の書簡に記された『ドチリイナ・キリシタン』『豊後で子供たちに教えているキリスト教の教え・教理要綱』の順序と一致している。

その後、1591年発行の『ドチリイナ・キリシタン』と、1592年(ローマ字体)の天正年間印刷の天正版と、1600年発行の慶長版(国字体とローマ字体)との間には、語句の若干の相違がみられるが、項目自体と意味の内容自体には特に大きな変化は見られない。

長崎の生月島に伝わるオラショがとくに有名であり、多くの研究者の対象になってきたが、他の地域、平戸地方、五島列島地区、長崎浦上地区、外海地区、天草の下島南西地区・大江・崎津・今富地区、福岡県三井郡大刀洗町の今村、大阪府茨木市、千提寺・下音羽地区に伝承されていたオラショとの対比に於いても、特に重要な変化の違いは認められない。

日本に於いての1550年以来の1650年代までのキリスト教100年の歴史に於いて、1561年の最初期に豊後(大分)で初めて教えられた『ドチリイナ・キリシタン』教会教理(教理要綱)が非常に几帳面に守られ、各地方に於いて、特に生月島、外海地区、長崎浦上、天草下島等、現在まで忠実に伝承され継承さていることは驚くべきことであり、この伝承継承は神の賜った奇跡だと思考している。

村上茂則氏より提供された資料より *(原文をそのままを文章化した)

初穂上げの儀式 (式次第) *カトリック教会におけるミサに相当する儀式

(イ)   初穂とは
御主ゼズ・キリストが司祭者を通じてご飯と御酒の形象のもとに、ご自身の御体と御血を犠牲の捧げ物として御父と生きたる人、死んだ人の為に捧げられる聖祭である。

(ロ)   何人の為に捧げられるや
神の救いの御業をたたえて感謝し罪の赦しを求め、お恵みを願うため。

(ハ)   拝領によってどのような結果がもたらされるか

一、復活されたキリストとかたく結ばれ復活の保証が与えられる。
二、神の子として豊かな恩寵が与えられ生活し救いの御業に参加することができる。
三、信者同志も互いに結ばれ、助け合いの精神が強められる。
四、世界に生きながらえる人ばかりではなく、煉獄にいるアニマ(霊魂)の為にも大いなる供養となる。

(ニ) この捧げ物は如何なる心あてをもって捧げられるや
   一、ご恩の御礼として
   二、我等が罪の償いとして
   三、なお、いやましにご恩を受け奉らんため

(ホ)なぜ、このような秘跡がもうけられたか
    御主キリストが最後の晩さん会の時人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなた達に生命がないと言われ定められた。

※初穂の歴史について説明いたします
 ミサ聖祭が初穂と呼ばれるようになったのは、1792年(寛政4)、浦上一番崩れ前サンタ・クララ教会で働いていた孫右衛門は徳川幕府のキリシタン禁制によって教会が破壊された後、これでは信仰が消滅してしまうと思い潜伏キリシタンの浦上地下組織を作ったのが現在の組織であり、聖典である。この時から初穂と呼ぶようになったと推定される。当地では村上兵六さんの時代であったと思われる。今から220年前の事である。

初穂上げの儀式 (式次第)
奉納祈願
 主の祈り(天に在す)7回

二、祈祷文
 クルスの祈り
 ケレド(使徒信経)1回
 清めの祈り(キリエ・Kyrie)
 ガラサ 3回
 アヴェ・マリア
 主の祈り(天に在す)1回
 ガラサ 50回
 アヴェ・マリア
 以上一座とする。引き続きもう一座つとめる。

三、デウス様へ初穂の御礼
  クルスの祈り1回
  感謝の祈り(おん身さまの祈り)1回

 四、サンタマリア様始めお取次様へ初穂の御礼
   ガラサ 33回

五、初穂下げ
  主の祈り(天に在す)2回
  アヴェ・マリア3回
  ケレド(使徒信経)1回
  
お酒の膳を戴く時の祈り
ご飯を戴く時の祈り
感謝の祈り
主の祈り(天に在す)

後座の祈り
 ケレド(使徒信経)3回
 ガラサ 53回
 アヴェ・マリア


クルスの祈り(神への挨拶)
我等がデウスサンタクルスの御しるしを以て、我等が敵をのがし給え
デウスパアテレ、デウスヒイリヨ
スピリツサントスの御名をもって。アメン。

清めの祈り(キリエ・Kyrie)
神よ、贖い改める私達を今日 御旨に叶ういけにえとして受け入れてください。神よ、私の汚れを洗い、罪から清めてください。

祈りへの招き
皆さん、この初穂を全能の神である父が、受け入れてくださいますように、祈りましょう。

捧納文
神よ、あなたのそばに召された○○の永遠の憩いを願い、謹んで出立のお初穂を供えます。

御子キリストを救い主として、かたく信じていた者が、キリストの豊かな恵みを受け入れることができますように。

初穂下げ

捧納文
御主ゼズ・キリスト、あなたは父の御心に従い、聖霊に支えられ死を通じて世に命をお与えになりました。この神聖な御体の御血によって、すべての罪と悪から解き放されて、私達の兄弟に愛と希望を与えて下さいました。あなたの御体と御血を戴くことによって、裁きを受けることなくかえって、あなたの慈しみにより、心も体も強められますように。

拝領の時
この尊き御血が永遠の命の糧となりますように
この尊き御体が永遠の命の糧となりますように

感謝の祈り
全能永遠の神よ、すべての恵みを感謝いたします。

各地の教会で「キリシタン時代の聖歌」コンサートを開催。神への演奏奉仕活動を無料で行っている。交通費、滞在費もいただいていない。御奉仕の機会を頂けたら幸いです。

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