【完全版】ゲンロンβ47アンケート回答

さやわか+大井昌和+東浩紀 永田洋子と「かわいい」の思想――マンガは歴史を語れるか・特別編

「十六の墓標」が#MeTooの告発本に読めることは面白いです。現在はSNSで個人で発信できるが、当時は出版がその役目を果たしていたのでしょうか。「愛」や「感情」が分からない永田洋子のような人は今も昔もいるはずで、ジェンダーの問題も未だに存在しています。テクノロジーによる広がり方は違いますが、社会的な問題の根本はつながっているのだと思いました。90年代は社会学と心理学の時代と言われていると述べれています。現在を振り返ったとき、まとまった知の形として、SNSや動画やブログが参照されるのか分かりません。でも、参照先のひとつとしてゲンロンのアーカイブがあたるのかなと思います。


石田英敬 「記号の場所」はどこにあるのか?――新記号論から西田幾多郎を読む(前)

『新記号論』は普遍記号学への取り組みの過程であるので、折に触れてアップデートされた情報が摂取できることは嬉しいです。内容は非常に難しいと感じたので、ゆっくり理解を深めていこうと思います。『新記号論』のように、石田さんと東さんの掛け合いで進むことで、理解の足掛かりが増えているのだなと改めて感じました。現状では難しいと思いますが、普遍記号学に関するトークイベントが定期的にあるといいなと思います。ウィルス自体は目に見えず、報道やインフォグラフィックで記号化されています。その影響=感染が今後、どのように表れるのだろうか、とぼんやり思っていました。


安天 東浩紀インタビュー集『哲学の誤配』日本語版刊行によせて

安さんの東浩紀との出会いのエピソードを読んで、東さんが「なんで、特集 東浩紀が刊行されないのか?」とトークイベントで発言したことを思いだしました。『哲学の誤配』は韓国と同時出版だから刊行できるゲンロン版の「特集 東浩紀」だと思います。韓国は、ロシアと同様、ゲンロンの特集を媒介にして、コンテンツを摂取するようになった国です。非西洋における近代国家という形で括られるようになった日本と韓国ですが、隣国である韓国についてあまりに知らないことが多かったことに驚いています。


小松理虔 当事者から共事者へ 第4回 震災を開く共事の回路

ソーラパネルの違和について、言語化されているのが興味深ったです。自分の認識としては、3.11以降、車窓から見えるソーラーパネルの風景が増えた気がします。パネルという形状が表層的であり、エネルギーという目に見えないモノを生み出している。その様は地表を黒く塗り潰し、人が関わる文化の可能性すら塗りつぶしているように見えます。地方におけるソーラーパネルは、都市における駐車場にあたるのではないか、と思いました。アスファルトに黒く塗り潰されて、オートメンション化されたパーキングシステム。ただ、駐車場であれば、空間として使用できる可能性があります。ソーラーパネルは発電のために、上に何も置くことができません。そのことが人を近づかせない聖域としてすら機能している気がします。文中に「課題」と「悲しみ」を置き換えてもいいかもしれない、という言葉がありました。「課題」は具体的に解決することで良くなる、プロジェクトを達成するイメージがあります。「悲しみ」は社会的なもの、例えば慰霊ようなレイヤーと、個別具体的な感情のレイヤーがあると思います。癒せないというのは、文中の通りだと思いますが、共事の中心に「悲しみ」を抱える人がいるのではなく、「悲しみ」を発生させた事象に、当事者すら「離れる」というのが大切なのだと思いました。それは難しいことだと思いますが。


星野博美 世界は五反田から始まった 第15回 スペイン風邪

現状を受けて、スペイン風邪に関連する話で面白く読みました。今回のウィルスについて、報道やネットで情報は広く展開されていますが、数字やグラフが日々変動していく、個人が見えにくい内容であると感じています。あとは、有名人の動画配信がある種のレクチャーとなっており、発信というより啓蒙となっていると感じています。それに対して、星野さんの祖父の手記に書かれているような個人がどのような状況であったか、は非常に貴重だと思います。さらに、それを星野さんが紹介する場所があることも大切だと感じました。

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