【完全版】ゲンロンβ48アンケート回答

東浩紀 観光客の哲学の余白に                                                                                第20回 コロナ・イデオロギーのなかのゲンロン

ゲンロン10周年を記念するゲンロンβの刊行であるはずが、このような状況となってしまい、素直に喜べないことが残念です。ただ、この論考はゲンロンが実践してきた/していくことを凝縮したものだと思いました。

コロナウィルスの感染拡大によって、時間の進み方が変わってしまい、本来は数年や十数年先の未来が現前しているような感覚があります。そこで炙り出された課題にどう向き合っていくのか、が今後の在り方を決めてしまうのかもしれません。オンラインですべてOKが意味するのは、現状肯定というより諦念に近い感覚なのではないかと思いました。クリエイティブ・クラスという言葉は聞いたことがある程度ですが、雑多な豊穣さというより、余剰を削ぎ落としたスマートさが称揚されるイメージがあります。クリエイティブ・クラスの人たちは元々、削ぎ落とされたモノに対する関心がないのではないかと思ってしまいます。

三密が忌避される状態が続くことも新しい感覚を引き起こすかもしれません。ときに『感染』という言葉は、その人の考え方や生き方に影響を受けるという意味で使われることがありますが、実際、コロナウィルスが蔓延して社会的な影響があった以降は、『感染』にポジティブな意味を見出すことが難しくなるのではないでしょうか。ゲンロンカフェのように長時間拘束されることで、注意は登壇者に向かう。そこでの気づきが感染を引き起こす。オンラインで体が非拘束であると、ながら見に近い状態になってしまい、登壇者の話も流れてしまう。ゲンロンカフェのように、体が拘束されている場合、頭にリソースが配分しやすくなる、つまりは余剰を作り出す環境が生まれやすくなるのではないかと思います。今更ながらゲンロンカフェは『感染』を引き起こすのに大切な場所だと思っています。再開される日が来ることを願っています。


本田晃子 亡霊建築論 第6回(最終回)                                                              ガラスのユートピアとその亡霊

亡国建築論が最終回ということで残念ですが、今回も面白く読みました。ガラスを主題にした論考ですが、読んでいる間、これはスマホについて書かれているのではないかと思っていました。ガラス製のタッチパネルは、見るためのものですが、オンラインで見られるものでもあり、GPSのような見えない情報によって管理されてしまうものでもあります。ガラスを通して浮かび上がってきた国家、建築の関係性がスマホに凝縮されているように思えます。ペーパーアーキテクチャーの平面性やそれにまつわる寓話もスマホに深く関連しているように思いました。スマホの小さな画面に映るモノは、そこにあるように見えるが、もしかして廃墟のかけらなのかもしれない。広大なネットの世界を俯瞰して見る術がない私たちは、それに気づかず、目の前にあるモノを容易く信じてしまう。建築=権力に対する平面の批評性が、誰もがスマホという平面を手にすることによって、その批評性が薄れてしまう。ガラスという素材を通して様々なことを考えられることが非常に面白いと思いました。

吉田雅史 アンビバレント・ヒップホップ 第24回(最終回)                            ヒップホップを/が生きるということ(後)

星野博美 世界は五反田から始まった 第16回                                                      アイウエオの歌

無産者託児所でアイウエオの歌のようなイデオロギー色が強い歌が歌われているというのは驚きであったと同時に、イデオロギーの醸成にはいつの時代でも歌が活用されているんだな、と思いました。同時代に描かれた『党生活者』と『乳房』という二つの小説を同時に紹介してもらうことで、その時代に生きた人たちの多面性が浮かび上がっていると思いました。現在の五反田から、小説で描かれている情景を思い浮かべることも難しいです。特に20世紀前半は震災や戦争の影響でモノが残っていない状況なので、星野さんが掘り起こす五反田にまつわる話が、町を構築している感じがします。

さやわか 愛について――符号の現代文化論 第4回                                           少女漫画と齟齬の戦略(2)

少女漫画らしさがロマンティックラブ・イデオロギーと符号していることを利用して、齟齬をもたらすことはこうしてまとまった文章で読むとなるほど、と納得できます。ただ、愛とは何か大島弓子の作品で肯定される強く愛することと愛の移ろいやすさの両立は一体どういうことだろうかと考えてしまいます。対象に対する執着はある種の安定であると思います。対して移ろうことは不安定さだと思います。記号と意味が符合する居心地の良さ、齟齬における居場所のなさ、その間を行き来することに対する納得=肯定は、もう一つ大きな括りで心を捉えているような気がします。現状、ウィルス対策でいくつかのスローガンが展開されている中で、それに対する捉え方も様々です。それこそ齟齬の連続ですが、その齟齬を許さない勢力もいるようです。その執着も不安の裏返しにように思えます。今更ながら難しいなと考えてしまいます。

高丘哲次 SFつながり 第4回                                                                             実録ゴッドガンレディオVSサイファイア抗争史

 SF講座ならではの文章だと思いました。ゲンロン βをある種、同人誌的に利用して、読者に届けるというのは、小説ならではのことだと思います。最後に記されているゲンロンおよび高丘さん自身に対するコロナウィルスの影響は、非常に厳しいとは思いつつ、ゲンロンαやゲンロンβを活用して、今を記述し続けて欲しいと思います。

徳久倫康 ゲンロン10周年記念「古老に聞く!」                                                  ――ゲンロン最古参社員インタビュー

ゲンロンカフェの今がどう築かれていったのかがわかる非常に面白いインタビューでした。イベント後の二次会という社交の場から長時間のトークが当たり前になったことで、登壇者の型にはまった話ではなく、面白い話が聞けるようになったと思います。いよいよ徳久さんのイベントもあるようですし、今後の活躍も楽しみにしています。


藤城嘘(カオス*ラウンジ) 五反田アトリエから35

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