【完全版】ゲンロンβ49アンケート回答

小松理虔 当事者から共事者へ                      第5回 「真実」が開く共事の回路

「柳さんの作品では「悲しみに共事できた」と感じたのだろう」という小松さんの文中の問いはとても大切だと思いました。ここ最近はコロナ禍で演劇を観に足を運ぶことも無くなってしまったけども、ここ4、5年、観劇をするようになって、大きく心を揺さぶられる経験もありました。自分なりに思っていることは、演劇は結果でなく、過程を提示していること。さらに目の前で人が演じていること。そして、観客として見続けていること。その3つが重なっていることが大きなことだと思っています。報道ベースでは、大変なことが起こったことは分かるが、どう大変だったかは伝わりにくい。演劇のように物語に沿って、人が演じることで、観客が移入できるポイントが多くあります。当事と共事の違いについても、理解が深まった気がします。傷ついた結果だけ見せられても、自分のできることは限られていると感じてしまう。まさに当事者とそうでない人の分断が発生してしまう。対して傷ついた過程を知れば、自分と重なり合う部分を見出すことができます。それはまとまった時間が必要ということでもあります。そして、共事において、もう一つ大切だと思うことが、作品を生み出す力です。作る力と言ってもいい。形成してくこと、つまりは複数の要素を組み合わせていくこと、それは様々な人たちの共事によって成されうるのだろうなと感じています。柳さんや先代の人たちの作り上げる力に引っ張られることが大事だと思うとともに、そういう機会も減ってしまうような気がします。もしかしたら、廃炉作業自体が最も長く続く共事的なものになってしまうような気もしています。

春木晶子 北のセーフイメージ (1) 病と支配のアイヌ絵史

アイヌのことはほとんど知識がないので、こんなことがあったのかと面白く読みました。恐怖を可視化せずにいられないのは、今も昔も変わらないと思います。見えないものであれば、気づかないままでいたい。恐怖や支配に気づいてしまったならば、可視化せずにはいられない。可視化するということは、科学ではなく、人の欲望の物質化であることを改めて考えてしまいました。

藤城嘘(カオス*ラウンジ) 五反田アトリエから36            コロナ禍から振り返るVOCA展

VOCA展は観に行くことができなったので、レポートはありがたいです。また、落ち着いて作品を観ることができるようになるのでしょうか。

松下隆志 つながりロシア 第12回 文学の「死」の後の文学の運命

ロシア文学には馴染みがないのですが、『マナラガ』のブックングリラーの話は面白かったです。知の塊である本を薪にして、美味しい食事を作る。YouTuberの解説動画のようだなと思っていました。トリビアを面白おかしく、パフォーマンスで紹介していく。知ではなく、瞬間的な面白さのみが大事。食事であることもポイントだと思いました。食べることは量が限られている、それはYouTubeの動画が短いことに似ている。人が快楽だと思える時間は短いのではないか。文の最後にある「文学が死に、現実が文学的想像力を凌駕してしまったかに見える現在、それでもなお文学に何ができるか」、楽しみに待っていたいと思います。

星野博美 世界は五反田から始まった 第17回 赤い星

共産党にまつわる物語を星野さんが展開していますが、改めて本当に五反田で起こっていたことなのだろうか。今号のゲンロンβの小松さんの論考とリンクしていることですが、町歩きで傷=痕跡を見出せるかという問題だと思います。星野さんの記述したこの文章が、五反田の町歩きのガイドブックになるのでしょう。

自由への運動は「他者」との出会いからはじまる              外山恒一+東浩紀イベントレポート

ゲンロンカフェ、というより東さんの活動家としての側面が浮かび上がっていて、面白い回でした。まさにゲンロンカフェが実効支配地域として機能しているからこのような放送ができるのだと思いました。そして、放送という公共性も帯びているため、ソーシャルディスタンスや3密を防ぐことも実践していることが閉じた空間ではなく、社会に影響を及ぼす回路を開いていることでもある、そのような意味でも活動家であると思います。若者との対話や津田さんゲスト出演もあり、かなり特殊な回であったと思うが、これもコロナ禍がなければ無かったことかと思うと、場所があることが大きな力になっていると思いました。次の外山さんとの対談を楽しみにしています。

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