ゲンロンβ37 東浩紀 編

ゲンロンβ37アンケートに回答したメモを以下に掲載する。
【東浩紀 テーマパーク化する地球】
ゲンロンβのお得感として、ゲンロンやゲンロン叢書の一部を先行して楽しめる点がある。無事、正常なカバー位置で、本書が届いているので、ゆっくり楽しみたい。6/14の刊行イベントで東さんが述べていたが、ゲンロンβの間口の広さ。確かにゲンロン本誌に対して、批評に親しみのない私は、継承していこうとする重さに身構えてしまっていて、まさに受動的な観客であったと思う。ゲンロンβについては、アンケートに答えようとするほどには能動的なのだと思う。

【津田大介 ジャーナリストが芸術監督になるということ】
ジャーナリストが芸術監督になると、こういうことが起こるのか、というリアルタイムな文章。あいちトリエンナーレ開催前なので、楽しみに待つだけだった。しかし、こういう具体的な盛り上がりがあると、どんな取り組みがあるのか、情報に触れようと思うようになった。こういう芸術祭は初めてかもしれない。まさに狙い通りの動きをしてしまっているのだと実感する。ネット、全国紙、地方紙の関係を見越したPR戦略も、なるほどとうなづく。こういう戦略については、メディア自体で発信することは難しいと思うので、ゲンロンβならではの企画だと感じた。

【大山顕 スマホの写真論 第21回 写真から「隔たり」がなくなり、人は「ネットワーク機器」になる】
スクショへのモヤモヤを言語化された非常に面白い論考でした。正しいテレビのキャプチャが動画データからその部分の静止画をファイルするという一文で大山さんの問題意識が分かりやすくなった。スマホカメラは、画面に触れることで撮影する。それは触覚的な行為で、インターフェイスを介して対象物に触れる。まさに画面は手垢にまみれている。その触った証として画像はスマホに記録される。対象物の記録というより、対象物を触った記録として機能しており、それをシェアするのがSNSである。新しい所有の形を引き起こしているのかもしれない。先のイベントでは叢書にする際に、スマホの写真論というタイトルをどうするかという議論があったが、確かにもっと本質にせまったタイトルがありそうな気がする。Twitterでも上田さんが大山さんから2万4000字の序文が届いたことが報告されていて、楽しみに待つ。

【星野博美 世界は五反田から始まった 第5回 焼けて、野原】
今回は、香港の祝日を通して、香港と中国の関係性を記したところから始まる。香港のデモも今まさに実施されていて、タイムリーである。星野さんのTwitterから憂慮が伝わる。そして、星野さんと親友家族の会話や質問から始まる五反田と香港の類似と差異。彼との会話、そして彼のリアクションの後に記される星野さんの思索という文章のリズムが心地よく、引き込まれる。後半は戦争にまつわる話が出てきたことで、少し重たい感じもしたが、なぜ今の風景があるのか外部の視座と会話から広がっていく世界を疑似体験した気がする。

【保坂三四郎 つながりロシア第7回  ユーロダイマンから五年ーー「歴史的記憶」と日常の交差
ウクライナがいかにロシアから独立性を保つか。】非共産化、国家記憶院という縁遠いと思われる言葉が並ぶ。自分の日常といえば、ことごとく忘れていく日々であり、過去や未来に思いを馳せることもない。比べて、ウクライナはロシアに対して、今から振り返ってこうであったウクライナを打ち立てるための活動を続けている。モノがなければ忘れてしまうが、モノを残せば、それが後世における意味や解釈を生み出す。自由や反抗心は受け継がれているとされているが、歴史ではなく経済に価値をおくのも仕方ないと思う。

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