何故ならほぼ全てのヒトは性欲を感じた雌雄による生殖によって産まれてくるからだ。

『そんな言葉が思わず口をつく人もいるかもしれない。中にはスマホ没収や、インターネット利用制限が有効と感じる人もいるかもしれない。しかしここには大きな落とし穴がある。トンミ氏によれば、罰を与えることには主に2つの悪影響がある。ひとつは、子供があなたにはもう何も相談しなくなること。もうひとつは、自分自身の体や性、セクシュアリティは語るべきでない、恥ずべきものと認識させてしまうことだ。「ただ叱ったり罰を与えたりするのではなく、どんな状況にある子供に対しても、その状況を教育のチャンスに変え、いかにサポートし、その上でリスクから守っていけるか、その力を身につけてもらえるかです。罰することはそのどれにも寄与しないのです」と彼はいう。では、一体どんな言葉をかければ良いのだろう。トンミ氏や、性教育に精通した同僚たちが出した答えは以下のようなものだった。「大事なのは、自分の体や性に関することにポジティブな思いを保ったまま、リスク回避のスキルを伝えることです。このケースにおいてまず伝えなければいけないことは、責められるべきは、少女に群がった大人たちとその状況だということです。彼女自身や彼女の体、セクシュアリティではありません。だからこそ、ただ“やめなさい”、“ダメ”と言うのではなく、“あなたが美しいのは本当だけど、ウェブに写真を流すことにはいろんなリスクがある。それなのにそれを止めずにあなたを危険に晒し続けた大人たちが間違っていた”、“ただ、そういう大人たちが存在しているのは事実だから、自分の裸を投稿するのはやめよう”と丁寧に伝えることが重要なのです。決して、彼女が自分の体や自分自身を恥じたりするような言葉をかけてはいけません。もちろん年齢によって、内容や言葉選びは大きく異なります。しかしいずれにせよ、“困ったときに相談してほしい”と心から願うのであれば、大人側は責める対象を間違ってはいけません」(トンミ氏)またトンミ氏は、「どんな行動にも、必ず理由があります。大人からしたらありえないと切り捨ててしまいがちなことも、その子にとっては違うかもしれない。なぜその子はその行動を続けているのか、それはどんな意味を持つのか。子供たちにとって、大切、必要と感じるならそれはなぜなのか、率直に話し合うしかないんです」と言葉を続けた。~JKビジネスをすると「君」が汚れ、価値が下がるというのは、本当だろうか?そもそも、女性に「真っ白」でいてほしい願望も気になるところだし、別にそういう願望を抱く人から好かれるために生きていないというツッコミもしたくなる。が、それはまた別の議論にするとして、いずにせよ、JKビジネスをしたからといって、その女の子自身の価値が汚れる、下がるなんてことはまずあり得ない。トンミ氏の主張に沿えば、これはまさに、責める相手を間違え、守るべき存在を不当に貶めている典型例だ。この状況においてまず責められるべきは、18歳未満の子供を危険な状況に晒し続けている成人側だ。買う側はもちろん、それを準備する業者、もう少し広く言えば、それを許容し続ける社会も問題といえるだろう。本来「性的搾取」と扱われるべきものがビジネスとして存在していることが問題なのであり、「君」が汚れるわけではない。それらが明確にされた上で、女子高生たちは、自分の体やセクシュアリティに関してネガティブな感情を植えつけられることなく、その行為のリスクを伝えられる権利があるし、もしその行為になんらかの理由、意味があるなら、大人はそれにきちんと向き合う必要がある。たかが広告、と思うかもしれない。しかしながら、こういった意識、無意識の力を見くびってはいけない。~このような、あるグループに属す人に貼られるネガティブなレッテルや恥の意識は「スティグマ」とも呼ばれ、世界中で排除や差別の大きな要因となっており、私の学ぶ公衆衛生でも喫緊の課題だ。このポスターを例にすれば、周囲の人間が無意識にでも「JKビジネスなんてする人汚れているし価値も低い」とレッテル貼りすることを指す。また、実際にJKビジネスの中にいる子がこの広告によって「自分はもう真っ白じゃないから好かれもしない、汚れてるんだ」とスティグマを内面化することもあり、結果的として精神的に追い詰められたり、孤立してしまう可能性もある。このように、スティグマはそれを内面化することでそれ自体がこころの健康にダメージを及ぼすし、スティグマによる偏見差別への恐れが病院や相談窓口へのアクセスを阻むこともある。それは本当に、よりよい社会の構築に貢献するのだろうか。私はこういった言葉や意識の積み重ねが、本来ならサポートを要する若者を、より安全な場所から遠ざけているように思えてならない。~私たち大人がすべきことは、被害者を責めたりスティグマの強化に加担したりすることではなく、性加害を容認しない社会を作ること、そして、何か問題があったときに彼らを正面から受け止められる姿勢を身につけることだと思う。そのためにも是非、トンミ氏のいう、「body and sexuality are good, but the situation was wrong(体やセクシュアリティは間違っていない。しかし、状況は間違っていた)」というこのシンプルな線引きを心に留めてほしい。ふとした日常の積み重ねの中でも、どうか責めるべき対象を間違えず、「この人になら相談できるかも」と思える存在で居続けてほしい。また、大前提として子供に対して大人は、金銭の授受にかかわらず決して性的行為をしてはいけないことも付け加えておきたい。それはセックスでも愛でもセックスワークでもなく暴力だからだ。そして勿論、幼い頃からの包括的性教育も忘れてはいけない。実際、自分に何が起きたのかを理解し表現するための語彙を知らなかったが故に、大きくなってからそれが被害であったと気付くというケースも少なくない。包括的性教育を通して、自分のからだは自分のもので、自分のからだを勝手に触られても、他の人のからだを勝手に触ってもいけないこと、もし嫌だなと感じることがあれば、信頼できる大人に相談していいし、あなたが守られることは権利だと、繰り返し伝えられることが何より重要だ。家庭の中でも、ぜひ実践してほしい。』

資本主義社会では価値が高いうちに売ることをオトナが平然とやっているのだから需要があって希少価値があれば高く売れることくらいミドルティーンに成ればお金を稼ぐ手段としては見透かしてしまうだろう。JKビジネスを成立させているダメなオトナやセクシャリティ被害の加害者の心根には「弱いモノいじめ」根性がこびりついている。コドモ達への包括的性教育と同時にダメなオトナ達への監視と治療が必要だ。セクシャリティ教育には生物学的な生殖に関する事と心理・社会学的な性欲との付き合い方の両方の知識が必要なのだ。何故ならほぼ全てのヒトは性欲を感じた雌雄による生殖によって産まれてくるからだ。

11歳の少女がネットに裸写真を投稿…10代の性は「自己責任」なのか
問題は性的対象として見る大人の目
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/68734

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