『セクシュアリティ教育は5歳から始まる。』私はこれが良いと実体験として言える。
『そもそも性教育は「誰かを否定し、健全な方向性へ矯正する」ものではない。むしろ、様々な権利や選択肢を示すことで、「全ての人が、きちんとした情報をもとに自分で判断し、より自分の望む道を歩めるよう、下支えするもの」である。~「こういう形が幸せ、そうでなければ不幸と決めつける、それは教育者のすべきことではない。なにが幸せか不幸かはあくまで本人が決めることで、人によって違う。大切なのは、子どもたちに多様な生き方や関係性、価値観を提示すること。どんな状況にいたとしても、一人一人様々な選択肢から自分で良し悪しを考え、自分が本当に望むものを選択していける能力を養うことだ」2017年プラハで開催された世界性の健康学会で、トンミ氏はこう言った。その言葉が、私の「性教育」の概念を変えた。彼の発表タイトルは、『若者の性の権利(Sexual Rights of Young People)』というものだった。トンミ氏は、一部の性教育について、「一定の形をあるべき姿とすることで、ひとつの価値観だけを良しとする、同時に他の形を暗に否定する教育になってしまっている」と主張した。特に、人それぞれ多様な形が存在する性に対して、こういった教育のあり方はとても危険だ。性教育が「多様な価値観教育(Meta-Values Education)」になるように、とトンミ氏は言う。この言葉の意味は、教師の役割は、生徒に多様な生き方や関係性、価値観を提示すること。そこで示された様々な選択肢と情報の中から、リスクも含めて自分で考え、ひとりひとりが自分の納得する道を歩めるようにする、その力を支える重要性を訴えている。またその一方で、子どもたちが自分で選択して失敗した際に、「自己責任」と切り捨てないことの重要性も同時に強調された。大人だっていろんな間違いを犯すのだから、子どもはそれ以上に、間違いを犯すのは当たり前。その中で学ぶこともたくさんある。だから、その子の選択、状況に関わらず、十分な正しい情報・ケアがいつも当たり前にその子の側になければいけない。それは子どもが持つ権利でもあるし、その環境を用意するのは大人の責任だ。何か特別な行為をしても、タブー視されたり厄介者扱いされたり、ましてそれらのケアや情報から排除されるようなことがあっては決してならない、という考え方だ。私は彼の話を聞いて、「自分が嫌だったのはこれだ!」と、霧が晴れた気がした。子どもたちをリスクから遠ざけたいあまりに、大人は「あれはダメ、これはダメ、これならいい」と善悪を超えない説明で線引きをしがちだ。でもここに、一番声が届いて欲しい人たちの心をシャットダウンさせる可能性があることを、ぜひとも知ってほしい。それは親子であっても同じだ。私たちが必要としているのは、何かを変えたいと思ったときに、どんな状況からでも変化を起こせる力であり、情報であり、選択肢であり、サポートだ。もしリスクの高い行為があるなら、善悪で片付けるのではなく、そのリスクをエビデンスと共に説明してほしい。その上で、状況に関わらずサポートされる権利を伝えるのが、性教育の本来あるべき姿だと思う。リスクの高い状況にいる若者を、社会の邪魔者、はみ出し者の範疇に投げ込む言葉はいらない。今まで、性教育やそれに準じた内容のもので「排除されている」「否定されている」「無視されいる」そう感じたことがあるならば、それはあなたが悪いのではない。むしろ、トンミ氏の言葉を借りれば、「そう感じさせた教育や情報提供をしてしまった側が間違っている」のだ。繰り返すが、置かれた状況に関わらず、誰もが十分な情報と、サポートを差別なく受ける権利がある。どうかそれを、忘れないでほしい。~世界には、WHO(世界保健機関)やユネスコ(国際連合教育科学文化機関)が共同で発表している、いわば性教育の国際的スタンダード『国際セクシュアリティ教育ガイダンス』というものがある。それによればセクシュアリティ教育は5歳から始まる。そこには、「性」をいけないものと教えるのではなく、ポジティブで、オープンな姿勢で教えることの重要性が全編を通じて述べられている。とはいえ一体5歳に何を教えるというのか……?次回は、実際に幼少期の子どもにはどんなことを伝えていくべきなのか。また、「性」にポジティブでオープンになるとはどういうことなのか、フィンランドの実例と共に、お伝えできればと思っている。』
『セクシュアリティ教育は5歳から始まる。』私はこれが良いと実体験として言える。なぜなら私が5歳児であった幼稚園でのある体験からだ。
24歳大学院生がわかった、日本の性教育が大っ嫌いだった理由
日本は「やっちゃダメ」の教え方
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/67976
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