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【最後の手紙:二次創作】 尾崎花子 著

Liner notes

 世の中に「二次創作」という世界がある。ひとつの作品をめぐり、他者が作品のその後の世界や周辺世界を想像して、新たな作品をこしらえることである。ただ、それは言葉からイメージするほど楽な作業ではないだろう。なぜなら、一次創作とおおよそ辻褄つじつまを合わせる必要があるし、それがゆえ、相当な制限を受けるからだ。また同時に、一次創作の筆者とその読者の期待にも応えなければ、というプレッシャーにも襲われる。
 そんな難度の高い二次創作を、今回、私の短編小説「最後の手紙」の読者の尾崎花子さんに挑んでいただいた。読者それぞれのキャラクター(木埜と真子)像がどう揺れるのか? そして、二次創作ならではの、いい意味での『ズレ感』をお楽しみいただきたい。以下、尾崎花子 さんからのメッセージである。

・・・・・・

 原作者様直々の二次創作のご依頼でわくわく、どきどきの連続でした。公認となると堂々とできるかわりにプレッシャーもひとしおでした。
作品に描かれていない二人のことを私なりに綴ってみました。

尾崎花子


「知らない人について行ったら起きたこと」
尾崎花子 著


ティーでもドリンクしませんか、なんてコメディアンの台詞のようだ。
 私、唯井真子はそれがきっかけで見ず知らずだった人と喫茶店でお茶をしてしまった。
 笑いを堪えるのに必死というよりはクスッとしてしまったことは認める。
 木埜さんは間違いなくおじさんだ。どう考えても私の両親世代の人。他人だと仕事でもなければ接点があまりないのに。
 歳をとるとどうしてくだらない冗談を言いたがるのか未だによくわからない。女性は男性ほど言わないようだけど。
 でも、どうしても気になる。
 悪い人ではなさそうだ。
 友達になるのに歳は関係ない。私だってもう若くはないのだ。
 歳の差は大人になれば大したことではなくなる。

知らない人についていくかいかないか決められるのは大人の特権だ。
 ナンパだって立派な出会いだ。もちろん、危険もあることは認める。

あの喫茶店も味はそこそこで、今時タバコを吸える時代遅れな店だけど、まるで映画の中に迷い込んだような体験だ。チェーンのカフェとは違う味がある。無駄に豪華な内装も私には新鮮だった。
 まるで、ママや木埜さんの青春時代にタイムスリップしたような気になった。
 そもそも喫茶店は場所を貸してもらう面がある。
 スマホを預かってもらえるのも気が利いている。手元にあればついいじってしまう。
 同席者との話や、読書に専念するならないほうがいい。
 あるいは仕事や勉強をする場にしても良さそうだ。
 完全に使わない覚悟を決めればみえてくるものがある。
 あの店で録音しなくてはいけないような無粋な話はしたくない。
 昔の小説や映画では電話を取り次いでもらうために喫茶店で待つシーンが珍しくなかった。店の中に電話ボックスがあるのはある時代ではむしろリアルだったみたい。有線の電話しかないなら、電話機の近くにいて、取り次いでもらう約束をしなければだめだ。
 出先なら固定電話を使わせてもらえる場所は限られる。
 昔なら電話を受けるために喫茶店で待機になるけど、今は逆で電話をシャットアウトするわけだ。
 正反対になるのは面白い。

新しく男友達ができるのは悪くない。それだけではないかもしれないし。

生活圏が近いだけに木埜さんには度々遭遇するようになった。
 既に知り合いだから当然挨拶する。挨拶だけではなくて、多少話すのが普通になった。

それから時々会うようになっていた。まだ、この段階では親戚のおじさんみたいな存在だった。でも、そう思っていたのは私側だけだと思う……

時間を持て余したある日。うまい具合に木埜さんに遭遇した。
「ティーをドリンクしましょう」
 私も真似をしてみた。
「大賛成です」
 再び、最初に連れて行ってもらった店に入る。味気ないカフェやファミレスにわざわざ行く気はなかった。

コーヒーが運ばれてきていい匂いを楽しんだ。ここのコーヒーも値段相応の味と香りだ。誰かと座って話すなら飲み物は欲しい。
 テーブルを挟んでぽつりぽつり自分のことを話した。
「少し前までは母と暮らしていました」
 一人きりになって正直寂しい。あまりにもあっさり見送ることになった。
 いつか来る日だとわかっていたが、今ではないと信じていたのに。
 これからたくさん恩返しをしたかった。ようやくそれができるようになったのに。
 孝行したい時に親はなしが本当になってしまった。
 同級生たちはまだまだ親が元気だ。祖父母や曽祖父母も生きている人もいる。それはそれで大変になっている家族もあるにしても。
 そして、結婚して子供を産んでいる人も直接知っている中に複数人いる。
 世の中には私と同じ歳で幸せな家庭を築いて居る人はたくさんいるだろう。
 もちろん、それはそれで素晴らしい選択だ。

「私も何人も肉親を見送りました。友人、知人も……」
 木埜さんは言った。
 私よりずっと歳上なのだから当たり前と言えば当たり前だ。直系だけの話ではなくて、この人の世代なら親や祖父母の兄弟がたくさんいてもおかしくない。歳の近いお友達だって亡くなった人もいるかもしれない。
 私にとっては初めての経験だったが、無論、他人はそうではない。

「関係性が薄かった人でもいなくなると寂しいです。時間が経ってからもふと寂しくなることもありました。会いたい、話したいそう思ったときに強く感じました。誰かにではなくて、特定の人に聞いてほしいことを聞いてもらえないのは辛いですよ」
 大切な人の死を完全に乗り越えるというのは土台無理なのだろう。なんだか、根本的に考え方を切り替えられた。
 忘れられないのだから、寂しくなることは仕方がない。
「でも、歳をとれば新しい出会いもある。あなたとの出会いだってありました」
 この時の視線にこもっていたものは親戚の娘をみるものではなかった。気のせいだと思うことにしてしまったけど…

「私にはもう肉親らしい肉親がいませんからね…親の代わりは結局ありません」
 母しか身寄りはなかった。
 父のことは覚えていないから正直、わからない……

「新しい家族を迎えてはどうでしょうか?」
 木埜さんが言う。
 軽い口調だった。一人が寂しいなら、一人でなくなればいいのだ。身を固めるなら急いだほうがいい歳なことはとっくに自覚している。それを口に出さないだけ、おじさんとしては余計なことを言わない人だとは思えた……
「悪くはないですけど、今すぐは考えていません。自分のこともままならないのにそれどころではないですよ」
 スマホ断ちができたのも一人暮らしだからだ。子供の急な発熱でのお迎えの連絡があるなら、専業主婦だとしても携帯は必須だと思う。
 まだしばらくは気ままな生活を手放したくなかった。
 母が生きていた時とも違う完全な自由だ。
 自分しか頼れない代わりに誰にも頼られない。
 どこに行こうが何をしようが一人で決めていいのだから。

「一人の良さはもちろんあります。今は特に一人でいやすい。あらゆる意味で便利になりました」
「でも、だからこそ、人間がばらばらになってしまいましたよ」
 昔の人の情熱が羨ましいと思っていた。

「力を合わせなくてはいけない世の中は力を合わせられる人がいない人には冷たいでしょう」
 はっとする。昔にだって、身寄りのない人、いても力を貸してもらえない人が絶対いたはずだ。

母が生きていた時代をなぞっているのも今からでも母親のことを知りたいからだった。
 なんでも教えてもらっておけばよかったと後悔している。
 戻れるなら過去の自分に母親と一緒に買い物に行けた回数も旅行に行けた回数も教えたい。
 口答えしたことも怒ったことも必要だったこともあったけど、ほとんどは言わなきゃ良かったと後悔した。

「良かったことばかりではありません。今の方が便利で安全ですよ」
「そうですか?」
「宅配だって本格的に普及したのは平成に入ってからですよ。家まで持って来てもらうだけでも昔は大変でした。本を家で受け取ることも昔なら当たり前ではありませんでした」
「たしかに、昔を舞台にした漫画やドラマだと近所に宅配荷物を預かってもらうエピソードとかありますよね」
 今だったら親戚だったとしても預かりたくないし、預けられたくない。記録されていないだけでトラブルもあっただろう。
「再配達だって大変でした。他にも、人気ミュージシャンのライブチケットを取るためには早朝から並ばないといけませんでした。そうでなくても、ずっと電話をし続けて、オペレーターに繋がるまで待たなくてはいけませんでした。待っても、出遅れたら売り切れますよ。私の子供のときはコンビニもありませんでした。どこにでもコンビニがあって二十四時間営業するようになったのは案外最近です。もちろん、スーパーの深夜営業も」
 昔を知る人の実感は重い。
「隣にお塩を借りにいくのもお店がやっていないからですよね」
 お店で買えるなら絶対にそのほうが後腐れがない。それが出来ないから仕方なかったのだ。
 住宅街のコンビニなら塩、醤油、味噌が置いてあるのは絶対に変な時間に買いに来る人がいるからだ。
「そうです。調味料を切らすことは誰でもやりかねなかったからお互い様でした」
 貸してあげなければ自分や家族が切らせたときに助けてもらえなくなる。

「私も一人暮らしです。一人ぐらしができているのは今の便利な世の中のおかげです。一人分の料理を毎食作るのは大変でも、お弁当や冷凍食品を買ってくるだけならなんとかなる。それに、一人分だと自炊は安くはありません。スケジュールが狂えば腐らせてしまう食材もでてしまいます」
 木埜さんはさらに言った。その言葉には嘘はなかったが、全てを話されていなかったことは後で知ることになる。
 家族の話は一切言われなかった。親兄弟の話すらされなかったのは後から考えると意図があったと思う。
 木埜さんについて勝手に離婚しているか未婚だと考えていたのは私の思い込みだった。自分から言わないなら聞かないのはマナーだから仕方がなかった。

その後、何回かお茶をした。

ある日、私はふと思い出した。
「博物館が開館するようですよ。仏像の特別展がありますが、よかったら一緒に行きませんか?」
 軽い気持ちで誘った。親しい女友達が行けそうになかったこともあった。
「それは面白そうですね。でも、若いあなたが仏像に興味があるとは少々意外ですが」
「年齢は関係ないですよ。信仰はありませんが、むしろ美術品として興味が湧きます」
「私も美術品としての興味ですね。ギリシア彫刻と同じだと思います」
「いつが空いていますか?」
「あのですね……」
 のりのりですぐにスケジュールを合わせた。

二人で博物館を見学に行くことになった。
 私は博物館でも同行者が欲しいタイプだ。一人での見学も楽しいけど、結局、自分の中だけで広がらない。
 私語禁止でないなら、ああだこうだ言いながら観たい。
 同じものを見ても思ってもいなかった意見をもらえるものだ。

日時指定のチケットが必要なので、それぞれ自分の分は自分で買った。
 チケットはコンビニで紙の券を発行できるのがありがたい。
 最近はチケットをスマホで管理できることもあるが、紙の良さは絶対にある。電源不要なものはなくして欲しくない。

お互いの都合もあって、あえて博物館前で集合した。
 ピンポイントで場所は指定できるし、時間さえ合わせれば確実だ。
 比較的見通しはいい場所だから探せるだろう。
 最悪、一人でも入場はできる。万が一片方が行けなくなってたら一人で観ると打ち合わせておいた。
 私のほうが早く着いてしまったのでしばし待つ。約束よりかなり早かった。
 遅れないように余裕を持ってきた。
 他の来場者を見送る形になる。若い人もお年寄りも、一人で来ている人も、カップルや家族で来ている人もいる。
 でも、これがさらにわくわくを加速させた。待つことは育成剤なのだ。
 かなり離れた場所からだったがお互いにわかった。手を振って合図する。
「すみません。お待たせしてしまいました」
「大丈夫です。だって、勝手に早く来すぎましたから」
 合流した時点で一応、待ち合わせ時間前だった。
「家から遠い場所で待ち合わせをするのも新鮮ですね」
「はい」
 そこまで混んではいなかった。
 コロナの前のような芋を洗うような混み具合にはならないのはむしろありがたい。退出時間の決まりはないのでゆっくり見学する。
「仏像とはいえ、モデルは人間ですよね」
 素晴らしいものも素朴なものもあった。
「人間は気持ちも大切ですが、形を求めます。信仰を形にしたいから仏像を作った」
 普通の人はなかなか座禅をしたりするだけでは気が済まないのはわかる。
 ゴージャスな菩薩像もあった。
「もはや等身大フィギアですよね」
「フィギアならきれいな人のほうがいいに決まっていますね」
 昔の日本人は髪飾り以外アクセサリーを使わなかったはずだが、この仏像は冠だけではなくて、ネックレスもブレスレットもしている。
「この像の作者はもしかしたら、本当は自分が着飾りたかったかもしれませんね」
「そうかもしれませんが、煌びやかな仏様を立体造形したかったのかもしれません。それか、ただ依頼されたことを忠実にやったのかもしれませんし」
詳しい動機なんて後からわかるはずはないが、だからこそ楽しい。
他にも色々な仏像があった。仁王様のような仏像もあるし、腕がたくさんあってそれぞれに武器を持った像もある。
「でも、ベースは結局人間ですね」
「クトゥルフ神話ではないですから、あまり人間離れしたものだと一般信者がついてこれないでしょう」
 次々と仏像を観ていく。
 解説を読んでこの仏像は作者が八十歳の時の作品だとわかった。
「こんな大昔にこの歳でこれだけの大作を仕上げる人がいたんですね」
「昔から長生きする人自体はいたでしょう。ただし、ほんの少人数。だからお年寄りは尊敬された」
 介護が必要な状態なら彫刻なんてできないだろうからその歳でも元気だったはずだ。
「生涯現役なんて羨ましい限りです」
 一生作品作りができたなら素敵だ。
「八十歳まで働くのはちょっと嫌ですね。いいえ、そんな歳まで働くなんてふつうは無理ですよ」
 木埜さんはやたらに実感を込めて言った。
「八十歳なら身の回りのことだけだって大変ですって」
 今の私には結局、老いの実態がわからないのだろうか。

「私なんて彫刻なんか絶対作れません」
 若いから歳をとっているかは本質的な問題ではないだろうけど…
「やってみなくてはわからないでしょう。やったことがあるんですか?」
「学生の時、授業で小さな木材を掘ることはしました」
 あれは、なんとなく人形を作れば出席になる授業だった。
「できるじゃないですか」
「こんな立派なものは無理という意味です」

あまり長く同じ展示物の前にいるわけにもいかなくて動いた。

「ここの中でお昼を食べましょう」
「もちろん」
 中にレストランがあることは知っていた。

きりがいいところでレストランに移動する。多少待たされたが思ったよりはスムーズに座れた。

席に座ってまずは二人ともメニューを眺める。子供や若者が喜びそうなものが中心だ。周りを見ても家族連れも多いから当然なのだろう。今の私たちもむしろ周りは親子だと思っているかもしれない。家族連れらしいグループでも子供も成人している人もいた。
「コラボメニュー?」
期間限定での提供と書いてある。
「展示の内容を踏まえたものなようですね。なるほど、仏像展だからビーガン食なんですね」
「精進料理はビーガンですよ。和食と決めつける必要はありません」
 考えてみればこの人としっかり食事をするのは初めてだった。家が近いからこそ、わざわざ一緒に食べに行こうとは思わなかった。それに、食の好みは似ていないだろうと思ってしまっていた。
「同じメニューにしてみますか?」
 違うメニューだと相手が頼んだもののほうが美味しそうに思えてしまう。
 悩むのも時間がもったいないのでそうすることにした。
 料理が来るまで少々手持ち無沙汰になる。
「なんだか遊園地のレストランのようですね」
 部屋の内装もポップなものだった。居るだけで楽しくなる空間だ。

「随分おしゃれですよね」
 メインも植物性なのだが、立派なランチセットだ。見た目はハンバーグセットに似ている。
 真っ赤なミニトマトが使われていたり、芸術的な形のカリブロが置かれていたり目にも鮮やかだ。

「私は箸のほうが食べやすそうなので」
 私も釣られて箸で食べることにする。カトラリーボックスには割り箸も二膳入っていた。ナイフで切らないといけないもの以外はむしろ箸のほうが食べやすいと思う。
「昔食べたことのある精進料理とはまるで違いますね。美味しいですが」
 逆写真詐欺ではないが、写真に写っていたよりむしろボリュームがあった。
 野菜や豆だけで作ったとは思えないような食べ応えのある味だ。でも、風味はどう考えても肉ではない、肉に無理に似せた味ではなかった。

しっかりお腹がいっぱいになる。
「ちょっと量が多かったかもしれません」
 少ないよりはいいと思う。どうしても無理なら残せばいいのだ。
「私はこれぐらいの量でちょうど良かったです」
 博物館見学は案外歩くから大丈夫だ。
 できれば閉館までしっかり見学したいから、きちんと食べられてよかった。

セットについてきた紅茶を飲みながら少し休む。今回はセットの飲み物は選べたからなんとなく紅茶にした。

食べる時以外はマスクも既に慣れたものだ。
 食べながら喋らないというマナーの基本を守れば大したことはない。
 今は子供たちは『給食のときはさっさと食べて、食べ終わってからマスクをして話したり遊んだりする』ようだから、大人なら尚更そうできないといけないだろう。

一気に距離感が縮んだ気がした。文字通りに同じ釜の飯を食ったのだ。

休みながら、また、話をした。
「仏教は本来はむしろ哲学に近いものですよね」
 はっきりした創始者がいるのだ。
「確かに。絶対者の決めたことに従う宗教とは全く違います」
 仏教が伝来しなかったり、明治期に禁止されたら現在の文化も全く違うものになったに違いない。
 そして、私たちがわざわざ博物館に来ることだってなかったかもしれないのだ。
「今期の特別展が違う内容でも、多分、お誘いしたとは思いますけどね。実際に博物館を見学するのは本やネットとは全く違います。触れることはできないにせよ、至近距離で見ることができる。最近は内容によっては『香り』も展示に組み込まれることまでありますからね」
「博物館は行かない人は全く行かないでしょうから、趣味が合ってよかったです」
 落ちついてまた、見学をするためにレストランを離れた。
「ここは私が」
「いいえ、私が」
「では、やはり、自分の分は自分で払いましょう」
 個別会計はできないようだったので、木埜さんに私が食べた金額を預けて会計してもらった。

常設展も見学する。
 天体観測機器や各国の星座の資料が展示されていた。星座といえばギリシア神話を思い浮かべてしまうがもちろんそれだけではない。
 日本古来の星座の本もあった。ページは開かれているがその見開きしか読めない。
「星座も国や地域によって違いますからね」
「星の並びが同じでも何を見出すかは違いますよ」
 見える星空自体も地域によって違うし、どう星を繋げるかは人によりけりになるはずだ。
「家では、夜空を見上げても星なんてあんまり見えませんから」
 夜でも明るすぎれば星の光は隠れてしまう。
「星の数ほどなんて言ったら『少ない』の意味になりかねないですよね」
 プラネタリウムは結局作り物だ。

「二十一世紀には気軽に宇宙に行けるようになっていると思いましたが、全く違うようになりましたね」
 木埜さんが言う。
 考えてみれば昔のSF映画やアニメの設定はみんなそうだった。本気でそう信じていた時代があったのだろう。
「でも、お金さえ出せば月には行けるようになりそうですよ」
 実業家がいくのいかないのと騒いでいたし、もう実現化はしている。
「普通の人間には絶対出せない金額ですからね。それに、当分、月に観光地ができそうにはありません。それなら、地球の方が安く行けて楽しい場所がたくさんあります」
 それもそうだ。月にリゾート地ができるまで私だって生きていられるかは怪しい。
 今から始めても地球全部を見て回ることは一生をかけたって多分無理だ。全ての国を訪ねてみることすらできそうにない。

「携帯電話こそ誰にも予想できませんでした。トランシーバーレベルのものしか想像していませんでした。どんなSFにも現在のような形の通信網は出てきません。テレビ電話でさえ、固定回線です」
 考えてみれば昔にかかれたフィクションではみんなそうだった。リアルタイムでのホログラム投影はあっても、子供でさえ個人の端末を持つ世界など全くない。
 家に図書館、本屋、映画館を呼びつけているような生活になるとは誰も思わなかった。
「映像作品はパッケージソフトを買うか借りるかしないと観られなかったんですよ」
 レンタル屋というのはなんとなく知っている。
「借りて、返すのを忘れて遅くなったら、買うより高くついてしまいました」
 どうやら、多分、本人の失敗談なようだ。

結局、閉館まで常設展をみていた。一日で観ると駆け足になってしまう。

「もう少し一緒に居たいです」
 ただ話し足りないというわけではないことはわかっていた。
「すみません。今夜は宅配の受け取りを入れてしまったので帰らないといけません」
「そうでしたか。残念です」
 先約をしておいたのはわざとではないが、無意識にこんなことを予測していたかもしれなかった。
 今夜なら受け取れると思い込みたかったのだろうか?
「駅まではご一緒しましょう」
「ありがとうございます」
 遅くはないが帰路にも同行者がいたほうが心強い。
 少々気まずかったが、一緒に帰るのを断るほうがさらに出来なかった。
「面白そうな企画があったら、また、博物館にご一緒してください」
「はい」
 帰りの電車もずっと話し続けていた。
 女友達と行くのも楽しいけど、男性の感想を聞くのは角度が違って面白い。
「人と一緒に博物館に行ったのは久しぶりでしたから。一人で行って行っていない人に話をするのとは違いますよ」
「ぜひお願いします」

部屋に帰る。
 改めて一人になった。

立ち寄らせてくれとは言われなくてほっとしている。

断る理由がなかったら二人で他の場所に行っただろうか?
 今日のことをあれこれ話したとしたら楽しかったと思う。

この後にも映画に行ったりしていた。

「一緒に旅行に行きませんか?」
 世の中が多少は落ち着いてきていた。
「少し考えさせて」
 今まで泊まりの誘いはなかった。
 純粋に遠出だけのつもりではないことくらいわかる。

嫌な気持ちではない。
 新しい場所を一緒に訪ねるのだ。

結局、今まで告白らしいことはお互いにしていなかった。

「遠出をするなら自然の中に分入りたいです」
「それはいいですね。海ですか? 山ですか?」
「山がいいですよ」
 山の方が観るものがありそうだ。
「一緒に旅をしましょう」
「嬉しいです」

旅費の支払いは全額彼がしてくれた。
 私は自分の分は自分で払うと言ったがどうしてもと言われた。
 これはもはや宣言だと思った。
 昔の人らしいと思った。

そもそも行かないこともできたし、決めたのは私自身だったのだ。

今回は歩き回れるように動きやすいカジュアルな服装で家を出た。自然を満喫するならまずは機能性が第一だ。

早朝と言える時間に最寄り駅で待ち合わせをした。
「なんだか、今日は少年のような服ですね」
 かわいい格好を期待されたかもしれないが、今回はそれは置いておく。
「はい。少年の心で来ました」
「それなら、私も心だけは少年に戻ります。身体はどうにもなりませんが」

初めての土地だった。
 昼間はあちこち観光した。
 ロープウェーで山に登る。
 山肌を見下ろす形になった。
「地球で楽しい場所をみつけましたね」

お昼は偶然みつけたお店に飛び込みで入った。予定はあるようなないような状態だったし、予約は全く考えていなかった。

チェックインをして、お風呂は別々に入った。大浴場があるのだから二人とも堪能したかった。

最終的な身だしなみも整えたかった。

宿の中にゲームコーナーがあった。むしろ縁日の夜店のようになっている。少し、二人で遊んだ。

その日の夜、当たり前のように私たちは結ばれた。
 私も初めてではなかったし、必然だったのだ。

この後は、また、近所でお茶をしたり、博物館や映画に行ったりしていた。

二人で美術館に行った日のこと。
「おい。木埜だよな。久しぶりだな!」
 彼がお友達とばったり出会った。男性で多分彼と同世代ぐらいの人に見えた。
 声を掛けられた時点で私は展示物に見入っていた。話の邪魔をしないように少し様子を伺った。
「こんにちは」
「こちらは娘さんか?」
 お友達は私の乱入に戸惑ったようで質問してきた。
 彼は少し悩んでいたように見えた。その後こう言った。
「いいや。…友達だ」
 言い淀んで『友達』というのは聞き逃せなかった。
 なんで彼女と言ってくれないのだろう。
 私から言うのも嫌だったので、この人が去るまで一言も口を効かなかった。
「そうか。邪魔したな」
 お友達は連れの奥さんらしい人に呼ばれて離れて行った。

そのまま、口数が少な過ぎる状態で見学を終えた。
「今日はもう帰ります」
「はい」
 何も弁解されなかった。

今まで、親兄弟にも、お友達にも紹介されてこなかった。たくさんの人が集まるのはまだ避けないといけなかったし、私もあえて友達には紹介しなかった。
 この歳で歳の離れた人と付き合って、すぐに別れたりしたら恥をかく。女友達との縁まで切りたくない。別段もう恋愛を逐一他人に報告するような習慣はなかった。
 あまり大袈裟に恋人ができたと言わなかったことが良かったのか悪かったのか今の時点では考えたくなかった。

問いただそう、そう決めて連絡を入れた。

「きちんと教えてほしいことがあります。なんで私を『友達』って説明したの?」
「妻がいます。別居中ですが、離婚はしていません」
「そういうことでしたかわかりました。不倫は嫌よ。残念だけど、これからはお友達ではなくて、ただの知り合いになってね。外で会ったら挨拶はするけど、もう一緒に出かけたりはしないから」
 あえてきっぱり宣言した。
「わかりました。騙していてごめんなさい」

私の恋は終わった。全ては起きていて見る夢だった。

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