ウンは実在する
この投稿は2011年3月11日に宮城県北の内陸で東日本大震災に被災した私の物語です。
悲惨と言うよりは情けないけど少し笑える内容で、こんな被災者も居るのね的な視点を持っていただけると嬉しいです。
↓↓↓大雑把な話は私のツイットで↓↓↓
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●2011年3月11日14時30分頃
このとき私は仕事中で職場の倉庫の奥で在庫調査などの仕事をしてました。
15時の休憩まであと約30分、我慢は出来るけど放出可能なら放出したい程度に便意に襲われました。
在庫確認の仕事も中途半端。休憩時間までも中途半端。普通に考えれば我慢は出来る便意なんてもんは我慢して休憩時間に発射するべきものなんですが、このときの私は在庫確認に少し飽きておりトイレに行きたい気持ちがとても強く、我慢をせずにトイレにGO。気持ちよく出しました。
●14時45分から46分にかけて
気持ちよく発射し、トイレから出て倉庫に戻ろうとしたその時、東日本大震災が起こりました。
地面は縦に横に数秒ではなく数分も揺れ、建物は倒壊するんじゃないかと思うようなギシギシ音をたて、外に止めていた車はサイドブレーキをかけていたにも関わらず前後左右に動き玉突き事故のように何度も車同士でぶつかり合い、私含めた職員は何かにしがみつこうにも揺れと身の安全で地面に身体を寄せるように低い姿勢で揺れが終わるのを待ちました。
揺れが収まり周りの状況確認しようとしたら次の強い揺れ。
なかなか周りや会社施設の安全を確認できず、翻弄され続ける数十分間でした。
・15時過ぎてどのくらいか
短いスパンで連続した強い揺れは収まり、揺れの強さが防災無線から流れて来て職場がある自治体の大まかな被害状況が伝わってきました。
職員同志無事か確認し、帰るか留まるか勤め先の経営陣判断を待つ間
本当はダメなんですけども(またとても強い揺れが来るかもしれないので)
地震発生前に居た倉庫内に財布と言うとても大事な貴重品を置いたままだったのでこっそりと倉庫内に行き、財布を回収しようとしたら…
案の定、倉庫内は荷物や荷物を積む鉄筋の棚が崩れ、倒れ、歩くところがないくらい散乱してました。
ちょこちょこ揺れる状況にビビりつつ、停電で真っ暗な倉庫内を荷物を退かしつつトイレに行く前に業務をしていた場所へ。
やはり、荷物も棚も崩れ倒れていました。
荷物や棚が更に崩れないように、そしてまた強い揺れがこないうちに慎重かつ素早く財布を取り倉庫から出て皆がいる場所に戻り、あとは被災生活に。
●ターニングポイントはウン(コ)
もし便意に襲われたとき、中途半端な時間を理由に真面目に仕事を続けて居たら…
大げさや盛っているわけでなく総量100kg以上ある荷物と棚に押し潰され、身動き取れず糞尿を垂れ流して死んでいたと思います。
震災発生約10~15分前の突然の便意、そしてたまたま不真面目だった私。
宮城県内は津波で亡くなられた方は多数でしたが、内陸で(建物倒壊など)で亡くなった人は居なかった(はず)なので、真面目に働いていたら県内唯一の内陸での死者になっていたと思います。
【何がきっかけで生きるか死ぬか】
ウン(コ)に導かれ私はあの日生きる事ができました。
嫌なこと、辛いことがあっても私はナニかウンにより生かされている。
まだまだ歩みを止めるわけにはいけないぜ。